第18話:聖女の目覚めと勘違い
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俺の手の中にある「マナ集光レンズ」が、淡い青白さを帯びて脈打っている。
その光は、まるで生き物の呼吸のように、彼女の胸の奥底にある「裂け目」へと吸い込まれていく。
(……焦るな。ミリ単位のズレも許されない)
俺は額を伝う汗を拭うことさえ忘れ、彫像のように固まっていた。
魔力を持たぬ俺だけが感じ取れる「聴覚」に近い感覚で、彼女の体内を循環するエネルギーの奔流を見極める。 シューシューと音を立てて漏れ出していたマナが、レンズを通した光によって少しずつ、しかし確実に減っている。恐らく、壊れた部分も塞がれているはずだ。
「……アシュラン様……」
背後でキドが不安そうに呟く声が聞こえるが、振り返る余裕はない。
俺の集中力は限界に近づいていた。
魔力は使っていないが、脳の処理能力をフル稼働させている疲労感は、肉体労働の比ではない。
(あと少し……! そこだ!)
裂け目の最後の一点が、光によって満たされた瞬間。
不協和音が消え、代わりに穏やかなせせらぎのような音が、彼女の体内を巡り始めた。
「……ふぅッ」
俺は大きく息を吐き出し、レンズを持つ手を下ろした。
緊張の糸が切れ、膝から力が抜ける。
「アシュラン!」
倒れそうになった俺を、ドルガンが太い腕で支えてくれた。
「大丈夫か!? 顔色が真っ青だぞ」
「あぁ……大丈夫だ。峠は越えたよ」
俺はベッドに横たわる彼女を見た。
先ほどまで苦悶に歪んでいた表情は消え、今は安らかな寝息を立てている。青白かった頬にも、微かに赤みが差していた。
「すげえ……。本当に、顔色が良くなってやがる」
ヘイムが感嘆の声を漏らす。
村人たちは、まるで奇跡を目の当たりにしたかのように、静かにどよめいた。
「だが、まだ油断はできない。魂の器は修復したが、中身は空っぽに近いままだ。ここからは、彼女自身の回復力を信じて、支え続けるしかない」
◇
それから、三日三晩。
俺の家は、村人たちの総力を挙げた集中治療室と化した。
「点滴の交換だ! 新しいボトルを持ってこい!」
「湯たんぽが冷めてるぞ! 窯から新しいレンガを持ってきてくれ!」
村人たちは交代制で、片時も彼女の側を離れなかった。
点滴のボトルが空になれば、ヘイムが作った予備と即座に交換し、ドルガンが焼いた保温性の高いレンガを布で包んでベッドに入れ、彼女の体温が下がらないように温め続けた。
俺もまた、定期的にレンズを使ってマナの定着具合を確認し、微調整を繰り返した。
「アシュラン、少し休め。お前さんが倒れたら元も子もないわい」
二日目の夜、ギードが木の実を煮出したコーヒーのような飲み物を持ってきてくれた。
「ありがとう、ギード。……でも、今が正念場なんだ。彼女の魂の器は、まだ薄氷のような脆さで繋がっているに過ぎない。俺がマナの焦点を外せば、再び裂け目が開きかねない」
俺は眠気で霞む目をこすりながら、レンズ越しに彼女の命の灯火を見守り続けた。
誰もが、この見ず知らずの旅人のために全力を尽くしていた。
それは、かつて何も持たずにこの村へ流れ着いた自分たちの姿を、彼女に重ねていたからかもしれない。
そして、四日目の朝。
窓から差し込む柔らかな光が、部屋の中の埃をキラキラと照らし出していた。
徹夜明けの俺が、椅子に座ったまま船を漕いでいると――。
「……ん……」
衣擦れの音と共に、微かな声が聞こえた。
俺は弾かれたように顔を上げる。
ベッドの上で、白銀の髪がさらりと流れた。
長い睫毛が震え、ゆっくりと、その瞳が開かれる。
そこに現れたのは、吸い込まれるような深いエメラルドグリーンの瞳だった。
「……ここは……?」
鈴を転がすような、しかしまた弱々しい声。
彼女はぼんやりと天井を見上げ、次いで、自分の身体にかけられている清潔な毛布や、腕に繋がれた点滴の管を不思議そうに眺めた。
「気がついたかい?!」
朝の世話に来ていたエリアナの母親が、手桶を取り落として叫んだ。
その声に、外で作業をしていた村人たちも、ドタドタと家の中へ雪崩れ込んでくる。
「おい、目が覚めたって!?」
「よかったぁ……!」
口々に安堵の声を上げる村人たちに囲まれ、彼女は少し驚いたように目を瞬かせた。
「皆様は……? わたくしは、一体……」
「ここはウルム村だよ。あんた、村の入り口で行き倒れてたんだ。覚えてるか?」
ヘイムが優しく問いかける。
「ウルム……村……?」
彼女は、その名前を口の中で転がし、そしてハッとしたように目を見開いた。
「ウルム! そうですわ、わたくし、ついに……!」
彼女は上体を起こそうとして、よろめいた。俺は慌てて彼女の肩を支える。
「無理をするな。まだ体力が戻りきっていない」
「あ、ありがとうございます……」
彼女は俺の顔を見て、頬を染めながら礼を言った。そして、自分の胸に手を当て、信じられないものを見るような顔をした。
「……信じられません。あれほど枯渇していた魔力が……戻っている……! それに、砕けかけていた魂の器まで、完全に修復されているなんて……!」
彼女は震える手を見つめ、涙ぐんだ。
「どこの名医にかかっても、高名な神官様に祈祷していただいても、治らなかったのに……。やはり、噂は本当でしたのね。ここは『奇跡の地』……!」
「いや、だから、そういう奇跡の場所ってわけじゃ……」
俺が訂正しようとするが、彼女は興奮して俺の言葉など聞こえていないようだった。
彼女の視界には、俺たちの背後に広がる「科学の成果」が、神聖な奇跡として映っているらしかった。
ひとしきり感動した後、彼女はふと我に返り、居住まいを正した。
ベッドの上とはいえ、その所作には隠しきれない気品と、長年積み重ねてきたであろう高貴な教育の片鱗が見えた。
「取り乱して申し訳ありません。……改めまして、わたくし、エレノア・フォン・シルバクロイツと申します」
エレノア・フォン・シルバクロイツ。
その名を聞いた瞬間、部屋の空気が凍りついた。
ギードが目を見開き、ドルガンが口をあんぐりと開ける。
俺もまた、絶句した。
帝国でその名を知らぬ者はいない。
代々、王家に仕える最高位の治癒魔法使いの一族にして、その中でも百年ぶりの天才と謳われる、若き「聖女」。国教会の象徴であり、本来なら俺たちのような追放者が口をきくことすら許されない雲の上の存在だ。
「せ、聖女様じゃと……!?」
ギードが震える声で呟く。
なんでそんな超大物が、護衛もつけずに、こんな辺境の、しかも「死刑宣告の地」と呼ばれた場所に……?
