第120話 要求と名分
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俺たちが「ウルム村はいずれの貴族家の封土にも属していない」という明確な返書を突きつけてから、数日後のことだった。
迎賓館の執務室に、再びグレインベルク男爵家からの使いがやってきた。
今回は前回のように「実情確認」といった穏やかな視察の体を装うこともなく、有無を言わさぬ圧を帯びた一通の文書だけを置いて、足早に立ち去っていった。
「……返書を送った意味がないな。権限がないと突っぱねられて、今度は名分だけ変えてまた噛みに来たってわけだ」
俺は寝椅子の上で文書の写しを放り投げ、心底面倒くさそうに吐き捨てた。
執務室には、俺、カイン、村長のギード、そして部屋の隅で記録係を務めるロッテが集まっている。
「ええ。相手も地方の領主として、簡単に引き下がるわけにはいかないのでしょう」
カインが眼鏡の位置を直し、手元の原本を冷ややかな視線で見下ろした。
彼が先ほど読み上げた文書の内容は、一見すると近隣領主としての「配慮」に満ちていた。だが、その実態は実にいやらしいものだった。
『近隣安寧のため、貴村の流民収容運営に対し、当家より適任者を派し、補助監督に当たらせることを提案する』
『市場取引の規模拡大に伴い、近隣の商流安定を目的とした臨時保護税の協議の場を設けること』
『治安維持の観点から、流民の名簿と出入りの正確な記録を速やかに提出すること』
『今後、近隣領主との強固な協調体制を築くべきである』
言葉選びこそ柔らかく、役人特有の婉曲な表現で飾られているが、要求している中身は極めて露骨だ。
「カイン、どうじゃ?」
腕を組んで黙っていたギードが、低く落ち着いた声で尋ねた。
「前回は、視察という名目で『権限』そのものを探り、あわよくば主張してこようとしていました」
カインは冷徹な実務官の顔で、相手の要求を一つずつ分解していく。
「しかし、こちらが明確に法的な権限の不在を突きつけたため、法理で押し切れないと見るや、方向性を変えてきたのでしょう。今回は“協力”と“保護”の名を借りて、介入の既成事実を積み上げようとしていると思われます」
カインの指が、文書の項目をトントンと叩く。
「『補助監督官の常駐』は、介入権を既成事実化するための楔です。『名簿提出』は人口と労働力の把握であり、将来的な課税や徴発に向けた前段階。『臨時保護税の協議』は、協議という名目で税の支払いを当然のものと錯覚させる罠。そして『協調体制』という言葉は、最終的に彼らの支配下に我々を置くための、都合のいい曖昧語に過ぎません」
「要するに、口実を変えて税と口出しの権利をねじ込みたいだけだろ」
俺は忌々しそうに鼻を鳴らし、雑に本質を言い切った。立派な大義名分を並べてはいるが、要は急に豊かになり始めた隣の芝生から、自分たちも甘い汁を吸いたいだけだ。
部屋の隅でペンを走らせていたロッテが、文書の内容とカインの解説を聞き、小さく眉をひそめているのが見えた。
部屋の隅で記録を取るロッテのペン先が、わずかに止まった。
地方貴族のこうした泥臭い利権要求は、彼女にとってまだ生々しく映るのだろう。だが彼女は何も言わず、再び静かに書き留め始めた。
「ほう。つまり、断ったのに向こうは引く気はない、ということじゃな」
ギードが、深々と刻まれた顔の皺をさらに寄せて呟いた。
彼は決して声を荒らげない。だが、その落ち着いた声の底には、自分たちが血と汗で切り開いてきたこの村を、横から掠め取ろうとする者への静かな怒りが確かに存在していた。
「で、どう返す? あの紙切れ、適当に破って捨てとくか? それとも、その『補助監督官』とやらが来たら、門前で縛り上げて追い返してやるか」
俺がわざと乱暴な案を口にすると、カインは呆れたように小さく息を吐いた。
「マスター。それでは一時しのぎにもなりません。文書を送り返したり、無視したりしても、あちらは文言を変えて何度でも同じような要求を送りつけてくるでしょう」
カインは俺の目をまっすぐに見据えた。
「彼らは現状、自分たちがどれほど無謀な要求をしているか、つまり『引き時』を完全に見失っています。……ここで一度、対面で、二度と軽く噛みに来ないよう理解していただく必要があります」
カインの提案は極めて現実的だった。
文書遊びに付き合っていても埒が明かない。相手の土俵に乗るのではなく、こちらの力と意思を直接ぶつけて、交渉のテーブルごと叩き割る必要がある。
「……なるほどな」
ギードがゆっくりと腕を解き、深く頷いた。
「なら、もう文書遊びは終いじゃ」
ギードの鋭い眼光が、カインを真っ直ぐに射抜いた。
「カインよ、お主が行け。村長の名で、交渉の全権を委ねる」
ギードは、自分が前に出て細かな交渉を回す役ではないと分かっている。だが、決定の責任から逃げることもなかった。
「必要なら、このウルムが誰のものでもないと、連中に目で見て分からせてくるのじゃ」
「承知いたしました、ギード村長」
カインは恭しく一礼し、即座に交渉に向けた準備の指示を出し始めた。
「ハンスを呼び、自警団の中から特に規律の取れた者を数名選抜させてください。それから、前回査察時にロッテ様が取られた記録、男爵領との境界を示す地図、流民の受け入れ実績と市場の取引量をまとめた書類を用意します」
さらに、カインは眼鏡の奥を光らせながら付け加えた。
「それと、スマートゴーレムを数体、同行させます」
その言葉に、執務室の空気が少しだけ張り詰めた。
スマートゴーレム。
かつて王国軍を押し留め、敵将まで沈めた、カイン製の規格外の自動人形だ。あれを他領の使節や領主の前に出すとなれば、もはや明確な示威に近い。
「おいおい。いきなり戦争でも始める気か?」
俺がわざと茶化すように言うと、カインは真顔で首を横に振った。
「ええ。言葉だけでは、彼らには届かないでしょう。こちらがただの難民の寄せ集めではなく、力を持って自衛できる集団だと理解してもらう必要があります。無用な手出しを諦めさせるには、一目で分からせるのが一番早い」
「誤解なく、ね。まあ、あれを見れば嫌でも分かるだろ」
俺は苦笑しながら肩をすくめた。
確かに、無用な流血を避けるための「抑止力」として見せつけるなら、あれほど分かりやすいものはない。相手がまともな知能を持っていれば、辺境の村一つに手を出して払う代償ではないと、瞬時に計算できるはずだ。
着々と出立の準備が進められていく。
ハンスが呼ばれ、自警団の選抜が中庭に集められ始めた。文書や記録が革の鞄に詰め込まれ、迎賓館の裏手では、待機状態にあったスマートゴーレムの魔力炉が静かな駆動音を立てて再起動していく。
ギードは手早く委任状をしたため、村長の印を力強く押し当ててカインに手渡した。
「頼んだぞ、カイン」
「お任せください」
書類鞄を受け取ったカインは、振り返って俺を見た。
「彼らの頭の中にある地図の『境界線』を、正確に引き直していただくだけです」
その淡々とした、しかし一片の揺らぎもない声色に、俺はただ黙って頷いた。
穏便に済めばそれに越したことはない。
だが、相手が分を弁えずに踏み込んでくるというなら、こちらも分からせるしかない。
俺は嫌そうに首を鳴らしながら、窓の外で整列し始めた自警団と無骨なゴーレムたちを見つめた。
次は、言葉だけでは終わらない。
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