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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第7章 基礎と秩序

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第103話 労働と対価

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

冷え込む早朝。試行的に分割した二つの区画で、配給の運用が始まった。だが、門外の待機区画を見下ろすと、システムが至る所で「詰まりかけている」現実がはっきりと映っていた。


昨日、掲示板で労働登録の募集をかけたものの、まだ自発的に動く者は少なく、運営の手が圧倒的に足りていないのだ。


「アシュラン様、駄目だよ。回す手が足りない。鍋は待ってくれないんだ」


迎賓館の前に設けた指令所に、煤で顔を汚したマルタが焦燥感を滲ませて駆け込んできた。


問題は山積みだった。薪割りの人数が足りず、巨大な鍋を沸かすための火力が安定しない。村の水道施設だけでは一万人規模を賄うには圧倒的に水量が足りず、川からの手作業での水汲みも追いついていない。結果として、マーサが仕切る洗い場には汚れた器が山のように滞留している。さらに深刻なのは衛生面だ。清掃作業が回っていないため、たった一晩で区画の端にはゴミと汚物が溜まり始め、冬の冷気の中でも鼻を突く悪臭が漂い出していた。寒さを凌ぐため、ルールを無視して勝手に焚き火を始めようとする者も増え始めている。


「分かっている。配給の絶対量を増やしても、この目詰まりは解消しない」


俺は卓上の図面を指で叩いた。

一万人の命を繋ぐには、村の人間が「支援する側」に回り、難民が「支援される側」にいるという固定観念を壊さなければならない。


「運営の人数を物理的に増やす。動ける難民を、そっくりそのまま運営側に引き込むんだ」


俺はロイルとハンスを呼び寄せ、即座に設計の変更を指示した。


「迎賓館前の登録所を三つに機能分離しろ。『労働登録』『作業配属』『配給窓口』だ。そして、募集する作業を四つの系統に整理して、一目で分かるように掲示し直せ」


四つの系統。

第一に「火」。薪割りと竈の火力管理。

第二に「水」。川からの汲み上げと、各区画への配水。

第三に「清掃」。ゴミの回収、汚物の処理、排水溝の整備。

第四に「秩序」。配給列の誘導、器の返却管理、夜間の見張り補助。


「対価についても、誤解を生まないよう再明文化する。作業をした日のみ『配給の前倒し』を行う。寝床の優先割り当ては『家族単位』で適用する。そして——ここが重要だ。『働けない病人や幼児連れへの基礎配給は、必ず維持する』と赤字で書き加えろ」