「わたくし、帝都でこの村の噂を聞いて、いても立ってもいられなくて、ここまで参りましたの」
エレノアは、瞳をキラキラと輝かせながら語り始めた。
だが、彼女の口から語られる「噂」の内容は、俺の想像を遥かに超える、奇想天外なものだった。
「帝都の酒場で、旅の吟遊詩人が歌っておりましたの。東の果てに、神々の技術を受け継ぐ隠れ里があると!」
「はぁ……」
曰く、その村の鍛冶師が打つ鉄は、伝説の金属ミスリルをも凌ぐ強度と魔力伝導率を誇りる
曰く、その村の水は、飲むだけで万病を癒し、枯れた老木にも花を咲かせる『生命の霊薬』である
曰く、その村で採れる作物は、一口食べれば十年寿命が延びる黄金の果実
そして極めつけは、天を突くほどの巨大な塔と、ドラゴンの爪さえも跳ね返す鉄壁の城壁に守られた、地上の楽園であると……
エレノアは、うっとりとした表情で両手を組んだ。
「それらをひっくるめて、帝都では密かにこう呼ばれているそうです。『奇跡の街ウルム』、あるいは『生命力に満ちた約束の地』と!」
……街じゃなくて村だし、塔じゃなくて煙突だし、ドラゴンってなんだよ。
俺は、あまりの噂の誇張っぷり、いや、尾ひれの付き方に目眩がしそうだった。行商人たちが、商品を高く売るために話を盛りに盛った結果、とんでもない都市伝説が出来上がってしまったらしい。
「それで……わたくしを治療してくださったのは、どなたですの? この土地を統べる、偉大なる賢者様でしょうか?」
エレノアが、尊敬と期待に満ちた眼差しで、俺と村人たちを見回す。
村人たちの視線が、一斉に俺に集中する。
「お前が言え」という無言の圧力だ。
俺はため息をつきながら、一歩前に出た。
「……賢者じゃないが、治療の指揮を執ったのは俺だ」
「貴方様が……?」
エレノアは俺をまじまじと見つめた。
そして、俺の腕に残る点滴の器具や、テーブルに置かれたマナ集光レンズに視線を走らせる。
彼女のような高位の術者なら、それらが通常の魔法具とは全く異なる理屈で機能していることくらい、一目で分かったはずだ。
彼女はブツブツと独り言を呟き、そしてハッとしたように顔を上げた。
エレノアの動きが、ピタリと止まった。
数秒間の沈黙の後、彼女は突然ベッドから飛び起きた。
そして、ふらつく足取りを気力で支え、俺の目の前で、流れるような動作で跪いた。
王侯貴族、いや、神に対して捧げるような、最敬礼の姿勢だ。
「わたくし、エレノア・フォン・シルバクロイツ! その大いなる知識と御業に、心より感服いたしました! どうか、このわたくしを、貴方様の弟子にしてくださいませ!」
「へ?」
思わず、あっけにとられて、間抜けな声が出た。
弟子? 誰が? 誰に?
聖女といえば、帝国の国教会の顔だ。そんな人間が、一介の追放貴族である俺に弟子入り?
いやいやいや。待て待て。
俺の脳内で、緊急警報が鳴り響く。
俺はただ、辺境で静かに、快適に暮らしたいだけなんだ。 こんな超有名人を弟子になんてしたら、どうなる? 帝国の貴族や教会が血眼になって探しに来るだろう。「聖女を誘拐して誑かした」とか難癖をつけられて、俺のスローライフ計画が根本から崩壊する未来しか見えない。
いやいやいや、ないないない。
俺の目的は、あくまで「平穏」と「快適」。
名声も権力も、そして何より「面倒ごと」は、絶対にお断りだ。
「いや、それは無理だ。俺はただの……」
俺が断固拒否の言葉を紡ごうとした、その時。
エレノアは顔を上げ、潤んだエメラルドの瞳で俺を射抜いた。そこには、一切の迷いも、冗談の色もない。ただ純粋な、求道者としての情熱だけが燃えていた。
「お願いします、師匠! わたくしに、その『世界の理』を教えてください! そのためなら、どんな下働きでもいたしますわ!」
聖女が下働き?
村人たちが「おいおいマジかよ」とざわめく中、俺は天を仰いだ。
こうして、俺の平穏な日常は、一人の聖女の、盛大な勘違いと暴走によって、終わりを告げる……のか?
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