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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第8章 共生と定め

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第122話 祈りと安堵

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

カインたちが男爵家の使者と対峙し、村に手出しできないようきっちりと線を引いてから数日が過ぎた。


朝の共同広場は、表面上はいつもの生活の喧騒を取り戻している。だが、水汲み場や物干し台の隅で交わされる立ち話には、微かな熱と不安が混じっていた。


「本当に、もうあの領主の兵隊は来ないのかね」


「あんな貴族様を敵に回して、この村は大丈夫なんだろうか……」


「でもよ、あのまま好き勝手に税だのなんだのと口を出されるよりはマシだっただろ。それに、あの鉄の人形……この村はタダの開拓地じゃない」


安堵と不安が入り交じった噂話だった。

カインの隙のない手腕とスマートゴーレムの圧倒的な武威は、不当な外敵を退けた。だが同時に、避難民たちへ「自分たちはどれほど大きな力に守られているのか」という畏れも刻み込んでいた。


広場を巡回するロイルが、噂が妙な熱を持ちすぎないよう、気のいい兄貴分のような顔で「まあ、心配すんなって。俺たちがついてる」と軽く声をかけて回っている。


その少し後ろで、簡素な村娘の服を着たロッテが記録板を抱えながら、住民たちの表情や声のトーンを注意深く観察していた。


丘の家からその様子を見下ろしながら、俺は冷めたコーヒーを口に運んだ。

外からの圧力を、物理的にも法的にも退けたからといって、それで全てが終わるわけではない。むしろ、外の脅威が遠のいて少し息がつけるようになった今だからこそ、行き場を失った不安や感情が、今度は内側で渦を巻き始める――そう考えるのは容易だった。


勝って終わりじゃない。こういう時ほど、内側の中身を整え、心を下ろす場所を作ってやらなければ、いずれ人心は荒れる。

その意味で、今日完成を迎えた「あの場所」の果たす役割は、俺が当初想定していた以上に大きいのかもしれなかった。



長屋区画から少し離れた、静かな木立ちのそば。

突貫工事ではあったが、雨風を凌ぐには十分な、簡素で清潔な木造の礼拝堂が完成した。


初日の開放となる今日、案内役を務めているのはエレノアだ。


「どうぞ、こちらへ。ここは誰のものでもありませんわ。どなたでも、静かにお使いくださいませ」


彼女の柔らかな声に導かれ、これまで広場の片隅で肩身を狭くして祈っていた避難民たちが、遠慮がちに、それでも吸い寄せられるように堂内へ入っていく。

床は掃除のしやすい石敷きで、内部には素朴な木製の腰掛けがいくつか並べられているだけだ。きらびやかな祭壇も、荘厳な神像もない。ただ「静寂」だけがそこにあった。


老婆が目を閉じて静かに祈りを捧げ、幼い子を連れた母親が、誰に気兼ねすることもなく小さな声で祈りの言葉を教えている。


「……広場の隅で、泥仕事の邪魔にならないかとビクビクしていた頃より、ずっと落ち着くね」


そんな小さな呟きが、静かな堂内にポツリと落ちた。


一方、少し離れた広場では、洗濯や水汲みをしている古参の住民たちが、気兼ねなく作業をしながら「祈りの集まりが離れてくれて、正直助かったよ」と、ほっとした表情を見せている。

祈る者にも、祈らない者にも、ようやく互いに息をつける余白が生まれていた。


礼拝堂の入り口付近では、ロッテが羊皮紙にペンを走らせ、利用者の数や時間帯、動線を黙々と記録している。そのさらに外側、少し離れた木陰では、ロイルが壁に背を預け、人が滞留しそうな場所や、無用なトラブルが起きないかを感覚的に見守っていた。



