第3話:辺境の村と快適化計画
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王都を出てから、十日が過ぎた。
立派な石畳の街道は三日も経たずに途切れ、轍わだちの跡が残るだけの土の道になった。それもやがて獣道と見分けがつかなくなり、今では御者が持つ一枚の不正確な地図だけが頼りだった。
俺を乗せた粗末な馬車は、まるで世界から文明という名の鍍金メッキを一枚ずつ剥をしていくように、東へ、東へと進んでいく。
最初は解放感に満ちていた思考も、単調な揺れの中で次第に内省へと向かっていった。
前世の俺、佐藤俊雄は、研究室という閉じた世界でただ純粋に真理を追い求めていた。だが、その成果は学会の権威や予算配分という、非論理的な壁に阻まれて潰えた。
今世の俺、アシュラン・ド・ランテームは、貴族という生まれながらの特権を持っていた。だが、魔力を持たないというだけで「出来損ない」と蔑まれ、物理学という異端の知識は、結局、魔術師たちの権威を守るための生贄にされた。
「結局、俺はどこにいても、組織というものに馴染めないらしい」
自嘲の言葉が、乾いた唇から漏れる。
徒党を組むのは、もうやめだ。信じられるのは、この頭脳に刻まれた普遍の法則と、それを記した羊皮紙の束だけ。ならば、一人でやれる場所こそが、俺にとっての理想郷のはずだ。
「お客さん、着きやしたぜ。あれがウルム村だ」
不意に、御者の覇気のない声が思考を遮った。
馬車を降り、丘の上からその村を見下ろした俺は、思わず絶句した。
「……ひどいな」
それは、村というよりは、朽ち果てるのを待つだけの残骸のように見えた。
十数軒ほどの家々は、申し訳程度に石を積んだ土台の上に、歪んだ木材を組んで泥壁を塗っただけ。屋根は茅葺かやぶきだが、手入れもされていないのか、あちこちが抜け落ちている。畑らしき区画は広がっているが、土の色は悪く、作物もまばらだ。村全体が、くすんだ茶色に沈んでいる。
活気というものが、一切感じられない。
「こっからは、歩いて行ってくんな」
そう言うと、馭者は鞭を打ち馬車を走らせた」
「ま、そんなもんだよな」
俺はそう1人愚痴るとウルム村に向かって一人歩き始めた。
村の入り口に着くと、数人の村人が警戒心を隠さずにこちらを見ていた。皆、痩せていて、衣服は擦り切れている。その目に宿るのは、希望ではなく、ただ日々の労働に疲弊しきった諦観の色だった。
村長らしい老人が、訝しげに俺を見ながら前に進み出てきた。
「あんたは?……」
老人は俺の身なりと荷物の少なさ、そして何より一人でこんな辺境にたどり着いたという事実を値踏みするように見ると、何かを察したように諦めの混じった溜息を漏らした。
「……あぁ、あんたも追放されたのか…」
俺は頷き、簡潔に名乗る。
「アシュランだ。今日から世話になる」
貴族であったことを示す「ド」の名は、もはや俺にはない。ただのアシュラン。それが、今の俺の全てだ。
「わしは村長をやっとるギードだ。まあ、何もないところだが……あそこなら空いておる。好きに使うといい」
ギードが指さしたのは、村の外れにある一際みすぼらしい小屋だった。もはや廃屋だ。壁には大きな亀裂が走り、屋根の半分は崩落している。
「……ありがたく使わせてもらおう」
俺は短く礼を言うと、最低限の荷物を持ち、その廃屋へと向かおうとした。
「アシュラン、と言ったかの」
背後から、ギードに呼び止められる。俺が振り返ると、老人は皺の深い顔で、先程よりも少しだけ穏やかな目をしていた。
「一つ、言っておくことがある。この村の者たちは、あんたを罪人だとは思っとらんよ。……ここにいるのは、あんたと同じように、居場所を奪われた者か、その子孫たちじゃからの」
ギードの言葉に、俺は少しだけ驚いた。
「……そうか」
「ああ。だから、過去に何があったかは聞かん。だがな、この土地は厳しい。助け合わねば、冬を越すこともできん。あんたがどんな人間で、何ができるのか……皆、口には出さんでも、そういう目で見るだろう。それだけは、覚えておくといい」
なるほど、そういうことか。問題は俺が罪人であることではない。この村で、俺が何者であり、何ができるのか。それを示すまでは、本当の意味で受け入れられることはないのだろう。信頼への道は決して近くはないが、絶望的ではない。
だが、それでいい。俺は彼らと馴れ合うためにここへ来たのではない。
小屋の中は、予想通りだった。床には埃が積もり、風が壁の亀裂から吹き込んでくる。中央には石を組んだだけの暖炉があるが、煤すすの付き方からして、煙がまともに排出されずに逆流するのは明らかだった。
