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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第2章 聖女と賢者

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第27話:二人の天才と王国からの密偵

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

帝国の諜報機関『黒鴉(シュヴァルツ・クレエ)』がウルム村を訪れた、その日から一週間後。


村には、いつもより少し規模の大きな行商人のキャラバンが到着していた。

活気づく広場。その喧騒の中に、一人だけ明らかに異質な空気を放つ男が紛れ込んでいることに、気づいている村人はまだいなかった。


男は、着古した商人の服を身にまとってはいるが、その背筋の伸び方、視線の配り方の端々から、育ちの良さが隠しきれずに滲み出ている。

エルディナ王国から来た密偵、リュシアン・ド・ブリサック。

彼は、自らの気配を完璧に消しているつもりで、鋭い視線を村の奥へと向けていた。



その頃、俺は自室で、エレノアとカインを前に、村の新たな防衛策について話し合っていた。


「――というわけで、だ。エレノア、君の力が必要なんだ。この村全体を、君の防御魔法で覆うことは可能か?」


俺の問いに、エレノアは自信に満ちた、それでいて思慮深い表情で頷いた。


「もちろんですわ、師匠。ですが……」


彼女は少し言葉を選ぶように続けた。


「師匠に教わった通り、大規模な防御魔法は、その展開範囲に比例して、魔力消費量が指数関数的に増大します。ただ魔力を放出して壁を作るだけでは、わたくし一人では、長時間の維持や高強度の防御は難しいかもしれませんわ」


「分かっているじゃないか、エレノア」


俺は満足げに頷くと、机の引き出しから束になった羊皮紙のレポートを取り出し、彼女に手渡した。


「そこで、これだ」


「『マナ粒子のエントロピー増大則に基づく魔法効率の考察』……?」


エレノアは、その表紙に書かれたタイトルを読み上げ、訝しげに首を傾げた。


「これは?」


「俺が、エルディナ王国を追い出される原因になったレポートだよ」


俺の言葉を聞きながら、エレノアが羊皮紙の最初のページを捲る。

その瞳が、そこに書かれた文字を追い始めた瞬間、彼女の表情が劇的に変化していくのが分かった。


『――本研究は、魔法発動におけるマナ粒子の統計的挙動とエントロピー増大則の関係を理論的に解析し、魔法効率向上のための手法を提示するものである。観測結果から、魔法効率は術者個人の魔力量よりも、発動時のマナ粒子エントロピーの管理に強く依存することが明らかになった……』


「え……!? こ、これって……!」


エレノアが、驚きと、信じられないというような期待の表情で、俺の顔をまじまじと見つめる。


「ああ。魔法を発動する際、マナは熱と同じように拡散しようとする。この拡散――エントロピーの増大を数式で予測し、制御下に置くことで、エネルギーロスを極限までゼロに近づけるための理論だ」


