第19話:快適な療養と魂の救済
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「どうか、このわたくしを、貴方様の弟子にしてくださいませ!」
聖女エレノア・フォン・シルバクロイツの、あまりにも真摯な声が、静まり返った俺の家に響き渡る。
俺の目の前では、帝国で最も尊いとされる女性が深く頭を垂れ、その周りでは、村人たちが「聖女様がアシュランの弟子に……?」と、口をあんぐりと開けて固まっていた。
「いや、待て、待ってくれ!」
完全にフリーズしていた俺の脳が、ようやく再起動する。
「弟子なんて無理だ! 俺は魔法使いじゃないし、君に教えられることなんて何もない!」
「ご謙遜を!」
エレノアは、ぱっと顔を上げると、そのエメラルドの瞳をキラキラと輝かせた。
「今まで誰一人として成し遂げた者がいない、魂の器そのものを修復するという、神の領域に等しい御業を成し遂げられたではありませんか! それには、想像もできないほどの繊細な魔力制御が必要なはずです。それこそが、わたくしが生涯をかけて追い求めるべき、治癒の真理ですわ!」
違う、あれは物理学と医学の応用なんだが。
そう説明しようにも、彼女の瞳は「全てお見通しですわ、偉大なる大賢者様」とでも言いたげに、絶対的な尊敬の光を放っている。ダメだ、会話が成立しない。
「と、とにかく! 君はまだ病み上がりなんだ! 体調が万全になるまで、まずは安静にしていること! いいな!?」
俺は半ば強引に話を打ち切った。
俺が有無を言わさぬ口調で言うと、エレノアは少し不満そうにしながらも、
「……はい、師匠」
と、小さな声で頷いた。だから師匠じゃないと言っているんだが?
俺は、村人たちに手伝ってもらい、彼女を再びベッドへと押し込んだ。
こうして、俺と聖女様の、奇妙で、そして盛大な勘違いに満ちた療養生活が始まった。
◇
エレノアの体は、一命を取り留めたとはいえ、まだ万全には程遠かった。
長年の無理がたたり、彼女の肉体と魂は、乾いたスポンジのように潤いを失っている。
俺は、彼女の「器」をこれ以上傷つけないよう、魔法的な治療は一切行わなかった。
その代わり、俺が持つ科学知識を総動員した、アシュラン流の「療養プログラム」を実践することにした。
【アシュラン流「魂の救済法」その1:熱力学による入浴】
「さあ、まずは風呂だ。体を温めて、血行を良くするのが一番だ」
俺がそう言うと、エレノアは「沐浴ですのね!」と、どこか神聖な儀式に臨むかのように頷いた。
だが、俺が案内した先の光景を見て、彼女は目を丸くした。
そこにあったのは、俺の家の裏手に新設された、湯気が立ち上る霊香木の湯船だった。
「これは……?」
帝国では、沐浴は心身を清めるための宗教的儀式であり、冷水か、せいぜいぬるま湯で行うのが常識だった。こんなふうに肩までお湯に浸かる習慣はない。
エレノアは湯船に近づき、そっと手をお湯に浸した。
「……! 温かい……。なんて心地よい温度なのでしょう……」
彼女は驚いたように俺を振り返った。
「ただの風呂だよ。暖炉と反射炉の排熱を利用してお湯を沸かし、熱サイフォン現象による自然対流で、常に適温を保つように循環させているだけだ。エネルギー効率がいいだろう?」
「ねつ……さいふぉん……? なんと神秘的な響きでしょう!」
「それと、これを使ってくれ」
俺は、森で採れる薬草を乾燥させて作った袋入りの入浴剤を渡した。
「加密列という薬草だ。お湯に入れると香りが立って、リラックス効果がある。……じゃあ、俺は外にいるから。のぼせない程度に、ゆっくり温まってくれ」
俺はそう言い残し、脱衣所の扉を閉めて退室した。
中から、衣擦れの音と、お湯がチャプンと跳ねる音が聞こえてくる。
「ふぅ……。極楽、ですわ……」
扉越しに、エレノアのうっとりとした独り言が漏れ聞こえてきた。
「全身の血が巡り、凝り固まっていた魔力が、じんわりと解き放たれていくようです……。それにこの香り……魂が、安らいでいく……! これが、アシュラン様の言う『熱力学』と『薬草学』を融合させた、高等秘術なのですね!」
「いや、だから、ただの薬湯だって……」
俺は扉の外で、誰にともなく小さくツッコミを入れた。
【アシュラン流「魂の救済法」その2:栄養学による食事】
風呂から上がり、ほかほかに温まったエレノアのために、俺は療養食を用意した。
食卓に並んだのは、豪華な肉料理でも、珍しい果物でもない。
鶏の胸肉をホロホロになるまで煮込み、細かく刻んだ野菜をたっぷり入れたスープと、焼きたての黒パン、そしてろ過しただけの水。
「さあ、食べてくれ。今の君の体には、こういうものが必要だ」
エレノアは、その質素な食事を前に、一瞬戸惑った顔をしたが、俺に促されてスプーンを手に取った。
そして、スープを一口、口に運ぶ。
その瞬間、彼女の瞳が、驚きに見開かれた。