「まずは、住環境の確保からか」
俺は荷物を下ろすと、すぐに観察と計測を始めた。
壮大な復讐? 文明の再構築? そんなものは、結果論だ。
今の俺の目的は、ただ一つ。
「この劣悪な環境で、俺自身が快適に生き延びる」
そのために、物理学の知識を総動員する。
まず、壁の亀裂。これは粘土と藁を混ぜたもので埋めればいい。次に屋根。崩れた部分を塞ぐ材料が必要だ。そして、この最悪な暖炉。煙が逆流するのは、煙突の高さと断面積、そして外気との温度差による上昇気流の発生効率が計算されていないからだ。ベルヌーイの定理を応用すれば、煙の排出効率を劇的に改善できる。
問題は、水だ。
村を観察している間に気づいたが、この村には井戸がない。村の女性や子供たちが、桶を担いで東の方へ向かうのを何度も見た。おそらく、水源はそちらにあるのだろう。往復にかかる時間と労力は、計り知れない。水が自由に手に入なければ、衛生環境も改善しないし、農業用水も確保できない。
「ギード村長、少し聞きたいことがある」
翌日、俺は村長の家を訪ねた。ギードは訝しげな顔をしながらも、俺を中に入れてくれた。
「この村の水源は、どこにある?」
「東に半刻(一時間)ほど歩いた先にある川だ。それが何か?」
「毎日、そこまで汲みに行っているのか」
「当たり前だろう。水がなければ生きていけん」
毎日、往復二時間もの重労働。非効率の極みだ。
「井戸は掘らないのか?」
「ここでは、井戸を掘っても水はでんよ。まぁ、かなり深く掘れば出るかもしれんがな。儂らじゃ無理じゃ」
「じゃぁ、あの川から、村まで水を引くことは考えなかったのか?」
「馬鹿を言え。川は村より低い場所を流れとる。水を高い場所へ運ぶなど、神の使いでもなけゃ無理な話だ」
神の使い、か。彼らの思考は、いつもそこに行き着く。
俺は懐から羊皮紙と自作の炭ペンを取り出し、地面に簡単な図を描き始めた。
「あんた、何をしておるんだ」
「測量だな。正確な高低差と距離が知りたいんだよ。」
ギードは怪訝な顔をしたが、俺は構わず続けた。
「だが、そのためにはまず道具がいる。少し時間をくれ」
その日を境に、俺は与えられた廃屋に引きこもった。
村人たちは、訝しんだ。
「おい、新入りのやつ、小屋から一歩も出てこないぞ」
「昼間から、中でゴソゴソと何か物音をさせてるが……一体何をしてるんだ?」
好奇心の強い子供たちが小屋の壁の隙間から中を覗こうとしては、大人たちに「気味の悪い奴に関わるな」と叱られている。
俺は、そんな外の様子を気にも留めず、黙々と作業に没頭していた。
精密な測量機器など望むべくもない。ならば、基本に立ち返るまでだ。必要なのは、距離、角度、そして水平。それらを測るための道具を、ここにあるものだけで作る。
まずは、距離を測るための「測鎖」。村にあった古い麻のロープを解き、丁寧に編み直して強度を上げる。松脂を塗り込んで湿気による伸縮を極力抑えた後、自分の身長を基準に、何度も計測を繰り返すという地道な作業に取り掛かった。そうして10メートルきっかりの長さに調整し、1メートルごとに印をつけていく。
次に、高低差を測るための「水準器」。
廃屋の梁から比較的まっすぐな木材を三本切り出し、Aの形に組む。頂点から石を吊るした糸を垂らし、Aの横棒に印をつける。このA字の脚を地面に置き、糸が印とぴったり重なれば、二つの脚の接地点は完全に水平だ。これを繰り返せば、土地の勾配が測れる。
最後に、角度を測るための「測角器」。これも木を組み合わせて十字の形にした、ごく簡単な測量杖だ。中心に軸を打ち、回転できるようにする。これと方位磁石を組み合わせれば、簡易的ながらも三角測量の基点を設定するには十分だった。
そして翌朝。
村人たちが訝しげに見守る中、俺はついに小屋の扉を開けて外に出てきた。手には、彼らが今まで見たこともない、奇妙な木の枠や、丁寧に巻かれたロープ、目印をつけた杭などを抱えている。
「あいつ、何を持って……」
「ガラクタにしか見えんが」
村人たちの囁き声を背に、俺はまっすぐ村の外れ、川の見える小高い丘へと向かった。
まずA字の木枠を地面に置き、糸の振れが止まるのを待つ。
俺は地面に最初の杭を打ち込むと、静かに呟いた。
「さて、始めるとするか」
こうして、俺の快適な辺境生活をめざた地道な作業が始まった。
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