第25話:王国の焦燥と使者
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一方その頃。
俺が追放された祖国、エルディナ王国の王宮では、一つの噂が静かな、しかし確実な波紋を広げていた。
王立魔術院、その最奥に位置する円卓会議室。
分厚い石壁に囲まれ、外界の光さえも遮断されたその部屋には、王国の魔法を司る十数名の重鎮たちが集っていた。
普段ならば、それぞれの研究成果を自慢げに語り合う穏やかな学術の場。だが、今日の空気は、まるで嵐の前の海のように、重く、張り詰めていた。
「――馬鹿げている! 断じて信じられん!」
黒竜樹のテーブルを拳で叩き、声を荒げたのは、炎の魔法を専門とする恰幅の良い老魔術師だった。彼の顔は、怒りか、それとも恐怖か、真っ赤に上気している。
「帝国の至宝、聖女エレノアと賢者カインが、揃って辺境の村に? しかも、あの『魔力なし』の小僧の弟子になっただと? 行商人が持ち帰った、ただの与太話に過ぎんわ!」
「だが、その『与太話』を、複数のルートから、複数の商人が持ち帰っているという事実を、どう説明するのかね?」
冷静に反論したのは、氷の魔法を得意とする、痩身の魔術師だった。彼の声は、その魔法のように冷たく、理知的だ。
「二人が同時に帝都を離れ、同じ辺境の村に滞在している。これは、紛れもない事実。そして、その村が、我々が追放したあの男――アシュラン・ド・ランテームのいるウルム村であることも」
「ぐっ……!」
老魔術師は言葉に詰まる。会議室は、再び重苦しい沈黙に包まれた。
彼らが恐れているのは、噂そのものではない。
その噂が、もし万が一、真実であった場合に、自分たちの身に降りかかるであろう責任と、そして屈辱だった。
魔力を持たないというだけで、一族からも、この魔術院からも「出来損ない」と蔑まれ、追放した男。
その男が、自分たちが逆立ちしても敵わない、帝国の最高頭脳二人を手懐けた?
そんなことが、あり得るのか?
いや、あってはならない。それは、自分たちの存在意義、エルディナ王国の魔法の優位性そのものを、根底から覆しかねない悪夢のようなシナリオだった。
沈黙を破ったのは、上座に座る、白髭の魔術院長だった。
「……いずれにせよ、ここで話していても埒が明かぬ。噂の真偽を、我々自身の目で確かめる必要がある」
その言葉に、皆が頷く。
だが、問題は、誰がその貧乏くじを引くか、だった。
誰もが、互いの顔色を窺い、視線を逸らす。そんな中、院長の厳しい目が、円卓の一人を射抜いた。
「アルベール・ド・リヒテンブール」
名を呼ばれた青年、アルベールはビクリと肩を震わせた。 王国の魔術師団を束ねる公爵家の嫡男にして、若き天才。その輝かしい経歴を持つ彼も、この重苦しい空気の中では、ただの若者に過ぎなかった。
「お主が、ウルム村へ赴き、ことの真相を調査して参れ」
「なっ……! なぜ、私が!」
アルベールは、思わず声を上げた。
辺境の、それも追放者たちが住まう汚らわしい村へ、この自分が、なぜ行かねばならないのか。
院長の目が、スッと細められる。
「忘れたか? そもそもは、お主が、あのアシュランの論文を利用し、彼を『国家への反逆者』に仕立て上げ、追放へと追い込んだのだ。その発端を作った者が、責任を取るのは、当然の道理であろう」
「……っ!」
その言葉に、アルベールはぐうの音も出なかった。
確かに、アシュランを追放したのは、彼の策略だった。 魔力を持たないにもかかわらず、自分たちの神聖な魔法を「非効率」などという無粋な物差しで測ろうとした、あの忌々しい男。その癖、訳の分からない理論を唱え、意味の分からない魔道具を創り出す、自分の地位を脅かしかねない異分子を、うまく排除できたはずだった。
それが、どうだ。追放された後まで、こんな形で自分の足を引っ張るとは。
「……御意に」
アルベールは、屈辱に顔を歪ませながらも、そう答えるしかなかった。
◇
自室に戻ったアルベールは、苛立ちのままに、テーブルの上のインク瓶を壁に叩きつけた。
ガシャン! という音と共に、高価な壁紙が黒い染みで汚れていく。
「くそっ! アシュランの奴め! あの、魔力なしの出来損ないが! 追放された後まで、私に迷惑を掛けおって!」
彼の脳裏に、あの日の光景が蘇る。
大講堂で、居並ぶ重鎮たちを前に、臆することなく自説を語るアシュランの姿。あの、全てを見透かしたような、冷静な瞳。
思い出すだけで、腹の底が煮えくり返るようだった。
辺境の村で、惨めに朽ち果てているはずだった男が、なぜ、帝国の聖女と賢者と関わりを持つ?