「……美味しい……! なんて、優しくて、滋味深いお味なのでしょう!」
帝国の貴族や聖職者が口にする食事は、確かに豪華絢爛だ。だが、その多くは、希少な香辛料やバターをふんだんに使い、素材の味を塗りつぶした、胃にもたれるものばかりだった。
それに引き換え、このスープは、塩とわずかな香草だけで味付けされているにもかかわらず、野菜の甘みと、鶏肉の旨味が完璧に調和していた。
「低温でじっくり煮込むことで、細胞壁を壊さずにアミノ酸などの旨味成分だけを抽出したんだ。消化吸収もいいから、弱った胃腸には最適だ」
俺が科学的な解説を加えると、エレノアはスプーンを止めて震えだした。
「一口食べるごとに、体の内側から、生命力が満ちてくるのが分かります……! 噂は、本当でしたのね! この村の食物は、生命の源を抽出した、不老の霊薬そのものですわ!」
「いや、ただの丁寧に作ったスープなんだが……」
俺は、涙ぐみながらスープを口に運ぶ聖女様を前に、もはや訂正する気力も失せていた。
【アシュラン流「魂の救済法」その3:人間工学による睡眠】
その夜、エレノアは、俺が彼女のために用意したベッドで、数年ぶりに悪夢を見ずに眠ることができたらしい。
そのベッドは、ヘイムに特注して作らせたものだ。もちろん、そもそもは俺のためのベッドであった。
このベッドには、俺のこだわりが凝縮されている。床板には、薄くしなやかな鉄樫の板をすのこ状に並べ、体重をかけると適度にしなる「ウッドスプリング」構造を採用している。
マットレスの中身は、乾燥させた弾力のある薬草と、鳥の柔らかい羽毛を、俺が計算した最適な比率でブレンドした。
「この寝台……まるで、天上の雲に抱かれているようですわ……!」
翌朝、すっきりと目覚めたエレノアは、興奮気味に俺にそう報告してきた。
「背中や腰に、全く負担がかかっておりません! これも、アシュラン様の『構造力学』と『人間工学』を応用した、安眠の結界術の一種なのですか!?」
「結界じゃない。『体圧分散』だ。体の重さを均一に逃がすことで、血流を妨げないようにしているだけだよ」
「体圧……分散……。なんて深遠な言葉……。やはり、全て計算ずくでしたのね!」
「……まあ、そうだけど」
俺は、頭を抱えながら頷くしかなかった。
◇
そんな日々が、一週間ほど続いた。
アシュラン流の科学的アプローチ……もとい、規則正しい生活、栄養管理、良質な睡眠、そして適度な入浴によって、エレノアは見る見るうちに回復していった。 青白かった肌には血の気が戻り、エメラルドの瞳には、力強い光が宿り始めていた。
そして、ある晴れた日の午後。 完全に体調を取り戻したエレノアは、改めて俺の前にやってくると、再び、深く、深く跪いた。
「アシュラン様! わたくし、この数日間で、ようやく理解いたしました!」
彼女は顔を上げると、一点の曇りもない、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「貴方様のなさることは、一つ一つが『魂の救済法』そのものです! 魔法のように派手な奇跡ではなく、人の営みに寄り添い、その根源から心と体を癒やす、真の聖業です!」
彼女は、熱っぽく語り続ける。
「わたくしはこれまで、ただ魔力を放出して、傷や病を『結果』として消し去ることしか考えておりませんでした。ですが、貴方様は、その人が本来持つべき『生きる力』そのものを、内側から引き出す術をご存知です! どうか、その深淵なる知識の一端を、このわたくしにご教授ください!」
そのあまりにも真摯な眼差しに、俺は、もはや「全部ただの勘違いだ」とは、言えなくなってしまっていた。
俺がやっていることは、前世の地球では、当たり前の健康管理の知識でしかない。
だが、治癒魔法という万能だが強引な力に頼り切ってきたこの世界では、それこそが、誰も思いつかなかった「失われた魔法」であり、彼女が求めていた答えなのかもしれない。
「……はぁ」
俺は、観念したように、深いため息をついた。
ここで断っても、彼女は一生ここから動かないだろう。そんな気がした。
「分かったよ。ただし、条件がある」
「はい! なんでしょうか!」
「『弟子』とか『師匠』とか、そういう大仰な呼び方はやめてくれ。外聞が悪い。それに、俺は魔法なんて教えられないぞ。君が知りたいことがあるなら、俺が知っている『理屈』の範囲で教える。あくまで、勉強会だ。……それでもいいか?」
俺としては、最大限の譲歩と予防線を張ったつもりだった。
だが。
「はい! ありがとうございます、師匠!」
満面の笑みで、エレノアは力強く頷いた。
……話、聞いてたか?
こうして、俺の快適な辺境スローライフに、聖女という名の、超大型の弟子が、正式に加わってしまったのだった。
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