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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第7章 基礎と秩序

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第108話 記録と商い

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

会議室の机に広げられた第三区画の台帳。そこに並ぶ数字の不自然な増加を前に、重苦しい沈黙が落ちていた。


カインは台帳の数字と、そこに書き込まれた文字の筆跡を一瞥すると、眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、短く断言した。


「……なるほど。字癖が違う。追記ですね。これは、書く人と、承認する人が同じだからです。書いた瞬間に通ってしまう」


「どういうことだ?」

俺が問う。


「区画の代表が、善意であれ悪意であれ、台帳に直接書き込める状態になっているということです。書ける権限がある時点で、こういった仕組みは容易に壊れます。つまり、問題の根本は『札』ではなく、『台帳の権限』にあります」


カインの言葉に、ロイルがハッとしたように顔を上げた。


「そういえば……窓口の受付時間が終わった後、代表が台帳を自分のテントに持ち帰って翌日の準備をしていました。管理者が曖昧なまま、台帳の持ち歩きが常態化していたんです」


なるほど、それなら合点が行く。仮設窓口から区画へ、そしてまた窓口へと台帳が移動する一瞬の隙、あるいは夜の間に、代表の取り巻きや代表自身が、賄賂を受け取って特定の世帯の人数を追記したり、要配慮者の枠に書き入れたりすることが可能だったのだ。


「原因の確定と恒久対策を先に行います。個別の特定は後回しです」

カインは立ち上がり、議題ボードの前に立った。


「まずは、改竄が成立しない構造へと即日改修し、現場の停止を解除します」


カインは白墨を手に取り、箇条書きで四つの要点を書き付けた。


一、台帳は迎賓館に集約

二、入力を一元化

三、二重記録と変更履歴

四、照合手順の固定と印の管理


「仮設の登録窓口に台帳を置きっぱなしにせず、毎日、迎賓館に『台帳室』を設置し、鍵をかけて保管します。区画の代表の役割は、あくまで『報告と受付』まで。代表の独断による入力は一切禁止し、台帳への記入は、村側と難民側から選出した各一名、計二名の『記録係』だけが行うようにします」


カインは淡々と、しかし隙のない手順を提示していく。


「しかし、それだとただでさえ手狭になってきている迎賓館が更に狭くなるな。」


「仰る通りです。ですので、現在ギード村長の許可の下、今の人口に見合った役所を建設中です。すみません。マスターには報告が行っていなかったですか?


「いや。それならいい。俺だって全てのことを把握して指示を出すわけにも行かないからな。ギード村長の肝いりなら問題ない」


「承知しました。」


「すまん。話の腰を折ってしまったな。続けてくれ。」


「はい。では、記録のことですが……、世帯人数の増減など、変更がある場合は必ず『理由』『申請者』『承認者』を履歴として短く残します。そして二重記録として控えの写しを取り、迎賓館内の別の箱に保管します。さらに、札と台帳を照合して押す『承認の印』は台帳室でのみ管理し、印の当番は日替わりで名札を着けさせます。責任の所在を常に見える化しておくのです」


カインは白墨を置き、一同を見回した。

「書ける人間を減らす。それだけで改竄の九割は止まると予想します。善意に頼らなければ事故る仕組みは、仕組みそのものが悪いのです」



「カインの言う通りだ」


俺は深く頷き、システム改修に伴う違反者の処遇について整理を始めた。


「これまでの『横流し』『買収・脅し』『転売』に加え、『台帳の改竄、およびその未遂』を明確な違反カテゴリに追加する。だが、見せしめの暴力は使わない」


ハンスが腕組みをしたまま頷く。


「ああ。暴力で痛めつけて縛れば、必ず恨みを買い、より巧妙な隠蔽を生むだけだ。罰則も、事務的な手順に落とし込むべきだな」


「その通りだ。違反者への処遇はこれまでと同様で良いだろう」


「止める、分ける、移す。必要なら隔離。手順はそれだけだな。了解した」


ロイルが少し肩の荷が下りたように息を吐いた。


「これで、俺たちも特定の誰かを疑いながら窓口に立たずに済みます」


俺は議題ボードを見つめながら、静かに言った。


「信用は人じゃなく、手順で作るんだ。制度は善人のためにあるんじゃない。現場を止めないためにあるんだからな」



「よし。台帳の穴はそれで塞ぐとして、次は『温床』の解体じゃな」


部屋の奥で黙って聞いていたギードが、重い口を開いた。

現場の片隅で起きている無許可の露店。作業札の貸し借りや、薪、布、器などの物資の転売。難民たちが少しでも生活を良くしようとする結果ではあるが、放置すれば必ずそこに暴力的な利権と搾取の構造が生まれる。


