第21話:聖女の聖典と精霊
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少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。
「……凄い。凄すぎますわ、師匠!」
ある朝。 朝食を終えたエレノアは、またしても感動に打ち震えていた。 彼女が見上げているのは、村の近くを流れる川に設置された、巨大な水車。ノーリアだ。
直径十メートルを超える巨大な輪が、川の流れを受けて重々しく、しかし力強く回転している。その桶が汲み上げた水は、高所に設けられた水路へと注がれ、そこから村の隅々へと分配されていく。
「これも物理学ですのね? 水の精霊たちをこれほどまでに手懐けるなんて……!」
エレノアは、キラキラとした瞳でノーリアを見つめている。
「精霊を手懐けているわけじゃない。あれは、水流が持つ運動エネルギーを、水車の羽根で受け止めて回転エネルギーに変換しているだけだ」
俺はいつものように、淡々と物理的な説明をした。
川の流れは、重力に従って高いところから低いところへ流れる。その「位置エネルギー」の差を利用しているに過ぎない。
だが、エレノアの反応は斜め上だった。
「エネルギーの変換……。なるほど、そういう解釈もできますわね。ですが、わたくしには見えます」
彼女はうっとりとした表情で、水車の周りの空間に手を伸ばした。
「見てくださいまし。水の精霊たちが、あんなにも楽しそうに!」
「……は?」
俺は目を凝らしたが、そこにはただの水しぶきと、回転する木の枠組みがあるだけだ。
視力は悪くないはずだが、精霊なんてものは影も形も見当たらない。
「ほら、あそこです! 小さな精霊たちが笑いながら羽根を押していますわ! まるで遊園地のアトラクションで遊ぶ子供たちのようです!」
エレノアは虚空を指差し、楽しげに実況を始めた。
俺には、飛沫がキラキラ光っているようにしか見えないのだが。
「……エレノア。もしかして、まだ熱があるのか?」
俺は心配になって彼女の額に手を伸ばそうとしたが、彼女はそれを遮って力説した。
「通常の水魔法であれば、術者が魔力で命令し、精霊を無理やり従わせるものです。ですが、師匠のこの装置は違いますわ!」
エレノアは、尊敬の念を込めて俺を振り返った。
「精霊たちが、自ら進んで力を貸している……いえ、むしろ『もっと働かせろ』と歓喜しながら回転しています! 労働を遊びに変え、精霊たちに喜びを与えながら恩恵を得る。これぞ、徳の高い統治者のみが成し得る『王の御業』ですわ!」
「……そうか。楽しそうで何よりだ」
俺は遠い目をして答えた。 こいつ、信仰心が篤すぎて幻覚が見えているんじゃないだろうか。
まあ、この村の水瓶が満たされるならそれでいい。
「さあ、次は子供たちの時間だ。行くぞ、エレノア」
「はい、師匠!」
◇
午後。
俺は村の広場の一角にある「青空教室」へと向かった。
開拓作業が一段落した昼下がりの時間は、キドたち子供への教育の時間に充てている。
読み書き計算はもちろん、この世界では誰も教えてくれない「理科」の実験が、子供たちには一番人気だ。
そして今日からは、新入りにして一番態度の大きい生徒が一人増えている。
「皆様、ごきげんよう。今日から末席に加えていただきます、エレノアと申します。至らぬ点もございますが、共に真理を学びましょう」
純白のローブをなびかせ、優雅にカーテシーを決める聖女様。
子供たちは「すげぇ、本物の聖女様だ……」「綺麗だな……」とどよめいているが、彼女の手には羊皮紙と羽根ペンが握りしめられ、やる気満々だ。
「じゃあ、今日は『光』について勉強しようか」
俺はポケットから、三角形のガラス柱――プリズムを取り出した。
以前、ガラス職人と試行錯誤して作ったものだ。
「太陽の光は、何色に見える?」
「白!」「透明!」
子供たちが元気に答える。
「そうだな。だが実は、この透明な光の中には、たくさんの色が隠れているんだ」
俺はプリズムを掲げ、太陽の光を通した。 屈折した光が、地面に置いた白い布の上に落ちる。 そこには、鮮やかな七色の帯、虹が映し出されていた。
「「「うわああああっ!!」」」
子供たちから歓声が上がる。
「虹だ! アシュラン様が虹を作った!」
「きれい! 触れるの!?」
「これは『分光』という現象だ。光は色によって曲がりやすさが違う。だから、ガラスを通すことで、混ざっていた色が分かれて見えるんだ」
俺が説明すると、子供たちは「ふしぎー!」と目を輝かせてプリズムを覗き込む。
だが、一人だけ反応が違う生徒がいた。
「……信じられませんわ」
エレノアが、ガタガタと震えながら虹を見つめている。
「光属性の魔力を、その構成要素である七属性に分解するなんて……! これは、神が世界を創造した時の『原初の光』の解析ではありませんか!」
彼女のペンが、羊皮紙の上を恐ろしい速さで走る。
『師匠の講義録・第一節:光の属性変換。ガラスの聖具を用い、太陽神の権能を分割・統御する高等儀式。常人には理解不能な「クッセツリツ」なる概念が鍵となる……』
