幕間:8-2 神輿と生贄
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王城の奥深く。先の動乱による焼け焦げた匂いが未だ微かにこびりつく一室で、公爵派の重鎮と実務を担う高級官僚たちによる密談が行われていた。
分厚い絨毯が敷かれた床。豪奢な装飾の円卓。
だが、そこに集う者たちの顔に、勝者らしい余裕は薄かった。
「……王都南区画の配給所で、また暴動未遂が起きました。兵を動かして鎮圧しましたが、平民たちの不満は限界に近づいています」
「治安の悪化も歯止めが効きません。辻斬りや強盗が横行し、商人の足が完全に止まっています。このままでは王都の経済そのものが死に絶えますぞ」
次々と上がるのは、王都の悪化を告げる報告ばかりだった。
公爵派は王城こそ押さえたが、破壊された街を立て直し、飢えた民を生かす実務では、あまりにも脆かった。
「一部の区画では、配給の不足を旧王家時代と比べ、同情を寄せるような不穏な空気すら漂い始めているとのことです」
その報告に、円卓の上座に座る恰幅の良い男――公爵の最側近である老政務官が、冷ややかな鼻を鳴らした。
「下賤な平民どもめ。誰のおかげでこの街の秩序が保たれていると思っているのか」
この密室で話されているのは、王都をどう立て直すかではなかった。失政の目をどこへ逸らし、誰に責任を負わせるか、それだけだった。
「不満の矛先を、他へ向けさせる必要があります。……逆賊アシュランと、それを匿うウルム村。そして旧王家の残党どもです。諸悪の根源はすべて彼らにあり、我々はその尻拭いをしているだけだと吹聴させるのです」
「しかし、それだけでは腹の足しになりません。平民を黙らせるには、目に見える『希望』が要るでしょう」
一人の官僚が口にした言葉に、老政務官は薄く、残酷な笑みを浮かべた。
「ならば、アルベール様にお出ましいただこう」
その名が出た瞬間、円卓を囲む者たちの間に、冷たく事務的な同意の空気が広がった。
「なるほど。公爵家の嫡男たる若き英雄として、王都再建の声明を出させるのですね」
「あれは都合がいい。血筋だけは立派で、誰かに認められたくて仕方がない。救世主として担ぎ上げれば、喜んで前へ出るでしょう」
彼らの言葉に、アルベールへの敬意など微塵もない。あるのは、手駒としての使い勝手を評価する冷徹な計算だけだ。
「ええ。平民の不満を受け止めるための、立派な『器』になります。そして……」
別の側近が、声を潜めて付け加えた。
「いざとなれば、暴走した若造一人に全ての責任を負わせ、我々は被害者を装って切り捨てることもできる。平民の怒りを鎮めるための、極上の『生贄』になるというわけです」
「結構。では、あの公子には高く見える旗印として振る舞っていただこう」
誰かの命運を決める冷たい密談は、事務的な確認作業のように淡々と進められていった。
◇
同じ頃。
旧王族用の居住区画の一室で、アルベールは真新しい絹の服に袖を通し、姿見の前で自身の姿を見つめていた。
部屋には豪奢な調度品が揃えられ、食事も王都の現状からは考えられないほど贅沢なものが運ばれてくる。だが、重厚な扉の外には常に公爵派の兵士が立ち、彼の行動を監視している。
厚遇の形をした牢獄だった。
だが、アルベールはその現実を見ようとしなかった。
(やはり、私が必要なのだ。公爵派の連中も、この王都も、私という存在なしにはまとまらないのだ)
彼は鏡の中の自分に向け、得意げに微笑んだ。
軟禁状態にあることすら、彼は「自分の身の安全を最優先に守ってくれている」と都合よく解釈していた。周囲の役人たちが以前よりも丁重に接してくるのを、自身の評価が回復し、王国の主役として再び返り咲く日が近い証拠だと本気で信じ込んでいた。
「父上……見ていてください。私こそが、あなたの後継者に相応しいと証明してみせます」
アルベールを突き動かしているのは、承認への飢えと、身の程を知らぬ野心、そして現実を他人のせいにする被害者意識だった。
(すべては、あのアシュランのせいだ……!)
