第118話 査察と噂
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「グレインベルク男爵家の使者として参りました、オスカーと申します。本日は突然の訪問をお許しいただき、感謝いたします」
迎賓館の執務室。
俺のデスクを挟んで向かい側に座った男は、隙のない笑みを浮かべて恭しく頭を下げた。仕立ての良い簡素な服に、細身だが体幹のしっかりした体つき。護衛というよりは従者を一人連れているだけで、一見するとただの礼儀正しい文官に見える。
グレインベルク領。
ここから最も近い地方領主の治める土地だ。王国本流からは少し外れているが、だからこそ近隣の利権にはうるさい類の連中でもある。
「ご丁寧な挨拶をご苦労。で、男爵様の使いが、こんな辺境の開拓村に何の用だ?」
俺は寝椅子にふんぞり返るのをぐっと堪え、なるべくやる気のない平坦な声で返した。俺の斜め後ろではカインが実務官として控え、部屋の隅の小さな机では、簡素な村娘の服を着たロッテが「記録係」として羊皮紙に向かっている。王城で命を狙われた彼女の顔が、地方の小役人に割れる可能性は低いが、念のため顔を伏せ気味にさせていた。
「はっ。現在、王都方面からの流民が街道沿いに多数流入しておりまして。我が領地への影響と、近隣の治安状況を確認するため、臨時の視察に回っている次第です。これほど多くの流民を受け入れていると聞きまして、実情だけでも把握しておきたいと存じまして」
書面上は、実に穏当で立派な名目だ。
だが、その愛想の良い細められた目が、執務室内の調度品やカインの身なりを素早く値踏みしているのを、俺は見逃さなかった。
彼らの本音が「治安の確認」だけでないことくらい、容易に分かった。
勝手に難民を抱え込み、勝手に栄え始めている辺境の村――その裏を探りに来たのだ。
「治安なら問題ない。見ての通り、来る者を空き地に突っ込んで自衛させてるだけだ。受け入れ人数は日々変わるから、正確には把握してないな。細かな数字や物流の話なら、そっちの文官に聞いてくれ」
「……左様ですか」
俺は必要以上の情報を与えず、こちらの正統性も主張しない。相手に借りを作らず、ただ「面倒だから適当にやってる」というポーズを崩さないように心がけた。オスカーは愛想笑いを崩さなかったが、その視線は一層探るような色を濃くした。
「せっかくですので、流民の方々の居住区を少し拝見してもよろしいでしょうか?」
「好きにしろ。カイン、案内してやれ」
「承知いたしました」
カインが前に出ると、俺も渋々立ち上がった。一任してもいいが、俺という「村の責任者らしき男」がどう動くかを観察されるのも鬱陶しい。それに、変なところで難癖をつけられても面倒だった。
◇
俺たちとオスカーの一行は、迎賓館を出て村の視察へと向かった。
少し後ろには、記録板を抱えたロッテが静かに付き従っている。
最初に案内した仮設市場で、オスカーの足が止まった。
「……ほう。価格の明示に、身元登録の木札ですか。ずいぶんとしっかりした制度を取り入れておいでですね」
「揉め事が起きると俺が呼び出されて面倒なんでな。最初にルールを押し付けてるだけだ」
「なるほど。合理的ですね」
次に長屋の区画と共同広場へ。
オスカーの視線が、石敷きの洗い場、整然と並ぶ物干し台、そして子供たちが歓声を上げる安全な遊び場を順番になぞっていく。冬の難民キャンプ特有の、泥と排泄物の臭いが混ざった悲惨な空気は、ここには微塵もない。
「……辺境の村の臨時収容所にしては、ずいぶんと整っておりますな」
オスカーが、誰に言うでもなく呟いた。ただ難民を受け入れているだけではない。動線を整理し、衛生を管理し、何より彼らを「共同体の住人」として組み替えようとしている。その意図を、この優秀な使者は正確に読み取っていた。
俺は黙って肩をすくめた。
