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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第7章 基礎と秩序

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第106話 札と取り違え

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

早朝、第三区画の配給所前に伸びた列は、いつもなら日の出とともにスムーズに流れ始めるはずだった。しかし今日は、一向に進む気配がない。

人々の間から聞こえてくるのは、いつものような空腹を訴える怒号ではなく、焦りと困惑が入り混じったざわめきだった。


「おい、早くしてくれよ! 労働の時間が来ちまう!」


「前が詰まってるんだよ! 窓口で何か揉めてるみたいだぞ」


現場を走り回っていたロイルは、窓口の状況を見て顔をしかめた。

窓口の前では、出された札が次々と受け取り台に積まれ、色も形も混ざっていく。


「違う、これは昨日の配給札だ。今日の日付の印が入っていないと駄目だと言っただろう」


「えっ、でも色は同じじゃないか! 俺は文字が読めねえ。印だって泥で見えねえんだよ!」


隣の窓口でも言い争いが起きている。


「お前さん、ここは優先札の列だ。お前が出しているのは労働札じゃないか。一般の列に並び直してくれ」


「なんだと? 優先札ってのは何色が正解なんだ。昨日配られたこの札の色、泥で汚れててよく見えねえよ!」


また別の場所では、一人の男が受付係に食って掛かっていた。


「落ちてた札を拾って何が悪い! 札を持ってる奴が飯を食えるルールだろうが!」


「他人の札は使えません! そもそもこれは、形からして昨日の労働札の切れ端です!」


ロイルは頭を抱え、駆けつけてきたマルタに向けて叫んだ。


「配給札、労働札、優先札――札の種類が増えすぎて、確認で列が止まってる!」


当初は労働者と非労働者を分けるため、そして病人や子供などの優先者を分けるために良かれと思って導入したシステムだった。だが、それが今、最悪のボトルネックを引き起こしていた。



列の停滞は、窓口だけではなく配給所の中心にも深刻な影響を及ぼしていた。

巨大な鍋の前で柄杓を握るマルタの顔に、焦燥が浮かんでいる。


「窓口、流れが落ちてるよ。 鍋の底が焦げちまうよ!」


配給のペースは、火の管理と直結している。一定の速度で列が進み、鍋の中身が減っていくことを前提に薪の量を調整しているのだ。列が止まれば鍋に火が入りすぎ、慌てて火を弱めれば、今度は次の鍋の沸騰が間に合わなくなる。


「マルタさん、窓口の札確認が追いつかなくて……」


配膳係の若者が申し訳なさそうに言うと、マルタはドンと柄杓を鍋の縁に叩きつけた。


「列が止まると、器が返ってこないんだよ! 器がなきゃ、次の配給が出せないよ!」


マルタの言う通りだった。八千人の難民に対して、食器の数は限られている。食べて洗って返す、という循環が一定の速度で回らなければ、物理的に配給が止まってしまう。

ロイルは慌ててロープを張り直し、木箱の位置も変えて導線を作り直した。だが、詰まりの原因は導線ではない。窓口の「確認」そのものが重すぎる。

これでは、いくら線を引き直しても解けない。ロイルは歯噛みした。



配給所の裏手、洗い場ではさらに深刻な事態が起きていた。


「ちょっと! そっちの列は配給待ちの人たちだろう! 返却の列に混ざるんじゃないよ!」


マーサの鋭い声が響く。


札の確認で配給列が長く伸びすぎた結果、食べ終わって器を返しに来る人々の返却列と交差してしまっていたのだ。


「悪い、どっちがどっちの列か分からなくなっちまって」


「器を返すだけなんだ、このまま通してくれよ!」


混乱に乗じて、器を返さずに立ち去ろうとする者も現れる。


「待ちな! 返却列の札はどこだい。札がないと、列が崩れるんだ」


マーサが男の腕を掴むと、男は悪びれずに答えた。


「あ? 返却の札? そんなもん落としちまったよ。器はちゃんとそこらへんの樽に入れたぜ」


「入れたかどうか、札がないと確認できないだろうが!」


マーサは男を突き放し、周囲の喧騒に向けて叫んだ。


「いいかい、あんたたち! 器が戻らないと、明日の鍋が止まるんだよ! 飯が食えなくなってもいいのかい!」


生活インフラを支える彼女の言葉には、何よりも重い現実の響きがあった。



混乱極まる現場の片隅で、治安班を率いるハンスは淡々と処理を進めていた。


「お前、この札……角を削って別の札に見せかけようとしたな」


ハンスが差し出した木札は、明らかに不自然な削り跡があった。


「ち、違う! 最初からこんな形だったんだ!」


「嘘をつくな。削り屑がまだ服に付いてるぞ」


ハンスは男の弁明を聞き流し、事務的な手順を踏む。停止を命じ、列から分離し、札を確認する。そして、一時的な隔離テントへ放り込み、処遇は後回しにする。現場の列を動かすことが最優先だからだ。


