第129話 半年と来訪
本日より、第9章始まります!
新たな物語の一歩を、ぜひご一緒いただければ幸いです。
そして本日から、更新は1日1話更新とさせていただきます。
引き続き、楽しんでいただけましたら幸いです。
『ウルム村定め書』が共同広場に掲示されてから、半年という月日が流れていた。
朝の冷たい空気が心地よく感じられる季節。ウルムの共同広場には、半年前とは違う活気があった。
広場の中央では、定期市の区画に沿って商人と客が売り買いをしていた。無許可の露店が場所を巡って怒鳴り合う光景は、もうない。
水場には当番の札が掲げられ、誰もが自分の順番を待っている。
作業の邪魔になる場所で子供が遊ぶこともなくなり、笑い声は広場の端の遊び場から聞こえてきた。
礼拝堂で朝の祈りを終えた者たちも、堂内に無駄に留まることもなく、横の休息所へ自然に流れていった。
休息所では温かい茶を飲みながら、世話役に日頃の愚痴をこぼし、あるいは誰かと語り合ってから、それぞれの仕事へと戻っていく。
どれも、上から無理やり押しつけられたものではなかった。半年のあいだに、住民たちが自分たちで使い込み、暮らしの中へ馴染ませていったものだ。
いちいちアシュランが口を出す必要もなく、ギードが村長として裁定を下す場面も減っていた。
ウルム村はもう、ただ生き延びるために流れ着いた者たちの避難村ではなかった。自分たちの定めで回り始めた、小さな街のようになりつつあった。
◇
村の入り口近くに新設された管理窓口。そこで、ロッテは次々と訪れる外来者の対応に当たっていた。
「はい、行商人の方ですね。木材の取引でしたら、こちらの青い木札をお持ちになって、市場の東側の窓口へお進みください。滞在日数は三日までとなっております」
「巡礼で礼拝堂へ向かわれるのですね。堂内は、武器の持ち込みと、特定の宗派を主張するような大声での布教活動はご遠慮いただいております。ご了承いただけましたら、こちらに記帳をお願いします」
ロッテの応対には、もう半年前のような迷いはなかった。硬すぎず、だが情に流されもしない。相手の面子は潰さず、それでも一線だけは越えさせない。彼女はその加減を、既に自分のものにしていた。
「ずいぶんと板についてきたな」
警備を兼ねて立っていたロイルが、感心したように口の端を上げた。
「前みたいに、一人で全部抱え込んで眉間に皺を寄せてたのが嘘みたいだ」
「からかわないでください。これも、カイン様が細かな手順を決めてくださったおかげです。それに……」
ロッテは少しだけ微笑んで、手元の記録板を見つめた。
「迷ったら、まず定めに立ち返ればいい。そう思えるだけで、前よりずっと動きやすいのです」
二人がそんな軽口を叩き合っていた時だった。
「――お忙しいところ、少々よろしいでしょうか」
窓口の前に、一人の男が立っていた。
灰色の簡素な外套を羽織り、一見するとどこにでもいる巡礼者のように見える。だが、言葉の端々や背筋の伸びた立ち姿に、そこらの巡礼者とは違うものがあった。
「はい。どのようなご用件でしょうか?」
ロッテがいつもの笑顔を向けると、男は穏やかに微笑み返した。
「通りすがりの神職の端くれです。この村の礼拝堂が大変立派だと伺い、足を運ばせていただきました。……ところで、あちらの堂内では、日々どれほどの信徒の方々が祈りを捧げておられるのでしょうか?」
世間話のような口ぶりだった。
だが、ロッテはそこで少しだけ身構えた。
「村の皆が、それぞれの折に触れて利用しております。数などは把握しておりません」
「なるほど。では、信徒たちをまとめ、教えを導く司祭殿は、どちらにいらっしゃるのでしょうか? ご挨拶に伺いたいのですが」
男はにこやかな表情を崩さないまま、一歩踏み込んでくる。
ロッテは毅然と、しかし声のトーンは和らげたまま答えた。
「ウルム村の礼拝堂には、司祭様はいらっしゃいません」
「……なるほど」
男の目つきが、一瞬だけ冷たくなった。
「それは少々、もったいないお話ですね。迷える羊たちには、正しい教えと導き手が必要不可欠かと存じますが。……ちなみに、堂の維持や管理権は、どなたが握っておられるので?」