ふと後ろを見ると、記録を取っているロッテのペンが止まっていた。彼女は顔を伏せているが、その小さな肩が微かに緊張で強張っているのが分かる。
(……この村の整い方そのものが、外の連中には警戒の種になる)
後ろにいるロッテの気配が、わずかに強張るのが分かった。
「あれは……なんでしょうか」
オスカーが最後に目を留めたのは、長屋区画の少し外れで建設が進められている木造の建物だった。
「ただの祈りの場だ。難民どもがうるさいんで、適当な箱を作って押し込めることにした」
俺が鼻で笑うように言うと、オスカーの目がすっと冷えた。
「こんな辺境に教会の司祭などいないでしょう。教会権威の管理下でもないのに、信仰の場まで村の規律の中に組み込んでいる、と?」
「大げさな話じゃない。雨風がしのげる静かな場所があるだけだ」
俺は平然と受け流したが、オスカーの目にははっきりと警戒の色が浮かんでいた。
政治や生活だけでなく、祈りの場まで村の内側で完結させようとしている。それは彼らの目には、あまりに整いすぎて見えるのだろう。
だが、オスカーはそれ以上深くは追及しなかった。今日のところは、この違和感の正体を確認できただけで十分だと判断したのだろう。
◇
「本日は突然の訪問にもかかわらず、丁寧なご案内をいただき感謝いたします」
村の入り口。乗ってきた馬車の前に立ったオスカーは、再び恭しく頭を下げた。
「この村が、実に秩序立って流民を受け入れておられること、我が主にもしっかりと報告させていただきます」
「ああ。よろしく言っておいてくれ」
俺が適当に手を振って別れを告げようとした、その時だった。
「そういえば」
オスカーが馬車の扉に手をかけたまま、ふと何気ない世間話でもするように口を開いた。
「最近、この辺りの街道筋には王都からの流れ者が多いようでして。彼らの口から、妙な噂が広まっているのをご存知ですか?」
俺は無言で先を促した。
後ろに控えるロッテの気配が、一瞬だけピクリと跳ねたのが分かった。
「先の王城での騒乱で亡くなったはずの、王女殿下が、実はどこかで生き延びているのではないか、などという与太話です」
オスカーは、俺の顔をじっと観察しながら続けた。
「王都の貴族が血眼になって探している、などともっぱらの噂ですが……まあ、こんな辺境の平和な村には縁のない話でしょうな」
「……へえ。暇な奴もいるもんだな。生憎、うちは日々の飯の種と泥水の下水処理で手一杯なんでね。王族の生き死になんて高尚な噂は、初めて聞いたよ」
俺は顔色一つ変えず、ただ面倒くさそうに欠伸を噛み殺してみせた。オスカーは数秒だけ俺の目を覗き込み、やがて「それは失礼いたしました」と短く笑って、馬車に乗り込んだ。
砂埃を上げて去っていくグレインベルク領の馬車を、俺たちは無言で見送った。
「……気づかれているでしょうか」
ロッテが、記録板を強く抱きしめながら、震える声で呟いた。
「いや、ただの鎌かけだ。難民が大量に流れ込んでいる以上、この村にもそういう噂が届いているか、あるいは『誰か』を匿っていないか、適当に探りを入れただけだろう」
俺は振り返り、ロッテの頭にポンと手を置いた。
「気にするな。お前の顔が割れたわけじゃない」
「ですが……」
「マスターの言う通りです。ですが……」
カインが眼鏡を押し上げ、去っていく馬車の土煙を見据えた。
「噂の回る速度が想定より早すぎます。難民の定住化と、王女殿下生存の噂。この二つが街道で結びつくのは時間の問題でしょう」
「……だな」
俺は深々と溜息をつき、ひどく凝り固まった首の骨を鳴らした。
「もう、近隣の小物の視察だけじゃ済まないか。次はもっと面倒なのが来るぞ」
内側を整えれば整えるほど、外の目は寄ってくる。
その上、今度は村の話とロッテの話まで一つに繋がりかけていた。
俺はただ、深々と息を吐いて天を仰いだ。
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