第23話:賢者の視察と対話
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「――アシュラン殿」
翌朝。
俺の家の前には、帝国の賢者カイン・フォン・ローゼンベルクが、昨日とは打って変わってラフな、しかし仕立ての良い服に着替えて立っていた。
その隣では、なぜかエレノアが「さあ、師匠! この田舎賢者に、師匠の偉大さを見せつけてやりましょう!」と、やたらと偉そうに胸を張っている。お前も昨日は泥だらけだっただろうに。
「村の中を、案内していただけませんか。この目で、噂の真相を確かめたいのです」
カインの目は、昨日のような探りを入れる目ではない。 純粋な、この世界の理を探究する者だけが持つ、熱っぽく真摯な光を宿していた。 俺は、その目に、かつての自分自身の姿――真理を求めて実験に没頭していた頃の自分を重ねて見ていた。
「……分かった。案内しよう」
こうして、俺と、自称一番弟子の聖女、そして帝国の賢者という、何とも奇妙な一行による村の見学ツアーが始まった。
◇
俺たちが最初に向かったのは、川岸で力強く回転を続けるノーリアだった。
ゴウゴウと音を立てて回るその巨体に、カインは圧倒されたように息を呑む。
「ご覧になって、カイン! なんと健気で力強い水の精霊たちでしょう! 師の御心に応え、休むことなく村に恵みをもたらしているのですわ!」
エレノアが、空を指差して得意満面に解説する。
彼女には相変わらず、楽しそうに水車を回す精霊たちが見えているらしい。
だが、カインは彼女の言葉には耳を貸さず、その鋭い目で、ノーリアの構造そのものを分析していた。
「……アシュラン殿。これは、精霊を使役する類のものではないですね」
さすがは賢者だ。彼は、この装置が魔法的な動力ではないことを一目で見抜いていた。
「川の流れを直接、回転運動に変換している。実に合理的だ。ですが、いくつか疑問が。単純に流れに輪を浸しただけにしては、驚くほど効率的に水を汲み上げている。桶の形状、そして水が羽根に当たる角度……何か、特別な計算がなされているのですか?」
その質問に、俺の中の研究者魂が、カチリと音を立てて目を覚ました。
この世界に来て初めて、「技術的な話」が通じる相手に出会えたかもしれない。
「よくぞ気づいてくれた! そうなんだ! ただ水を当てるだけじゃ、エネルギーの多くは逃げてしまう。重要なのは、水流が持つ運動エネルギーを、いかに効率よくトルク――つまり、回転する力に変換するかだ!」
俺が熱っぽく語り終えると、カインはしばらく黙り込んでいたが、やがて、眼鏡のブリッジを押し上げて言った。
「……なるほど。『トルク』という概念、非常に興味深い。魔力というあやふやなものではなく、数式で力を定義するのですね」
「そうだ。計算できれば、再現できる。それが科学だ」
俺は地面に木の枝で図を描き、そこに矢印を書き加えた。
「水が板に当たる力は、大きさだけでなく『向き』を持っている。俺はこれを『ベクトル』と呼んでいる。この力のベクトルを分解して、回転に寄与する成分だけを最大化するように、水受け板の角度を計算してあるんだ」
「……あ、アシュラン殿。申し訳ないが、今の『ベクトル』という部分、もう少し分かりやすく……」
「おっと、すまない。つい熱くなってしまった」
俺は少し照れながら頭を掻いた。
だが、カインの目は輝いていた。理解しようとする知性がそこにあった。
◇
次に向かったのは、村の畑を隅々まで潤す、灌漑用水路だ。
「見てください、カイン! この完璧な水の流れ! 大地の血脈を読み解き、その流れを最適化するとは、まさに神の御業!」
エレノアの相変わらずな賛美をBGMに、カインは水路の縁に膝をつき、その構造を食い入るように見つめていた。
「……信じられん。この勾配の精度は、一体どうやって出したのです?」
カインが指差す水路は、見渡す限り一定の緩やかな傾斜を保っている。
「土魔法で水平を出すことはできるが、これほど長距離にわたって、これほど緩やかで、完璧に一定の勾配を維持するのは、熟練の土木魔術師でも至難の業だ。魔力制御が乱れれば、必ず歪みが出る」
彼の指摘は的確だった。
魔法は個人の感覚に依存する。だから、大規模な工事にはムラが出やすい。
「はは、魔法じゃないさ。これを使ったんだ」
俺は、近くの小屋から、測量に使った「Aフレーム水準器」と「水盛り管」を持ってきた。
木の枠に紐とおもりをつけただけの道具と、動物の腸で作ったチューブだ。
カインは、そのあまりにも原始的な道具を見て、絶句した。
「こ、これで……? ただの木枠と、動物の腸で……?」
「ああ。どんな複雑な魔法よりも、重力という単純な物理法則の方が、嘘をつかないこともある」
俺が使い方を実演すると、カインはAフレーム水準器を手に取り、その完璧な均衡と、単純さの中に秘められた合理性に、深く感嘆のため息を漏らした。