……まあ、熱心なのはいいことだ。
次に俺は、長い紐の先に石を結びつけた「振り子」を取り出した。
「次は『時間』の実験だ」
俺は振り子を揺らした。
ゆら〜り、ゆら〜り。
「この振り子が往復する時間は、何によって決まると思う? おもりの重さか? それとも、大きく揺らした時か、小さく揺らした時か?」
子供たちは「重いほうが速い!」「大きく揺らしたほうが時間がかかる!」と口々に予想する。
俺は微笑みながら、重さを変えたり、振れ幅を変えたりして実験を見せた。
結果は、どれも同じリズム。
「正解は、『紐の長さ』だけだ。重さや振れ幅が変わっても、往復にかかる時間は変わらない。これを『振り子の等時性』という」
「ええーっ!? なんでー!?」
子供たちが不思議がる中、エレノアは青ざめた顔で呟いた。
「……時間の概念への干渉……」
彼女の目には、揺れる振り子の周りに、小さな時の精霊たちが整列し、規律正しくリズムを刻んでいる姿が見えているようだった。
「重さという物質的制約を無視し、絶対的な『時』のルールを空間に固定する……。師匠は、時の精霊たちに号令をかけ、彼らを完全に支配下に置いているのですね……!」
『師匠の講義録・第二節:時間凍結の理。紐の長さという物理的制約により、時の精霊を束縛し、永遠の規律を与える。これにより、世界のリズムを意のままに操る……』
彼女のメモが、どんどん物騒な魔導書のようになっていく。
俺は見て見ぬ振りをすることにした。
◇
夕方。 授業を終えた俺たちは、ドルガンの鍛冶場を訪れた。 エレノアが「ぜひ、噂の『鉄の聖地』を拝見したいです」と言い出したからだ。
鍛冶場に近づくと、ゴウゴウという低い唸り声と、肌を焼くような熱気が漂ってくる。
そこには、この村の心臓部とも言える「反射炉」が鎮座していた。
赤褐色の耐火レンガで組まれた巨大な炉。
天を突く高い煙突からは、陽炎が立ち上っている。
炉の焚き口からは、複動式ふいごによって送り込まれた大量の空気が吸い込まれ、内部で凄まじい燃焼を引き起こしていた。
「……これが、反射炉ですの?」
エレノアは、その威容に圧倒されたように立ち尽くした。
「ああ。熱を炉の天井で反射させ、一点に集中させることで鉄を溶かす炉だ」
俺の説明を聞きながら、彼女はおずおずと、耐熱ガラスの嵌め込まれた覗き窓へと近づく。
そして、その中を覗き込んだ瞬間。
「ひっ……!」
彼女は小さな悲鳴を上げて、後ずさった。
「どうした? 熱すぎたか?」
「い、いいえ……。熱いというより……熱狂、ですわ」
彼女は震える声で言った。
「見えます……。炎の大精霊たちが、まるで舞踏会のように……!」
彼女は虚空を見つめ、陶酔したように語りだす。
「狭い炉の中に、数多の炎の精霊たちが集い、互いの熱を反射し合い、増幅し合うことに至上の喜びを感じています! 彼らにとって、この炉は最高にエキサイティングな『舞踏会場』なのです!」
エレノアは、恍惚とした表情で炉を見上げた。
「師匠は、ただ熱を集めているのではありません。この炉という『舞台』を用意し、炎の精霊たちに『誰が一番熱くなれるか』という競争をさせているのです! だからこそ、彼らは限界を超えて燃え上がり、鉄すらも溶かすほどの情熱を生み出している……!」
「……まあ、酸素と燃料を効率よく供給してやれば、炎は喜んで燃えるもんだよ」
俺は苦笑いした。
物理的には「燃焼効率の最大化」だが、彼女の言う「精霊の競争」というのも、あながち間違った表現ではないのかもしれない。まあ、ただの詩的な表現だろうが。
「凄まじいですわ……。水、光、時、そして炎。師匠は、四大精霊の枠を超え、森羅万象すべてを、恐怖ではなく『喜び』によって支配し、使役されている……。これぞ、真の『精霊王』の姿……!」
エレノアは、炉の前で深々と頭を下げた。
もはや、ただの弟子ではない。完全に信者の目だ。
「師匠。わたくし、一生ついていきます」
「いや、一生は困る」
俺の即答も、轟音を立てる反射炉の音にかき消されたようだった。
◇
その夜。
エレノアは、アシュラン家の一室で、今日一日の出来事を日記に記していた。
『――師匠は、物理学という名の魔法体系により、万物を統御されている。精霊たちは師匠の指揮の下、歓喜の歌を歌い、世界を豊かにしている。わたくしは今日、その真理の一端に触れた。明日は、どのような奇跡を見せていただけるのだろうか――』
彼女が熱心に書き綴るこの日記が、後に「聖女の聖典」と呼ばれる伝説の書物になることなど、この時の俺たちは想像すらしていなかった。
一方、隣の部屋でベッドに入った俺は、そんなどえらい記録が残されているとはつゆ知らず、大きなあくびをしていた。
「ふぁぁ……。今日は説明ばかりで疲れたな。明日は何もないといいんだが」
俺は毛布を被り、目を閉じた。
明日は、久しぶりにのんびりしよう。
そう、心に決めて。
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