「……村の代表が責任を持って管理しております」
ロッテは笑顔を崩さないまま、少し口調が厳しく答えた。これ以上は入れない、という返しだった。
「……なるほど。よく分かりました。色々と不躾なお尋ねをしてしまい、申し訳ありません」
男はそれ以上食い下がることはせず、恭しく一礼すると、村の奥へと歩み去っていった。
「……客ってより、値踏みだな」
男の背中を見送りながら、ロイルが低く呟いた。
「商人の見方じゃねえな。探ってる感じだった」
現場の空気を読むロイルの直感は、その男がただの物見遊山ではないことを見抜いていた。
「ええ。私もそう思います」
いつの間にか、奥からカインが姿を現していた。彼は眼鏡のブリッジを押し上げながら、去っていった男の背中を冷ややかに見据えている。
「ただの巡礼でも、純粋な支援者でもありませんね。あれは、聖教国の下役か、その手の繋がりを持つ書記官の類でしょう」
カインは手元の書類に目を落としながら言った。
「彼らが見ていたのは、信仰の深さそのものではありません。誰が管理しているのか、どこまで把握されているのか、そのあたりです。要するに、この村へ入り込む足場を探りに来たのでしょう」
カインの言葉に、ロッテは小さく息を呑んだ。信徒の保護や教えの指導を口実に、村の運営そのものへ手を伸ばしてくるのだとしたら――。
「……聖教国の連中か。いよいよ本格的に干渉してきやがったか」
ロイルが、忌々しげに首の後ろを掻いた。
◇
その日の夕刻。
迎賓館の一室で、アシュラン、ギード、カイン、ロッテ、エレノアの五人が話合いの場を持っていた。
「……というわけで、本日の来訪者は、礼拝堂の運用と管理状況について不自然なほどの関心を示していました」
ロッテの報告を受け、ギードが深く腕を組んで目を閉じた。
「聖教国、か。王都が機能を失い、地方の領主たちも浮足立っておる今、あれが独自に動き出しても不思議ではないのう」
「ええ。独自の定めで運用していて、しかも外からの権威が入っていない礼拝堂まである。彼らからすれば、入り込むにはちょうどいい足場に見えるでしょう」
カインが淡々と事実を述べる。
「放置されている迷える信徒を保護するとでも言えば、あちらは正面からこの村へ口を出せますから」
「そんな……。私たちは、ただ静かに祈る場所を守りたかっただけなのに……」
ロッテが痛ましそうに伏し目がちになる。
「だからこそ、連中にとっては都合がいいんだ」
窓辺にもたれていた俺は、そこで口を挟んだ。
「今日来たのはただの下見だ。だが、次に来るのは……」
俺は集まった顔ぶれを見回して言った。
「自分たちには、この村の在り方に口を出す権利があると思い込んでいる……厄介な相手だ」
◇
その頃。
ウルム村から東へ向かう街道を、昼間の灰色の外套を着た男が馬を歩ませていた。
男は手綱を片手で操りながら、分厚い手帳にサラサラと報告のメモを書き込んでいる。
『……対象の村における、礼拝堂の存在を確認。規模、設備の質ともに、辺境の難民村としては破格のものなり』
『一定数の信徒が存在するが、それらをまとめる司祭や指導者は不在。信仰は管理者の手を離れている』
『村自体は独自の定めで運営され、外部からの干渉への警戒も強い。自警団の練度、管理体制ともに、もはや単なる避難村とは言い難い』
『――以上の点から、対象は早急な教化と保護を要する。放置すれば、異端の温床、あるいは独自の勢力となる恐れあり』
男はそこでペンを止め、背後の夕闇に沈みゆくウルム村を一度だけ振り返った。
「よく育っている。あとは、こちらの手を入れればいい」
男は満足げに手帳を閉じると、聖教国の支部が置かれている東の拠点へ向けて、馬の歩みを速めた。
◇
半年前、ウルムはようやく自分たちの定めを持った。
そして今、その定めで回り始めた姿そのものが、外の目を引き始めていた。
次にこの村へ来るのは、物見遊山の旅人でも、商機を追う行商人でもない。
神の権威を背に、この村の在り方そのものを見極めようとする者たちだった。
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