第121話 越権と示威
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迎賓館の裏手、朝の冷たい空気が漂う中庭には、静かな、しかし確かな緊張感が満ちていた。
「準備は整いました」
旅装を整えたカインが、手にした革の鞄を軽く持ち上げてみせた。
その後ろには、ハンスを筆頭とする数名の自警団員たちが、隙のない隊列を組んで控えている。日々の厳しい訓練の成果か、彼らの立ち姿や視線の配り方は、以前の「ただの村人」のそれとは比べ物にならないほど統制が取れていた。
そして彼らの傍らには、二体の銀黒の騎士像が沈黙したまま佇んでいる。
カインが開発した次世代の「自律型汎用作業ゴーレム」だ。俺の前世の物理法則理論を応用した『マナ炉心』を搭載し、自律判断で動く規格外の自動人形である。かつて王国軍との戦いでも投入された機体と同型で、「殺傷」ではなく「排除」を優先するよう設計されている。その流線型の装甲は、ただ静かに立っているだけで、周囲の空気を押し潰すような無音の圧を放っていた。
「頼んだぞ、カインよ」
ギードがゆっくりと歩み寄り、村長の印が押された正式な委任状をカインに手渡した。
「お主が言うべきことを、きっちりと言ってくるのじゃ。その結果のいかなる責任も、村長の儂が持つゆえにな」
「承知いたしました、ギード村長。お心遣い感謝いたします」
カインは恭しく一礼して委任状を受け取った。
俺は少し離れた場所からそのやり取りを眺め、腕を組んだまま短く声をかけた。
「穏便に済ませろ。ただし、舐められるなよ」
「ええ。境界線を、誤解なく引き直してまいります」
カインは眼鏡の奥で冷徹な光を瞬かせ、静かに踵を返した。
俺のような得体の知れない劇薬が出向いて話をこじらせるより、理と実務の化身であるカインが立つ方が、この手の交渉にはよほど向いている。
彼らの背中を見送りながら、俺は執務室へと戻り、冷めたハーブティーを啜って結果を待つことにした。
◇
村の開拓地と男爵領を繋ぐ、境界の曖昧な街道沿いの広場。
乾いた風が吹き抜ける中で、二つの集団が対峙していた。
相手側は、以前視察に来た使者オスカーに加え、男爵家の代官格と思しき初老の男、そして見栄のために少し多めに並べた十数名の護衛たちだった。対するウルム村側は、カインとハンス率いる自警団員、そして二体のスマートゴーレムのみ。わざわざ相手の領地の奥深くに踏み込まず、境界の広場を交渉の場に指定したカインの判断は正しかった。
代官格の男は、最初こそ丁寧な皮を被って話し始めた。
「近隣安寧のため。流民流入が周辺に与える影響や、市場拡大に伴う懸念は看過できません。ゆえに監督・協議・協調が必要なのです」
もっともらしい名分を立て板に水のごとく並べ立て、介入の隙間をこじ開けようとする。
だが、カインはそれに一切の感情を交えず、事前に準備した理屈の刃で一刀両断にした。
「まず確認いたします。当ウルム村は、グレインベルク男爵家の封土ではありません。加えて、王国の正式な支配領として登記されてもおりません。従って、貴家には当村に対する監督権も、課税権も、いかなる命令権も存在しません」
どれほどもっともらしい大義名分を掲げようと、前提となる「権利」そのものが存在しない。それを、容赦なく突きつけたのだ。
「近隣領主としての責任を理由に介入を主張されるのであれば、その法的根拠を明示してください」
その一言に、代官格の男は言葉を詰まらせた。
出せるはずがない。彼らの要求は、正当な権利主張ではなく、結局のところただの越権行為にすぎないのだから。追い詰められた男は、「近隣の慣習」や「王国の秩序」といった曖昧な言葉に逃げ込もうとしたが、カインはそれすら冷たく切り捨てた。
「慣習は権限ではありません。秩序を語る前に、権利の所在を明らかにしてください」
一切声を荒らげることなく、ただ淡々と、論理の壁で相手を圧殺する。その見事な完封劇に、法と理屈で勝てないと悟った男爵家側は、どう出たか。
「辺境の寄せ集め風情が……王国の秩序に逆らう気か!」
代官の横にいた護衛の一人が、分かりやすく苛立ちを露わにして吠えた。そして、カインたちを威圧しようと、剣の柄に手をかけて半歩、前に踏み込んでくる。
だが、カインは微動だにしなかった。ハンスたち自警団も、カインの事前指示通りに動かず、ただ相手の出方を注視した。
動いたのは、背後に控えていたスマートゴーレムだった。
本当に、一瞬だった。
ハンスの目にも、どう動いたのか見えなかった。
護衛が柄にかけた手へ力を込めた、その次の瞬間には、剣は鞘から半ば抜けたまま弾き飛ばされ、地面に転がっていた。
そして男の喉元には、いつ距離を詰めたのかも分からぬまま、スマートゴーレムの銀黒の腕がぴたりと添えられていた。
男は転倒すらしていない。ただ、抜剣の途中で完全に動きを封じられていた。
血の一滴も流れない、無傷の完全制圧。
だが、その人間離れした速度と正確さは、中途半端な暴力よりもはるかに深い恐怖を相手に刻み込んだはずだ。
凍りついた広場の空気の中で、カインは静かに告げた。
「ご安心ください。こちらに争う意思はありません。ですが、明確な威迫と越権行為には即応できます。――今ので、十分ご理解いただけたかと」
オスカーの顔から常に張り付いていた愛想笑いが消え、代官格の男は青ざめたまま声も出せずにいた。
理で封じられ、力でも格の違いを見せつけられた彼らに、もはや前に進む選択肢は残されていなかった。
「き、近隣安定のための確認は済んだ。どうやら……誤解があったようだ。今後も友好関係を望む」
そう言って、面子を守るための空虚な言い訳を絞り出しながら、彼らは逃げるように馬車へと乗り込んだ。
相手に最低限の退路だけ残して、カインは最後に言い切った。
「友好的な往来や商いを拒むつもりはありません。ですが、不当な介入は一切認めません。境界を越えるのであれば、それ相応に対応するだけです」
男爵家の者たちが去っていくのを、カインたちは静かに見送った。
◇
数日後。
カインたちは何事もなかったかのように、誰一人欠けることなく帰還した。
「――以上です。少なくとも、この件で彼らが踏み込んでくることは当面ないでしょう」
執務室での報告を終え、カインは指先で眼鏡のブリッジを押し上げながら淡々と締めくくった。
「ご苦労じゃったな、二人とも。見事な仕事じゃ」
ギードが深く頷き、労いの言葉をかける。
俺も寝椅子からゆっくりと身を起こし、首の後ろを揉みながら息を吐いた。
「これで少なくとも、近隣の小物が軽々しく境界を越えてくることはなくなったな」
「ええ。少なくとも、近隣の小領主が軽々しく境界を越えてこられる状況ではなくなりました」
ウルム村は、理でも力でも、もはや近隣に軽んじられてよい場所ではない。
その事実を、今回の一件で周辺にきっちり示した。
少なくとも――グレインベルク男爵家との話は、これで終わりだ。
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