「次。……ばあさん、この札はなんだ?」


ハンスが問いかけると、老婆は震える手で赤く塗られた木札を見せた。だが、その表面には明らかに別の用途を示す文字が書かれている。


「あ、あの……字が読めないもんで、赤い色なら優先して飯がもらえると聞いて……」


「これは昨日の札の裏を、誰かが赤土で塗ったものだ。誰から貰った?」


「息子の嫁が、これを持って並べって……」


ハンスは小さく息を吐いた。悪質な偽造もあるが、持ち込まれる不審な札の大半は「偽造まがい」の粗末なものか、あるいは勘違いによるものだった。

文字が読めず色だけで判断した者。家族内で札を取り違えた者。落とした札を拾って、自分のものだと思い込んだ者。

火種となっているのは、悪意よりも圧倒的に「混乱」だった。ルールが複雑になりすぎたせいで、システムの許容範囲を超えてしまっているのだ。



その日の夜。迎賓館の指令室には、重苦しい空気が漂っていた。


「窓口での確認で完全に列が止まっています。導線の工夫ではどうにもなりません」


疲労困憊のロイルが報告する。


「火の管理がギリギリだったよ。器の返却も遅れて、明日の準備に響いてる」


「返却列と配給列が混ざっちまって、器の数が合わないんだよ。揉め事も増える一方さ」


マルタとマーサも、それぞれ現場の惨状を短い言葉で伝えた。


ハンスが最後に口を開く。


「偽造まがいの札や、取り違えが多発している。処理はしているが、大半は悪意というよりルールの理解不足による混乱だ」


報告を聞き終えた俺は、卓上に置かれた何種類もの木札を見つめ、一つ息をついてから断言した。


「札の種類を増やすほど現場が止まる」


俺の言葉に、全員の視線が集まる。


「良かれと思って対象者ごとに札を分けたが、それが確認のボトルネックを生んだ。札そのものが悪いんじゃない。俺たちの運用の問題だな」



「では、札の種類はこれ以上増やさない方向で調整しましょう」


壁際で静かに話を聞いていたカインが、眼鏡の位置を直しながら前に出た。彼の手には、先日導入した各区画の台帳が握られている。


「問題は、札単体で全ての情報を証明しようとしていることです。札の種類を増やすのではなく、『札と台帳の照合』という手順を整理すべきです」


カインは事務的な口調で、簡潔に3つのポイントを挙げた。


「一つ。札の種類はこれ以上増やさない。 二つ。札と台帳を照合し、『本人、あるいはその世帯』であることを素早く確認する仕組みにする。窓口で札の色や形を一つ一つ吟味する時間を削ります。 三つ。札に『当日性』を持たせる。前日の札の使い回しを防ぐため、毎朝、区画の代表を通して、その日有効な簡単な刻印や穴あけ、あるいは日付印を押したものを配布します」


カインの提案は理にかなっていた。現場の人間にとって難解なルールを押し付けるのではなく、確認のプロセス自体をシンプルにする。現場に無理を押し付けず、確認の手順そのものを軽くする案だった。


「よし」 俺は即座に頷き、ギードへ視線を向けた。


ギードは深く頷き、重々しい声で決定を下した。


「明日から試すぞ。まずは問題が一番大きかった第3区画で、運用をこの方式に変えるのじゃ」



会議の終わりに、俺は議事録を取っていたロッテに指示を出した。


「ロッテ、明日の朝までに第3区画の掲示板に新しいルールを張り出してくれ。現状と、どう動けばいいかだけを端的に書いてくれ」


「はい。各区画で誤解や解釈の違いが生まれないよう、責任を持ってお伝えしますね」


ロッテは頷き、手元の資料にペンを走らせる。彼女の書く文章は、誰が読んでも誤解を生じない、正確で無駄のないものだった。

書き上がった文面には、こう記されていた。


『配給札・労働札・優先札は、それぞれ指定の窓口に出すこと』


『拾った札は使えない。見つけた者は登録所へ届けること』


『優先札は対象者のみ有効。違反した者は最後尾に回す』


『窓口での抗議・問答はしないこと。確認・照合は配給後に受け付ける』


ただ、現場の混乱を鎮め、列を動かすための事務的な通達。ロッテは、復唱と情報の統一という役割を完璧にこなしていた。



翌朝。新たなルールが掲示され、第3区画の配給列は昨日ほどの致命的な停滞からは脱しつつあった。

しかし、システムが整理されれば、必ずその網の目を潜り抜けようとする者が現れる。


区画の端、テントの影に隠れた薄暗い場所で、男たちが小声で囁き合っていた。


「おい、今日の札を貸せ。後で返すから」


「馬鹿言え。これがないと俺の分の飯が出ねえんだぞ。貸すなら、明日の配給を半分よこせ」


「わかったよ。……それから、優先札を持ってる奴はいないか? あれがあれば、並ばずに早く飯にありつける。多少色をつけてもいい」


「なら、俺の労働札の端に自分で穴を開けてみろ。今日の刻印と同じに見えれば通るかもしれないぜ」


少し離れた場所から、ハンスがその小集団の動きを冷ややかに見つめていた。

彼はすぐに踏み込むことはしなかった。今は現場の列全体を動かすことが最優先であり、数人の小悪党を捕まえて騒ぎを起こすよりも、泳がせて手口を観察する方が得策だと判断したからだ。


運用を回すための「札」が、いつの間にかそれ自体で価値を持ち始めている。


札が増えた分だけ、列が止まった。

――止まった場所に、商売が生まれる。


ルールは整えた。だが、次はその穴を使って儲けようとする連中が出る。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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