第17話:科学の点滴とマナの溶接
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腕の中で、白銀の髪の女性の命が、まるで風の中の蝋燭のように揺らめいていた。
「とにかく、俺の家に運ぶぞ!」
俺の叫びに、村人たちが我に返ったように動き出す。俺は彼女を慎重に抱え上げ、まだ新築の匂いがする我が家へと急いだ。
清潔なベッドにそっと横たえると、村の女たちが濡れた布で彼女の汗を拭い、男たちはただ心配そうにその様子を見守っている。
「アシュラン、どうなんじゃ? 助かるのか?」
ギードが、不安を隠せない声で尋ねる。
「分からない。だが……ただの疲労や病気じゃないのは確かだ」
俺は彼女の手首を掴み、脈を測りながら思考を巡らせる。
脈は弱く、不整脈が出ている。体温は低く、まるで冷たい石のようだ。だが、熱があるわけでも、どこかに出血があるわけでもない。病的な症状が見当たらないのに、命の灯火だけが小さくなっている。
「ギード。さっき彼女、倒れる前に『生命力に満ちた土地』と言っていたな」
「うむ。確かにそう呟いておった」
「砂漠で喉が渇いた人間は水を求める。飢えた人間は食料を求める。ならば、彼女が求めていたのは……」
俺は、彼女の青白い顔を見下ろした。
「……『生命力』そのもの、ということになる」
「生命力、じゃと?」
「ああ。彼女自身の言葉と、この異常な衰弱ぶりを照らし合わせるなら……今の彼女は、生命を維持するためのエネルギーそのものが枯渇しかけている状態だと推測できる」
それは、魔法使い特有の症状だと、この世界に来てから得た知識で知っていた。魔力枯渇。治癒魔法の使い手が、自らの許容量を超えて力を使った時に陥る、一種の燃え尽き症候群だ。肉体ではなく、魂そのものが衰弱していく。
「治癒魔法は……効かんのか?」
誰かがそう言ったが、俺は首を横に振った。
「多少の効果はあるかもしれんが、根本的な解決にはならんだろうな。それに、ここまで進行していては回復は難しいだろう。割れた椀に水を注ぐようなものだ。そもそも、命を受け止める器そのものが、壊れかけているんだからな」
村に、重苦しい沈黙が広がる。
だが、俺は諦めていなかった。物理学者としての俺の目が、この現象を別の角度から捉えていたからだ。
生命力の枯渇。それは、科学的に言えば、極度の代謝機能の低下だ。栄養も、水分も、自力で摂取・吸収できないほどの、深刻なシャットダウン状態。
ならば、外部から強制的にエネルギーを供給し、再起動させるしかない。
「ドルガン! ヘイム! 緊急の依頼だ!」
俺は、二人に矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「ドルガン、極細の『中空の針』を作ってくれ。血管に差し込めるほど細く、中が空洞になっている管だ」
「なっ……!?」
さすがのドルガンも絶句した。
「おいおいアシュラン、無茶言うな! 鉄をそこまで細く叩き伸ばして、しかも中を空洞にするなんて、今の設備じゃ無理だ! 何日もありゃ別だが、今すぐなんて神業でも不可能だぞ!」
「くっ……やはり無理か……」
俺が唇を噛み締めた、その時だった。ドルガンがふと何かを思い出したように顔を上げた。
「待てよ……。細くて、中に空洞がありゃいいんだな?」
「あ、ああ。そうだ」
「ちょっと待ってろ! 心当たりがある!」
ドルガンはそう叫ぶと、脱兎のごとく部屋を飛び出し、自分の工房の方角へと駆けていった。
「心当たり……?」
俺とヘイムが顔を見合わせている間に、数分もしないうちにドルガンが息を切らして戻ってきた。
その手には、鋭く尖った、半透明の琥珀色をした長い棘が握られていた。
「はぁ、はぁ……こいつなら、どうだ?」
「これは……?」
「この前の森の開拓で見つけた、巨大蜂の毒針だ。硬くて鋭いが、中は毒を通すために空洞になってる。こいつを加工すれば……!」
ドルガンは針を光にかざし、その先端の鋭利さと強度を瞬時に見極める。
「いける! こいつの根元を削って管を繋げられるように加工し、先端をさらに鋭く研ぎ澄ませば、極上の針になるぜ!」
「さすがだ、ドルガン! 加工を頼む!」
「任せろ! 俺の全神経を注ぎ込んで仕上げてやる!」
ドルガンが再び風のように鍛冶場へ走る。
俺は次いでヘイムに向き直った。
「ヘイム、点滴……いや、送液セットを作ってくれ」
俺は手近にあった羊皮紙に、木炭でさらさらと全体図を描きながら説明する。
「こんな風にガラス瓶を逆さに吊るし、そこから液体を少しずつ落とす装置だ。一番重要なのは『管』だ。柔軟性があり、絶対に水漏れしない細い管が必要だ」
「管か……。動物の腸を極限まで薄く伸ばしてなめした『ソーセージの皮』みたいなやつがある。あれを松脂でコーティングして繋げば、かなり丈夫でしなやかな管になるはずだ」
「よし、それで頼む! それと、一番重要な部品がもう一つある」
俺は図面に、管の途中にある膨らんだ部分を書き足した。
「途中に、ガラスの小部屋を挟んでくれ」
「小部屋? なんでそんなもんが要るんだ? 直接繋いじまえば早いだろう」
ヘイムが不思議そうに首を傾げる。俺は真剣な表情で首を横に振った。
「いいかヘイム。血管に空気が入ると、最悪の場合、心臓が止まって死ぬ」
「なっ……! 空気だけでか!?」