「え? え? え? ……で、では……!」


「そうだ。この理論を使えば、魔法はもっと『効率的』に実行できる」


その言葉は、彼女にとって、世界の真理がひっくり返るほどの衝撃だったらしい。

エルディナ王国の魔術師たちは「不敬だ」「数字で魔法を汚すな」と罵ったが、彼女は違った。


「さ、流石は師匠! この理論があれば……!」


「ああ。君の力なら、従来の十分の一の魔力で、十倍強力な防御魔法を、この村全体に展開できるはずだ」


「そ、そんな! なんて素晴らしい……!」


エレノアは、もはや俺の声など聞こえていないかのように、レポートに没頭し始めた。その目は、治癒の真理を探求する聖女のそれに戻っていた。


「わたくし、早速この論文を熟読いたしますわ! 師匠、カイン、ここで失礼いたします!」


そう言うが早いか、彼女は宝物を抱えるようにレポートを胸に抱きしめ、足早に部屋から去っていった。

防御結界の構築には、しばらく時間がかかるだろうが、彼女なら必ずやってのけるだろう。


「マスター、あれは……」


残されたカインが、静かに口を開く。


「ああ、カインも後で目を通しておいてくれ。君なら、さらに応用できるはずだ」


「承知いたしました。……しかし、マナ粒子のエントロピー管理、ですか。盲点でした。流石です、マスター」


カインは、少し考え込むように呟いた。


「……つまり、魔法とは、単にマナを放出する力技ではなく、その『秩序』を保つ情報処理技術である、と。そういうことですね」


「なっ……!」


俺は、思わず言葉を失った。タイトルと少しの話を聞いただけで、この論文の本質をそこまで正確に見抜くとは。


「……いやいや、流石なのは君の方だよ、カイン」


「恐縮です。ところでマスター、わたしには何を?」


「ああ、そうだった」


俺は気を取り直して、もう一つの設計図を広げた。


「カインには、例のゴーレム技術の応用を頼みたい。このバリスタに、自動追尾機能をつけたいんだが……」


俺が言い終わる前に、カインが静かに、しかしはっきりと続けた。


「……ゴーレムの自律思考回路を応用し、敵影を認識して自動で照準を合わせる『自動迎撃型連射式バリスタ』、ですね」


「!」


今度こそ、俺は驚きに目を丸くした。


「……いや、君には恐れ入るよ、カイン。俺の思考を読んでいるのか?」


「いえ。マスターのご指導の賜物です」


んな訳あるか! 天才かよ、こいつは。

俺が内心でツッコミを入れていると、カインは優雅に一礼した。


「では、わたくしも工房で試作品の製作に取り掛かります」


「ああ、よろしく頼む」


颯爽と去っていくカインの後ろ姿を見送りながら、俺は思わず呟いた。


「……男前だな、カインは」


ふと、窓の外に目をやると、行商人のキャラバンが賑わっているのが見えた。


「ん? あれは……」


その中に、明らかに浮いている男の姿を、俺は見逃さなかった。

着ている服こそ商人風だが、あの立ち方、そして周囲を警戒する視線の鋭さ。

どう見ても、ただの商人ではない。



俺は、キャラバンが集まっている広場へと向かい、その男の背後から、わざとらしく声をかけた。


「よう。君は確か、アルベールのところの……リュシアン。そう、リュシアン・ド・ブリサックじゃないか?」


不意に名を呼ばれたリュシアンは、まるで雷に打たれたかのように飛び上がり、驚愕の表情で振り返った。


「アシュラン……・ド・ランテーム……!」


俺は、驚愕する彼を前にしても、昔と何一つ変わらない飄々とした態度を崩さずに立っていた。


「な、なぜ、分かった……? 私は、完璧に……」


「なぜって……」


俺は、やれやれと肩をすくめた。


「分からないと思っている方が、どうかしていると思うぞ? 内側から滲み出る『貴族感』を満載にしたヤツが、慣れない商人の服を着てキョロキョロしていたら、目立って仕方がないだろう?」


「ぐっ……!」


図星を指され、リュシアンは悔しそうに唇を噛む。

彼は優秀な魔術師だが、潜入工作には向いていないらしい。根が真面目すぎるのだ。


「で? どうしたんだ? 俺の様子でも見てこいって、アルベールにでも言われたのか?」


「……」


沈黙は、肯定の証拠だ。

アルベールのやりそうなことだ。面倒なことは部下に押し付ける。


「まあ、いい」


俺は、あっけらかんと言った。


「見られて困るようなものは、この村には何一つないからな。自由に見て回るといい。結構、自慢の村なんだぜ、ここは」


俺はそう言って、リュシアンの肩を軽く叩くと、その場を去った。


一人残されたリュシアンは、俺のその余裕綽々の態度に、一瞬、呆然としていたが、はっと我に返ると、改めて周囲を見渡した。



確かに、この村には活気があった。


道は清潔な石畳で舗装され、家々は耐火レンガと瓦屋根で頑丈に作られている。

すれ違う村人たちの顔には、追放者の村にあるはずの、陰鬱な影はどこにもない。それどころか、誰もが満ち足りた、穏やかな表情をしている。

そして、視線を上げれば、天を突くようにそびえ立つ反射炉の煙突と、村を囲む堅牢な防壁が、圧倒的な存在感を放っていた。


(……なんだ、この村は。追放者たちが住まう、忘れられた土地だったはずだ。一体、何が……)


リュシアンは、自らが報告すべき現実が、主君であるアルベールの想定を、遥かに、遥かに超えていることを、ようやく理解し始めていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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