鏡を見つめる彼の瞳に、どす黒い憎悪が宿る。
自分の権威が失墜したのも、王都がこれほど混乱しているのも、すべてはあの目障りな騎士と、彼を匿うウルム村のせいだ。あいつさえいなければ、自分は誰からも称賛される完璧な支配者として君臨できていたはずなのだ。
「待っていろ、逆賊め。私がこの手で、必ず討ってやる」
誰もいない部屋で、アルベールは誇り高く剣の柄を握りしめた。
自分がすでに、公爵派が仕立て上げた「都合のいい舞台」の上で踊らされているだけの道化であることに、彼は何一つ気づいていなかった。
◇
再び、公爵派の密室。
アルベールの処遇が決定し、次の議題に移ろうとした時、情報部を統括する男が、手元の書類を険しい顔で睨みながら口を開いた。
「……最後に一つ、看過できない報告が上がっています」
男の重い声に、円卓の空気がわずかに張り詰める。
「王都の市井や、東の街道沿いの宿場町などで……シャルロッテ王女が生存しているという噂が、まことしやかに囁かれ始めているとのことです」
その報告に、これまで冷ややかな余裕を保っていた重鎮たちの顔色が変わった。
「馬鹿な。あの小娘は、王城の奥深くで炎に巻かれて死んだはずだ。遺体こそ見つかっておらんが、生き延びられる状況ではなかった」
「しかし、噂は確実に広まりつつあります。単なる流言飛語として笑い飛ばすには、少し無視できない広がり方を見せています」
老政務官が、忌々しげに舌打ちをした。
「……アルベールのような『中身が空っぽの血筋』なら、いくらでも扱える。だが、あの王女は違う。表に出ることは少なかったが、だからこそ余計な憎まれも買っておらん。何より、あれには我々を脅かすだけの『本物の正統性』がある」
権力者たちは、王女の存在が持つ意味を正確に理解していた。
今の王都は、不満がそこらじゅうに溜まりきっている。そこへ「正統なる王女の生存」という噂が乗れば、新たな求心力になりかねない。
「平民のただの雑談で済んでいるうちはいい。だが、放置すればいずれ、我々の首を絞める『旗』として祭り上げられる危険がある」
老政務官が、冷酷な決断を下す。
「噂のうちに潰せ。情報部を総動員し、東の街道を徹底的に洗え。もし万が一生きているのなら……我々の統治の邪魔になる前に、確実に見つけ出して消し去るのだ」
王女生存の噂は、もはや市井の慰めなどではない。
権力側が明確な「排除すべき脅威」として認識した瞬間だった。
◇
その日の午後。
アルベールの部屋の重厚な扉が開き、公爵派からの使者が恭しく頭を下げて入室してきた。
「アルベール様。本日は、折り入ってのお願いの儀がございまして参上いたしました」
使者が深々と頭を下げるのを見て、アルベールは内心の歓喜を押し隠し、公爵家嫡男らしい鷹揚さを装って顎を引いた。
「申してみよ。私にできることであれば、力を貸そう」
「はっ。現在、王都の民は先の動乱による傷跡に苦しみ、新たなる導き手を求めております。どうかアルベール様には、正統なる公爵家の継承者として、王都再建の象徴となっていただきたいのです」
使者は芝居がかった手振りで、アルベールを持ち上げる。
「数日後、広場にて平民たちに向けた声明を出していただきたい。逆賊アシュランを討ち果たし、この国に真の平和を取り戻すという、アルベール様の力強いお言葉を、民は待ち望んでおります」
(ついに来た……!)
アルベールは歓喜に震える拳を、背中の後ろで強く握りしめた。やはり自分は選ばれたのだ。この国を正しき道へ導くための、唯一無二の存在として。
「……よかろう。民が私を求めているというのであれば、応えぬわけにはいかない」
アルベールは尊大に頷き、使者を見下ろした。
「任せておくがいい。私こそが、逆賊の首を討ち、この王国を再び偉大な姿へと導いてみせる」
「おお、ありがたきお言葉。アルベール様のそのご覚悟、公爵閣下もさぞお喜びになるでしょう」
使者は深く頭を下げた。
深く下げられたその顔に冷たい嘲笑が浮かんでいることなど、玉座の幻に酔う若者には知る由もなかった。
使者が退室し、密室に戻って報告を終えると、老政務官は満足げにワイングラスを傾けた。
「見事なものだ。自分がすでに死地へ向かう祭壇に上げられているとも知らず、喜んで首を差し出してくるとはな」
老政務官は、グラスの中の紅い液体を揺らしながら、独り言のように呟いた。
「実際に兵を動かして辺境を攻める余裕など、今の王都にはない。だが、奴が外の敵を声高に罵れば、平民の腹の虫はしばらくそちらへ向く。それで足りるのだ。」
「旗は、高く掲げられてこそ意味がある。平民の目を惹きつけ、不満を集めるための標的としてな」
王都の権力の中心は、すでに完全に腐敗していた。
勝者たちは、今日を回すための理を持たず、ただ他人を犠牲にして延命することだけを考えている。
その冷たい謀略の刃が、遠く離れたウルムへ静かに向けられ始めていることを、この時のアルベールは知る由もなかった。
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