「そうだ。だから、絶対に空気を入れない仕組みが必要なんだ。この小部屋に一度薬液を溜め、液面を作る。そうすれば、下流の管には液体だけが満たされ、空気の混入を完全に防げる」
俺は図の液面部分を指差した。
「さらに、ここなら薬液が落ちる様子が見えるだろう? これで滴下リズムを確認し、脈拍に合わせて量を調整するんだ。この『目視確認』こそが、安全の要なんだよ」
「なるほど……。ただ流せばいいってもんじゃねえんだな。命を預かる道具だ、わかった、完璧に作ってみせる!」
そして俺自身は、村の貯水池から汲んだ清潔な水を、ろ過装置でさらに磨き上げ、それを鍋で煮沸して完璧な蒸留水を作った。そこに、ごく微量の塩と、森で採れる甘い樹液から精製した糖分を、正確な濃度で溶かしていく。
生理食塩水とブドウ糖液。もっとも原始的だが、もっとも確実な延命措置だ。
数時間後。全ての部品が揃った。
ドルガンが持ち帰ったのは、宝石のように磨き上げられた魔獣の針。
ヘイムが作ったのは、煮沸消毒されたガラス瓶と、そこから伸びる半透明の有機的なチューブ。
それらが組み合わさり、異世界仕様の「点滴セット」が完成した。
俺は、完成したばかりの器具を手に、女性の元へ向かった。
「アシュラン、そいつは一体……?」
「医科学の力だよ」
俺は、彼女の腕の静脈を慎重に探し当てると、祈るような気持ちで、ドルガンが加工した魔獣の針をそっと突き立てた。痛みを与えないよう、極限まで鋭く研がれた針先は、抵抗なく皮膚を滑り抜ける。
そして、木のクリップを緩めると、瓶からチューブを通って、ぽつり、ぽつりと、栄養溶液が流れ落ちていく。
「……これだけじゃ、足りないかもしれん」
科学的な処置は施した。だが、相手は「生命力」という、科学だけでは測れないものを失っている。物理的な栄養だけでは、魂の火を再び灯すには、何かが足りない。
俺は、村の子供たちに頼んでおいた物を手にした。
「光る苔……だな」
村の周辺に自生する、夜になると青白く発光する苔。
微弱な魔素を含んでおり、生命に対して親和性が高いことを俺は実験で知っていた。俺は、その苔から抽出した成分を、点滴の溶液にごく少量だけ混ぜ込んだ。
物理的な栄養という「燃料」と、微弱な魔力という「着火剤」。これで、消えかけた命の炎を、内側から支えることはできるはずだ。
だが、根本的な問題は解決していない。「割れた器」そのものを、どう修復するか。
俺は、彼女の衰弱した体にそっと手をかざした。目を閉じ、全神経を集中させる。
俺の体内には魔力がない。それは、完全な「無音」の世界だ。
だからこそ、聞こえる。静まり返った部屋で、床に針が落ちる音すら響くように、彼女の体内から発せられる、微弱な生命エネルギーの「音」が。
(……酷いな。嵐のようだ)
彼女のエネルギー循環は乱れきっていた。そして何より、その中心部、魂の器とも言うべき場所に、明確な「裂け目」が生じていた。そこから、貴重な生命エネルギーが、シューシューと音を立てて絶え間なく漏れ出しているのが、俺にははっきりと「聴こえた」。
これを塞がなければ、いくら栄養を入れてもザルだ。
だが、俺には魔法は使えない。直接、傷を治すことはできない。
ならば――物理法則で、エネルギーの流れをコントロールするまでだ。
俺は、急いで自室に戻り、以前から作成中だった「部品」を取り出した。
俺が個人的な趣味である天体観測のために、コツコツと作っていた二枚の石英レンズだ。
中央が厚く、縁に向かってなだらかに薄くなる、美しい曲線を描いた二つの凸レンズ。
反射炉の超高温で石英を溶かし、何週間もかけて手作業で磨き上げ、ミクロン単位の精度で曲面を仕上げたものだ。
俺はそのレンズの間に、すり潰した光る苔のペーストを挟み込み、空気が入らないように密閉した。
「マナ集光レンズ、とでも名付けるか」
俺は、そのレンズを彼女の胸の上、裂け目があると思われる位置にかざした。
レンズの中の苔が、ぼんやりと青白い光、マナを放っている。
俺はレンズの高さと角度を、ミリ単位で微調整していく。
俺がやろうとしているのは、太陽光をレンズで集めて紙を焦がす実験と同じだ。
苔から放たれる拡散したマナの波動を、レンズの屈折率を利用して一点に集中させる。そして、その焦点を、彼女の魂の「裂け目」にピタリと合わせる。
(……ここだ)
俺の指先が、最適なポイントを捉えた。
集中されたマナの光が、傷口に注がれる。それは「治療」というよりは、高エネルギーによる「溶接」に近いイメージだ。
通常、魔術師は自身の内なる魔力がノイズとなり、外部の微細なマナの流れをここまで正確に捉えることはできない。
だが、俺の体内には魔力がない。空っぽの器だからこそ、外部の魔素の揺らぎに対し、誰よりも敏感に感応し、操作することができる。
自然界のマナを、レンズという物理的装置で増幅し、それを感覚だけで制御する。これは皮肉にも、魔力を持たぬ俺にしかできない芸当だった。
じわり、と額に汗が滲む。
手元がわずかでも狂えば、焦点がずれて効果がなくなる。俺は彫像のように固まり、ただひたすらにレンズを保持し続けた。
俺の「耳」には、シューシューと漏れ出ていたエネルギーの音が、少しずつ、静かになっていくのがはっきりと聴こえていた。
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