だが、彼はすぐに賢者としての鋭い顔つきに戻ると、俺に一つの質問を投げかけた。
「ですが、アシュラン殿。この『水盛り管』による水平出し……。原理は分かりますが、長距離になればなるほど、大地の歪み――つまり、地平線の丸みによる誤差が生じるはず。それについては、どう計算を?」
「……!」
俺は、思わず息を呑んだ。
まさか、この世界の人間から、そんな質問が飛んでくるとは。
この世界でも、「大地が球体である」という知識は、一部の知識人の間では知られているのか。
「……さすがは賢者だな。そこまで思考が至るとは」
俺は感心して頷いた。
「この程度の距離では、その誤差は無視できるほど小さい。だが、もしカイン殿が言うように、この大陸を横断するような長距離水路を作るなら、その曲率計算も必要になるだろうな」
俺がそう答えると、カインは「やはり……!」と、我が意を得たりという顔で深く頷いた。
彼の探究心は、俺の想像以上に、深く、そして鋭い。
◇
その後、村の全ての家に設置された上下水道のシステムを見た時、カインの驚きは、感嘆から畏怖へと変わっていた。
「全ての家に、だと……? 貴族の屋敷ではなく、全ての民の家に、清潔な水と、汚水を処理する仕組みが……?」
蛇口から出る水を飲み、彼は震える声で言った。
「これが帝都で実現すれば……どれだけの疫病を防ぎ、どれだけの命が救われるか……。貴方は、国一つを救うほどの『公衆衛生』の概念を、この小さな村で完成させているのですね」
彼は、もはや技術的な興味だけでなく、このシステムが社会にもたらす計り知れない恩恵にまで思いを馳せていた。
そして、極めつけは、村の象徴としてそびえ立つ、反射炉だった。
カインは、天を突くように伸びるその煙突を、ただ、ぽかんと口を開けて見上げていた。
「アシュラン殿……これは、塔か? 何かの儀式に使う……?」
「いや、炉だよ。鉄を溶かすためのな」
俺のその一言が、彼の思考を完全に打ち砕いた。
「鉄を……溶かす……?」
「ああ。叩いて伸ばす鍛造じゃない。溶かして固める鋳造だ」
カインは、俺の説明を聞きながら、何度も、何度も、信じられないというように首を振った。
熱を反射させ、一点に集めるという発想。
燃料と材料を分離することで、不純物の混入を防ぐという合理性。
そして、高い煙突が生み出す強力な上昇気流。
彼の賢者としての知識が、目の前で起きている現象を説明できずに、悲鳴を上げていた。
彼は、もはや賢者ではなく、未知の真理を前にした、一人の飢えた探究者として、質問を繰り返した。
「なぜ、熱は反射するのだ? それは光と同じ性質を持つとでも?」
「煙突の高さと、吸気量の関係には、どのような数式が成り立つ?」
「この耐火レンガの組成は? なぜ、千五百度もの高温に耐えられる?」
俺は、その質問の一つ一つに、物理学の知識を総動員して答えていく。
それは、もはや村の案内ではなかった。
異世界から来た科学者と、この世界の賢者が、互いの知識をぶつけ合い、高め合う、白熱した討論の場だった。
「……楽しいな」
俺はふと、そう思った。
前世の研究室で、同僚たちと夜通し議論を交わした時の熱気。
それが、この異世界で蘇るとは思わなかった。
◇
一通りの見学を終えた頃には、陽は大きく西に傾いていた。
カインは、広場のベンチに座り込み、ただ、呆然としていた。
その目には、朝方に見せていた知的な賢者の光はなく、自らの常識が全て覆された子供のような、しかし満ち足りた純粋な光がキラキラと輝いていた。
「……カインがあのような顔をするのを、初めて見ましたわ」
エレノアが、少し呆れたように、しかしどこか誇らしげに言った。
彼女には、カインの周りで「知恵の精霊」たちがダンスを踊っているように見えているのかもしれない。
そして。
長い沈黙の後、カインはゆっくりと立ち上がると、俺の前に進み出て、流れるような動作でその場に跪き、深く頭を垂れた。
その動きは、エレノアが最初にしたものと、寸分違わぬ、最敬礼の姿勢だった。
「アシュラン殿! ……いや、アシュラン様! 」
カインは顔を上げ、燃えるような瞳で俺を見た。
「貴方の持つ知識体系こそが、この世界の謎を解き明かす鍵だ! どうかその叡智を学ばせてください!いや!どうか、このカインめを、貴方様の弟子にしてください! 」
「当然ですわ! カイン、貴方もようやく師匠の偉大さに気づきましたのね!」
エレノアが「よく言った」とばかりにカインの肩を叩く。
あ〜、やっぱり、そうなるのか。
さっきまでの「対等な議論」の空気はどこへやら。
俺が、がっくりと肩を落とすのとは対照的に、エレノアは「当然ですわ!」と、自分のことのようにふんぞり返っているのであった。
こうして、俺の元には「聖女」に続き「賢者」までもが常駐することになり、スローライフの難易度はさらに跳ね上がることになった。
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