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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第9章 自治と干渉

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第131話 視察と微笑

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

朝の冷たい空気が残る、外来客用の客舎前。


純白の法衣に身を包んだバルテル司祭と、その一行が静かに整列していた。

身なりに乱れはなく案内役を待つ姿は、いかにも礼をわきまえた客のそれだった。


村側の案内役として前に立ったのは、窓口管理であるロッテと、礼拝堂や休息所周りの実務を担当するエレノアの二人だ。俺はあえて彼女たちから数歩引いた位置から同行していた。

好きに見せればいいが、勝手はさせない。少し距離を取って見張るのが、今日の俺の役目だった。


「おはようございます、バルテル様」


ロッテが、手元の記録板を抱えながら、深々と礼をした。


「本日のご案内は、こちらで順路を定めております。ご要望がございましたら、その都度お申し出ください」


にこやかな口調だったが、独断での接触や詮索は許さないという釘でもあった。


バルテルは穏やかに微笑み、「ええ、もちろんです。皆様の定めに従いましょう」と頷いた。



視察の第一の行程は、朝の活気づく市場と共同広場だった。

野菜や日用品が並ぶ露店、整然と区分けされた荷車の動線を前に、バルテルはしきりに感心したような声を上げた。


「素晴らしい。これほど多くの難民を受け入れながら、市場に一切の混乱が見られない。見事な秩序ですな」


「でしょう! 当村の自慢の区画ですのよ!」


バルテルの言葉に、横から元気よく応じたのはエレノアだった。


今日の彼女は、動きやすい作業着に、泥だらけの長靴という出で立ちだった。朝早くから水場や休息所の見回りをしてきたのだろう。


「特にあちらの手洗い場と、お湯の煮沸釜は、わたくしたち衛生組合の肝いりですの!」


エレノアは胸を張り、泥だらけの長靴でずんずんと案内を進める。


「治療に使うお水は必ず煮沸してから使う。これは師匠の物理学(フィジック)に基づく衛生管理の要ですの! 最初は皆さん面倒がっておりましたけれど、今では子供たちも手洗いの順番をしっかり守れますのよ。精霊さんたちも、水場が整っている方が落ち着くと仰っておりますわ!」


誇らしげに語るエレノアの説明は、やや暴走気味で、いつも通り少し大げさだった。

ただの手洗いと湯沸かしを、さも高等な儀式か魔法の真理のように語っている。


「……ほう。物理学(フィジック)、ですか」


バルテルは穏やかな笑みを崩さなかった。だが、俺の位置からは、彼の目が一瞬だけ微かに細められたのが見えた。


(……違和感を持ったか)


