第130話 使節と礼節
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朝のウルム村。共同広場へと続く入り口の街道に、一つの集団が姿を現した。
先頭を進むのは、純白の法衣に金の刺繍を施した初老の男。その後ろには、記録板を抱えた書記官らしき若い神官と、実務を担う補佐役、そして無駄がない動きで周囲を警戒する数名の護衛が続いていた。
彼らの胸元と錫杖には、「十字に絡みつく蛇」の紋章が揃っていた。
その印を見れば、聖教国の正式な使節団だとすぐに知れた。
「……随分と、立派な方々がいらしたね」
「聖教国のお偉いさんか? なんでまた、こんな辺境の村に……」
定期市のために集まっていた村人たちが、遠巻きにざわめきながら道をあける。
武装した兵士でも、凄みを利かせた無法者でもない。
だからこそ、彼らがまとっている静かな秩序が、かえって村人たちを緊張させた。
◇
村の入り口に設けられた管理窓口。そこに立つロッテは、近づいてくる使節団を前に、深く深呼吸をして姿勢を正した。
「よくいらっしゃいました。私は当村の管理窓口を預かっております、ロッテと申します」
ロッテは、へりくだりすぎず、かといって礼も欠かさないよう頭を下げた。
その後ろには、クラウスが一歩退いた位置で静かに控えている。
彼は目を細め、服の仕立てや従者の立ち位置、護衛の身のこなしを一つずつ見ていた。
それだけで、相手がただの慰問ではないことは十分だった。
(……高位の司祭に、手慣れた書記。慰問の形をとってはいるが、ただの巡回ではないな)
クラウスはロッテの背中越しに、ほんのわずかな合図を送った。さらにその後方には、オドランが普段の気配を消し、有事の際の壁となるべく静かに立っていた。
「突然の訪問をお許しください」
使節の代表である初老の司祭が、穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「私は聖教国より遣わされました、巡回司祭のバルテルと申します。此度の動乱で苦しむ人々を慰撫する旅の途中、この街に大変立派な祈りの場があると伺い、足を運ばせていただいた次第です。是非とも、あなた方の、礼拝堂を見せていただきたいと思いましてね」
「……え? 街、ですか?」
ロッテは一瞬だけ目を瞬かせたが、すぐに表情を整えた。
「お褒めいただけるのは嬉しいですが、ここはまだウルム村です」
バルテルは目を細めて愉快そうに小さく笑った。
「ご冗談を。これほど多くの人々が暮らし、見事な市場と整然とした街並みを持ち、なおかつ立派な礼拝堂まで備えている。このように発展した街は、王都の近郊を探してもそうそうありませんよ」
バルテルの声は柔らかく、よく通った。
「そうですか……。ご丁寧なご挨拶、痛み入ります」
ロッテは表情を崩さず、言葉を返す。
「当村の礼拝堂は、どなたでも祈りを捧げられる場です。もちろん、ご案内させていたします」
◇
使節団は、村の迎賓館の応接室へと通された。
応接のテーブルには、カイン、ロッテ、そして村の客人を迎える顔としてエレノアが同席している。壁際にはクラウスとロイル、そして俺が静かに控えていた。
「いやはや、驚きました」
供された温かい茶に口をつけ、バルテル司祭は感嘆の声を上げた。
「これほどの辺境に、これほど多くの難民を受け入れ、さらにあれほど立派な礼拝堂を維持しておられるとは。皆様の慈悲深さとご尽力には、ただただ感服するばかりです」
「まあ、聖教国の方にそんな風に褒めていただけるなんて嬉しいですわ」
エレノアが、笑みを浮かべて応じた。
「祈る方が増えるのは、とてもよいことですもの。皆さんも、きっと心安らぐはずですわね」
エレノアが素直に受け取る一方で、カインとクラウスは別のところを見ていた。
「つきましては、我々聖教国としても、皆様の尊い行いにぜひ助力させていただきたいのです」
バルテルは、いかにも親身な様子で身を乗り出した。
「あのような立派な礼拝堂を維持するのは、さぞご苦労も多いでしょう。我々から、維持のための寄進と、正式な祈祷書や祭具をご提供させていただきたい。……また、日々増え続ける信徒たちを慰撫するため、しかるべき形で巡回司祭を継続的に派遣し、正しき導きの下で保護することも考えております」
寄進。祭具の提供。司祭の派遣。
言葉だけを見れば、ありがたい申し出だ。
だが、「正式な」「継続的に」「正しき導きの下で」――そのあたりだけは、どうにも引っかかった。
「……大変ありがたいお申し出です」