昼下がり。礼拝堂の中に、一つの家族が身を寄せ合うように集まっていた。

逃避行のさなかに亡くなった身内へ、せめて短い弔いだけでも捧げたい――そう願い出たのだ。


エレノアがそっと白布を整え、静かな黙祷の場が設けられた。

最初は、本当に穏やかな時間だった。残された者たちが目を閉じ、静かに手を合わせる。

だが、その沈黙の底から、不意に一人の老人が堪えきれなくなったように涙を零した。


「……ようやく、ようやくこうして、屋根の下で静かに手を合わせてやれた」


その震える声を皮切りに、家族の一人がぽつりとこぼした。


「本当なら、故郷のあの丘の墓地に埋めてやりたかった」


「あの村の、春になると咲く花が好きだったから……」


次々と、亡き人への想いと、失われた故郷の記憶が、とめどなく溢れ出し始める。それは単なる宗教的な儀式ではなかった。


入り口でその様子を見ていたロッテのペンが、ぴたりと止まる。

弔いとは、神へ向けた祈りであると同時に、彼らが長く胸の奥へ押し込めてきた感情の出口でもある。

ロッテは、そのことをようやく実感した。


外の木陰で見守っていたロイルも、中から聞こえてくるすすり泣きや、語られる言葉の熱を肌で感じ取り、小さく息を吐いた。


「……ここは、思った以上に重いもんを受ける場所になりそうだな」


ロイルの独り言は、誰に向けられたものでもなかったが、その場に漂う空気の重さを正確に捉えていた。

今はまだ、問題は起きていない。

だが、悲しみという大きな感情が、この小さな礼拝堂へ集まり始めている――そんな確かな予兆があった。



夕方。礼拝堂の初日は、大きな揉め事もなく無事に終わりを迎えようとしていた。


最後の一人が堂内から出ていくのを見届け、エレノアは深く安堵の息をついて微笑んだ。

丘の家から下りてきて合流したカインは、ロッテの記録に目を通しながら淡々と評価を下す。


「ひとまず、初日の運用としては形になりましたね」


カインは眼鏡のブリッジを押し上げ、礼拝堂を見据えた。


「ですが、予想以上に滞在時間が長くなる傾向があるようです。今後、利用者が増えた際の使い方の規則は、引き続き精査していく必要がありますね」


カインの視点はどこまでも実務的だ。だが、現場で彼らの表情を見ていたロッテは、記録板を抱きしめるようにして俯いていた。彼女には分かっていた。記録された人数や時間だけでは拾い切れない沈黙や、言葉にできずにいるためらいが、あの堂内には確かにあったのだと。


「まあ、泣ける場所があるってのは、思ったより大事なんだな。人間、ずっと気を張ってちゃ生きていけねえからよ」


ロイルが頭の後ろで手を組みながら、ふっと表情を緩めて言った。現場の空気を最も正確に吸い込んでいる彼の言葉には、妙な説得力があった。


「……そうだな。人が心を下ろせる場所は、間違いなく必要だった」


俺は夕暮れに染まる礼拝堂の屋根を見上げながら、短く応じた。


「だが、人が集まり、感情を吐き出せる場所は……いずれ別のものにもなる」


俺の呟きに、エレノアが不思議そうに首を傾げ、カインがわずかに目を細めた。


礼拝堂の利用時間は終わった。

だが、堂内から出てきた何人かの住人たちは、すぐには自分の長屋へ戻ろうとせず、建物の外の少し開けた場所で立ち止まっていた。


「うちの村は、もっと北の方でね……春になると、丘一面に花が咲く綺麗なところだったんだ」


「俺の故郷は西の川沿いでね。……あの小さな畑を、死んだ親父がずっと大事にしていてな……」


誰かが故郷の話を始め、別の誰かが死者の思い出を重ねる。最初は二、三人だったその輪が、ごく自然に、少しずつ大きくなっていく。


帰り支度をしていたロッテが、その光景に気づき、何かを言いかけて――やめた。

彼女の視線の先を追ったロイルもまた、立ち話の輪を見て、黙り込む。


祈る場所ができたことで、人々はようやく、落ち着いて手を合わせられるようになった。


だが同時に、その静けさは、彼らが生き延びるために押し込めていた「言葉」まで呼び寄せ始めていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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