何かの間違いだ。きっと、同姓同名の別人か、あるいは、聖女たちが何かの勘違いをしているに違いない。
そうだ、そうに決まっている。
俺が、この俺が、直々に辺境まで出向いて、そのくだらない噂がただの幻であったことを証明してやればいいのだ。
だが、それでも。
辺境への旅が、面倒で、屈辱的であることに変わりはなかった。
泥にまみれ、粗末な食事に耐え、薄汚い村人と言葉を交わす? この公爵家の嫡男である私が?
「あり得ん……」
アルベールが、不機嫌に舌打ちをしながら、旅の準備を従者に命じようとした、その時だった。
「失礼いたします、アルベール様」
控えめなノックと共に、一人の青年が部屋に入ってきた。
アルベールの忠実な部下にして、魔術師団の中でも屈指の実力を持つ、リュシアン・ド・ブリサックだった。
地味だが、実務能力はずば抜けて高く、アルベールの仕事を陰で支えている苦労人だ。
「次の遠征任務に関する、承認の署名をいただきに参りました」
リュシアンは、部屋の惨状とアルベールの不機嫌な様子に気づきながらも、それをおくびにも出さず、恭しく書類を差し出す。
その、常に冷静で、忠実な姿を見た瞬間、アルベールの脳裏に、一つの悪魔的な考えが閃いた。
(……そうだ。私が、直々に行く必要など、ないではないか)
要は、ウルム村の状況を正確に確認し、魔術院に報告できれば良いのだ。
それならば、この、俺の手足となって働く、優秀な部下に任せれば済む話ではないか。
もし噂が本当で、危険な状況だったとしても、捨て駒になるのはこいつだ。
それに、もし本当にアシュランが何か成果を上げていたとしても、こいつに運ばせれば、手柄は全て私のもとに転がり込んでくる。
「リュシアン」
アルベールは、それまでの不機嫌が嘘のように、ねっとりとした、甘い声で、部下の名を呼んだ。その顔には、獲物を見つけた蛇のような、悪い笑みが浮かんでいた。
その声と表情の変化に、リュシアンは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
長年の付き合いで、彼には分かる。自分の主が、こういう顔をする時は、決まって、ろくでもない面倒事を押し付けられる時なのだ。
「……は、はい。何でございましょうか、アルベール様」
「喜べ。お前に、重要な任務を与えてやる。魔術院長直々の特命だ」
アルベールは、リュシアンの肩に手を置き、耳元で囁いた。
「私の『名代』として、辺境のウルム村へ行け。そこで、アシュランという男を監視してくるんだ」
「え……? あ、あの、アルベール様は……?」
リュシアンがおずおずと尋ねると、アルベールは心底面倒くさそうに手を振った。
「私は忙しい。このような僻地への視察ごときに、時間を割いている暇はないのだ。だからこそ、優秀な部下であるお前を『名代』として遣わすのではないか」
リュシアンの顔から血の気が引いていく。
ウルム村。鋼牙の魔境の隣。死刑宣告の地。
そこへたった一人で行けということは、事実上の左遷、あるいは死んでこいと言われているに等しい。
「光栄だろう? 私の信頼するお前だからこそ、任せるのだ。手柄は私が正しく評価してやるから、安心しろ」
逃げ道などない。
リュシアンの、引きつった返事が、静かな部屋に響いた。
「……承知、いたしました……」
彼の嫌な予感は、残念ながら、的中することになる。
だが彼はまだ知らない。この理不尽な命令が、結果として彼の運命を大きく変える転機になることを。
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