カインが、眼鏡の奥の瞳を冷ややかに保ったまま応じた。
「ですが、当村の礼拝堂は村の定めに則って、有志の手で管理しております。特定の教えや指導者は置かず、誰もが自由に祈れる場として扱っておりますので……。今の村では、それが必要なのです」
「……ほう」
バルテルが、ほんの一瞬だけ、訝しげに眉を動かした。
「指導者を置いておられない、と? それでは、日々の弔いや信徒の数の取りまとめは、どなたがなさっているのですか?」
「特に制限も掛けていません。弔いも、ご遺族や親しい方々がそれぞれの形で行っております」
ロッテが、カインの言葉を補足するように毅然と答える。
「すべては、村の定めの中で、村の代表が責任を持って管理しております」
バルテルは表情を崩さなかった。
だが、気にしているのが信仰の深さそのものではなく、誰がこの場を回しているのかであることは見て取れた。
「……なるほど。独自の素晴らしい定めをお持ちなのですね。よく分かりました」
バルテルは穏やかに微笑み、それ以上深く追求することはしなかった。
「本日はご挨拶のみに留めましょう。我々の支援のお申し出、どうか前向きにご検討ください」
バルテルはそう言って一度口を閉ざしたが、なおも穏やかな笑みを崩さぬまま、静かに言葉を継いだ。
「――もっとも、もし村長殿がお許しくださるのであれば、数日ほどこの村に逗留し、礼拝堂や信徒の方々のご様子を拝見できればと存じます。もちろん、当村の定めに従い、無用なご負担はおかけいたしません」
応接室の空気が、わずかに張った。
ギードは腕を組んだまましばし黙し、やがて重々しく口を開いた。
「……聖教国の正式な使節を、無下に追い返すわけにもいくまい」
書記官の青年が、わずかに安堵したように息をつく。
だが、ギードはそこで言葉を切らなかった。
「じゃが、この村にはこの村の定めがある。滞在は認めるが、好き勝手に見て回ってよいという話ではないからの」
「その点は、こちらで条件を明確にいたします」
カインが静かに引き取り、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「礼拝堂、休息所、市場を含め、視察や案内を要する場所については、すべてこちらに従っていただきます。滞在中、何かご要望がありましたら、必ず管理窓口を通してください。」
バルテルはカインの言葉を静かに聞き終え、それから深く頷いた。
「承知いたしました。こちらも礼を失するつもりはありません」
「では、外来客用の客舎を用意させよう」
ギードがそう結ぶと、バルテルは改めて丁重に一礼した。
表向きは礼を尽くした話し合いだった。
だが、この時点で相手は、挨拶だけして帰る客ではなくなっていた。
◇
その日の夕刻。
外来客用の客舎へ案内された使節団は、荷を解く間もなく、一室に集まっていた。
「バルテル様。いかがでしたか、この村は」
書記官の青年が、羽ペンの先を整えながら静かに尋ねる。
バルテルは椅子の背にもたれ、しばし目を閉じていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……礼拝堂は見事でした。信徒の数も、辺境の難民集落とは思えぬほど多い。ですが――」
そこで目を開いたバルテルの顔からは、先ほどまでの柔らかさが消えていた。
「由々しき事態だ。あれだけの信徒を抱えながら、教えを導く正式な司祭がおらず、管理権が世俗の代表に握られている。独自の定めで秩序を保っているつもりなのだろうが……それは、神の教えの外で人をまとめているということでもある」
書記官の青年が、わずかに眉をひそめた。
「では……やはり」
「力で脅す必要はありません」
バルテルは穏やかな声で言った。
「導き手の不在を埋め、保護の名目で関わればよいのです。村の定めとやらも、まだ我々を拒んでいるわけではありません。礼を尽くし、助力を申し出る形なら、いずれ深く入っていけるでしょう」
彼は窓の外、夕闇に沈みゆくウルムの灯を一度だけ眺めた。
「明日から、礼拝堂だけでなく休息所、広場、人の流れも見ていくとしましょう。どこまでが祈りで、どこからが村の裁定なのか――その境を見極めねばなりません」
彼らは剣を抜かず、声も荒げない。
その代わり、自分たちには手を差し伸べ、導き、収める資格があると本気で思っている。
次に伸びてくる手は、もっと丁寧に、もっと深く、ウルムの定めの中へ入ってくるはずだった。
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