「無許可の小商いを完全に潰すことはできん。人間が集まれば必ず物は動く。ならば、目の届く場所へ引っ張り出し、村の許可制という枠の中に閉じ込めるのじゃ」


ギードは村長としての決断を下した。

即座に、仮設市場のルールが策定された。


・場所は、建設中の集会棟前の一角。配給の導線とは交差しない外側に限定する。

・時間は、昼の正午から申の刻(午後三時ごろ)まで。

・売り手は登録所で身元と販売品目を申請し、許可を得ること。

・品目と価格は必ず明記して掲示し、口頭での不透明な値付けは禁止。

・市場内への武器の持ち込みは厳禁(管理所で預かる)。

・売買の際は、世帯登録の「家族札」を提示すること。


「無許可の露店を見つけても、治安班が頭ごなしに撤去して回る必要はない」


俺はハンスに告げた。


「市場以外の場所で商売ができないように、人の流れの導線をロープで物理的に潰す。巡回して『ここでは売れない、市場へ行け』と声掛けをする。従わなければ配給後回しのペナルティだ。売れない仕組みを作れば、自然と市場の枠へ収まっていく」



翌朝。ロッテは集会棟の前の掲示板に、新たな市場のルールと台帳運用の変更を張り出した。

集まってきた難民たちを前に、ロッテは掲示板の前で文面を読み上げ、淡々と告知を行う。


「無許可の露店は禁止となります。今後、物の売り買いができるのは、この集会棟前の指定された場所、指定された時間だけです」


「なんだと!? 俺たちが手に入れた物をどう売ろうが勝手だろうが!」


一部の血の気の多い男たちから反発の声が上がるが、ロッテは全く動じない。


「価格の掲示は必須です。武器の持ち込みは禁止。事前に登録所での申請が要ります。ルールに従えない場合、ペナルティが課されます」


「ふざけるな! 俺たちの生活の糧を縛る気か!」


「抗議や疑問がある方は、後ほど窓口でお受けします。今は手順をお伝えしているだけです」


ロッテは決して感情的にならず、ただ冷徹に、そこにあるルールという事実だけを伝達した。その徹底して事務的でブレない態度に、文句を言っていた者たちも次第に毒気を抜かれ、渋々ながらも「そういう決まりになったのか」と掲示の内容を受け入れていくしかなかった。



数日後。 村の急ピッチで進められている建設作業により、長屋や集会棟の基礎が固まり、少しずつ壁や屋根が形になり始めていた。 一部の難民たちが、風通しの良すぎるテント暮らしからできあがった順に長屋へと移り始めた。


しかし、長屋への入居が始まった頃、案の定——別種の火種が出た。


夜の迎賓館の一室。


「アシュラン様、今日は配給窓口での揉め事は減ったんですが……別の厄介事が増えてきまして」


ロイルが心底疲れた顔で報告にやってきた。

洗い場の片付けを終えてやってきたマーサも、やれやれといった顔で首を振っている。


「隣の部屋のいびきがうるさいだの、赤ん坊の夜泣きで眠れないだのって、一日中怒鳴り合いさ。あっちの竈の煙がこっちに流れてくるだの、排水の臭いがキツいだの、大工の作業音が響くだの……」


マーサが呆れたように肩をすくめた。


「飯がまともに食えるようになって、少し落ち着いてきた途端、今度は周りの連中のちょっとしたことが気に障るようになってきたんだよ。飯の次は、寝床だね」


人間は、当面の飢えと寒さをしのげるようになると、次に「快適さ」と「個人の権利」を主張し始める。これまでは生きることに必死で気にならなかった隣人の生活音が、少し余裕ができた瞬間に、我慢ならない騒音へと変わるのだ。


夜の静寂を破るように、遠くの区画から「静かにしろ!」「そっちこそ臭いんだよ!」と罵り合う声が微かに聞こえてきた。


俺は窓の外、無数の灯りがひしめき合う村の夜景を見下ろし、小さく息を吐いた。


「配給の次は、住環境か」


隣に立ったカインが、窓枠に手をついて目を細めた。


「八千人もの人間が密集して定住する以上、必然的に起こる摩擦ですね。これまでの配給や労働の運用ルールだけでは、もはや解決できません」


「ああ……住居にも、ルールが要るな」


俺の呟きは、夜の闇に溶けていった。

飯を満たし、列を整え、市場を管理しても、次から次へと現れる統治の壁。現場を止めないための俺たちの戦いは、まだまだ新しい局面を迎えようとしていた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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