無理もない。かつて帝国の聖女とまで呼ばれた娘が、神の教えや祭壇の荘厳さではなく、泥だらけの長靴を履いて衛生と水場の運用を誇らしげに語っているのだ。

宗教者の目には、どうにも収まりの悪い光景だろう。

だがバルテルは何も言わず、「素晴らしいご尽力です」とだけ返した。



続いて一行は、広場から続く木造の礼拝堂へと足を踏み入れた。


堂内では、何人かの村人が静かに祈りを捧げていた。

祭壇に向かって膝をつく者、胸の前で手を組む者、それぞれの思いを静寂の中で形にしている。


バルテルは礼拝堂の清謐な空気に触れ、満足げに頷いた。


「見事な祈りの場です。皆様の信仰の深さが窺えますね」


だが、彼が見ていたのは祈りそのものではなく、その後の人の流れだった。

祈りを終えた村人たちは、誰かの説教を待つことも、長く堂内に居座ることもなく、そそくさと出口へ向かい、隣接する休息所へと自然に流れていく。


「お祈りの後は、そのまま休息所へどうぞ、ですわ」


エレノアが、祈りを終えた老女の背中を優しくさすりながら声をかけた。


「悲しいことも苦しいことも、一人で胸に溜め込むとよろしくありませんもの。温かいお茶があるだけでも、ずいぶん違いますのよ?」


「ありがとうねえ、エレノアちゃん」


老女は柔らかく微笑み、休息所へと歩いていく。


バルテルの目が、その一連の流れをじっと観察していた。


村人たちは司祭の言葉を待たない。祈りを終えると自然に休息所へ流れ、顔なじみに言葉をこぼし、茶を飲み、また日常へ戻っていく。

バルテルは、その流れを黙って見ていた。



そのまま一行も休息所へと足を踏み入れた。

そこでは、遺族や疲れた顔をした者たちが茶を飲みながら話をしており、当番の村人たちがそれに相槌を打っていた。


エレノアは使節団の案内もそこそこに、ごく自然な動作で空になった茶の薬缶を取り換え、咳き込んでいる子供の体調を確認し始めた。


一方のロッテは、少し離れた位置から休息所の利用状況を記録板に書き留め、動線の確認に徹している。


誰も神の教えなど説かない。

それでも、ここで少し息をついて、皆また自分の暮らしへ戻っていく。


「……エレノア殿は、いつもこのように皆を助けておられるのですかな」

休息所の隅で、バルテルがふと声をかけた。

「帝国でその御力をもって知られていた頃とは、ずいぶん趣が違うようだ」


探るような言い回しだったが、エレノアは手にしたふきんを洗いながら、不思議そうに小首を傾げた。


「ええ。わたくし、今は衛生組合長でもありますもの!」

そう言って、彼女は屈託なく笑う。


「お祈りだけではお腹も温まりませんし、手も洗えませんでしょう?」

いかにもエレノアらしい返答だった。


だが、バルテルの笑みはその一瞬だけ、ほんのわずかに薄くなった。



「……あの、少々よろしいでしょうか」


バルテルの後ろに控えていた若い書記官が、愛想の良い笑顔でロッテに近づいた。


「これほど見事な休息所、ぜひ我々も参考にさせていただきたい。差し支えなければ、一日の利用者数や、お世話をする方々の動き、それから……最近、弔いの多い区画などを教えていただけないでしょうか。支援の参考にもなりますので」


言葉遣いは丁寧だったが、聞いていることははっきりしていた。


ロッテは記録板を胸に抱え直し、一切の表情を変えずに真っ直ぐに書記官を見つめ返した。


「お気遣い、痛み入ります。ですが、必要な範囲の記録は、すべて村の内部で管理しております」


ロッテの声は穏やかだったが、引く気はまるでなかった。


「当村の窓口から、外部の方へ個別の情報や集計をお出しすることはございません。ご不便をおかけしますが、当村の規則ですので、どうかご理解ください」


ロッテは、決められた筋をそのまま通しただけだった。

だからこそ、書記官もそれ以上は食い下がれず、「……失礼いたしました」と引くしかなかった。


俺は壁際からそのやり取りを見て、小さく鼻を鳴らした。


ロッテは簡単には崩れない。

だが相手も、今日一日でどこを突くべきかくらいは見たはずだ。



夕刻。

外来客用の客舎の一室には、視察を終えたバルテルと書記官の姿があった。


「……いかがでしたか、バルテル様」

書記官が、戸締まりを確認してから小声で尋ねる。


「あの窓口の娘、思いのほか口が堅く、名簿の内容には一切触れさせませんでした」


バルテルは椅子の背にもたれ、目を閉じたままゆっくりと首を振った。

「そのようなものは、後からどうにでもなります。それよりも……今日の視察で、彼らの仕組みがよく見えました」


バルテルが静かに目を開く。そこには、昼間の穏やかな笑みはもうなかった。


「礼拝堂は見事です。ですが、人をつなぎ止めているのは祭壇そのものではありません。あの後ろにある休息所と、世話役たちでしょう」


書記官がハッとしたように息を呑む。

「では、教会の言葉もないまま、独自の慰撫が成立してしまっていると……?」


「ええ。もう、ウルムなりの慰め方ができてしまっている。しかも、聖女までが祈りより手洗いや茶の温度を口にするのですから」


バルテルは立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。

「定めは固く、休息所ももう回っている。これを外から力ずくで崩すのは無理でしょう」


窓の外では、礼拝堂を出た村人たちが休息所へ向かっていた。

「……手を入れるべきは、礼拝堂そのものではありません。その外でしょうな」

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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