見捨てられるという恐怖を取り除かなければ、人は過剰な自己防衛に走り、秩序を乱す。基礎配給の保証は、治安維持の要だった。



俺の指示を受け、ハンスとロイルがすぐさま動いた。


「いいか、お前たち。俺たちの仕事は『力で抑え込むこと』じゃない。『手順で処理すること』だ」


ハンスは自警団の若者たちを集め、治安班を三つの分隊に再編成していた。

火や水場、物資の周辺を監視する「見張り班」。揉め事が起きた際に割って入り、一次的に停止させる「介入班」。そして、ルール違反者を隔離区画へ誘導する「移送班」だ。


「武器は見せるな、絶対に抜くな。やることは『止めて』『分けて』『移す』。それだけだ。連絡には大声や笛を使わず、この手振りと旗を使え。無用な不安を煽るな」


ハンスの頼もしい声が響く。現場の熱を知る彼だからこそ、感情的になりがちな難民たちを刺激しない「冷たい処理」の重要性を理解していた。


一方のロイルは、門前の広場で導線の再設計に奔走していた。


「配給を待つ列と、労働登録の列を完全に切り離せ! 動線が交差しているから混乱するんだ!」


「器の返却口は出口側へ移す! 入口と出口を分けるんだ!」


ロイルの的確な指示で、ロープと木箱を使った新しい導線が作られていく。

さらに彼は、昨日名乗りを上げた代表候補の中から、試しに二、三人を区画の窓口として使い始めていた。


「いいですか。あなたの役割は、皆に命令することではありません」


ロイルは、腕章を巻いた元役人の代表候補に対し、静かに、だが厳しく説明する。


「区画内の人数、怪我人の数、不足している物資。それらの『情報』を正確に集め、私たちに伝えることです。それができれば、あなたの区画の配給はスムーズに回ります」


「承知いたしました。情報の整理はお任せを」


元役人の男は深く頷き、自分の区画へと戻っていった。命令権限を与えないことで、「代表」という立場が特権階級化することを未然に防ぐのだ。



だが、制度を動かし始めれば、必ずそれに反発する摩擦熱が生じる。


昼前。労働登録を済ませた者たちが、優先して配給を受け取り始めた時のことだった。試行区画の端で、小さな集団が列を無視して声を上げ始めた。


「ふざけるな! 働いた奴だけ先に飯を食わせるのか!」


「俺たちは王都から逃げてきて疲れてるんだ! 村の連中は、俺たちを奴隷労働させる気だぞ!」


「あいつらの区画だけ、多くもらってるんじゃないのか!」


煽り役の男が叫ぶと、周囲の難民たちが不安げにざわめき始める。

「不公平感」は、集団の理性を最も簡単に焼き尽くす着火剤だ。ここで「ごね得」を許せば、せっかく作り上げた労働と対価のシステムが一瞬で瓦解する。


俺は自警団を制止し、ハンスと共にその小集団の正面へと歩み出た。


「不満があるようだな」


俺の淡々とした声に、煽り役の男が鼻息を荒くして食ってかかってきた。


「当たり前だ! なんで働いた奴らが先に飯を食えて、俺たちが後回しにされるんだ! これは奴隷の扱いだ!」


俺は男の怒鳴り声に一切の感情を交えず、事務的な手順として処理を始めた。


「第一に、登録の確認だ。お前たちは労働登録の札を出しているか? 出していないなら、話は手順に沿って後回しだ」


「なっ……」


「第二に、作業配属の提示だ。不満があるなら、今すぐ登録所へ行って作業枠に入れ。現時点では枠が空いている。力仕事が嫌なら、器洗いでもゴミ拾いでも構わない」


「俺たちは疲れてるんだよ! なんで働かなきゃならない!」


「第三に、処遇の明文化だ」


俺は男の言葉を完全に遮り、冷徹に言い放った。


「列への割り込みや、根拠のない扇動などの違反行為をした者は、配給を一番最後に回す。反復すれば、区画の端へ強制的に移動させる。これは、一万人全員に等しく適用されるルールだ」


男は言葉に詰まり、悔しそうに顔を歪めた。


「奴隷労働だと言ったな。強制はしていない。働けない者、働かない者にも、命を繋ぐための基礎配給は残してある。今日はお前たちにも必ず粥が渡る」


俺は一歩だけ前に出て、男の目を見据えた。


「だが、ただ口を開けて待っているだけの人間がこの人数いれば、三日後には水も薪も尽き、自分の糞尿の臭いの中で全員が死ぬ。運営が回らなければ、俺たちも、お前たちも全員が死ぬんだ。……それでもまだ、配給の順序に文句があるか?」


静まり返る小集団。

俺の言葉は冷酷に聞こえたかもしれないが、それが「一万人を生かすための現実」だった。


「……っ、ふざけやがって!」


それでも男は引けに回れなかったのか、足元の石を拾い上げて振りかぶろうとした。


「そこまでだ」


次の瞬間、ハンスが男の背後に回り込み、腕を押さえて動きを止めた。武器は抜かない。抵抗の余地だけを奪い、その場で静かに拘束する。


「移送班、この男を隔離区画へ。配給は一番最後だ」


ハンスの短い指示で、二人の自警団員が男の両脇を抱え、速やかにその場から連れ去っていった。ただ、ルール違反が手順通りに処理されただけだった。

それを見ていた残りの者たちは、すごすごと元の列の最後尾へと戻っていった。



「……怒りや不満を抑えるのは、優しい言葉や、同情ではないのですね」


少し離れた登録所のテントの下で、その一部始終を見ていたシャルロッテが、ぽつりと呟いた。


「感情ではなく、仕組みが人を守る。……アシュラン様が仰っていたのは、こういうことだったんですね」


彼女の瞳には、かつての王女としての甘さはない。現場の泥を被り、現実の重さを知った者だけが持つ、静かな理性の光が宿っていた。


「やっと分かったかい、お嬢ちゃん」


隣で配給の札を数えていたマルタが、忙しい手を止めずに軽く笑った。


「そうさ。腹を空かせた一万人を相手に、綺麗事や同情は通じない。必要なのは、誰がやっても同じように回る『決まり事』だけさね。ほら、ぼんやりしてないで、次の水汲み班の札を渡しな!」


「はいっ!」


シャルロッテは弾かれたように返事をし、再び作業配属の窓口業務へと戻っていった。



昼を過ぎる頃には、再設計したシステムが少しずつ、しかし確実に回り始めている「絵」が村の門前に広がっていた。


労働登録を済ませた男たちが次々と薪を割り、マルタたちの管理する竈の火力が安定し始める。川と洗い場を往復する水汲み班の導線が確保され、マーサの足元には綺麗に洗われた器が次々と積まれていく。

清掃班が汚物を集めて指定の穴へと埋めることで、鼻を突く悪臭も少しずつ引いていった。


薪が割られ、火が燃え、器が循環し、列が流れる。

それは、一万人という途方もない人数の難民たちが、「支援される群集」から「村を運営する歯車」へと変わり始めた瞬間だった。


だが、これで完全に安定したわけではない。


(区画という『形』を持ち、代表という『窓口』が生まれた以上……)


俺は、整然と並び始めたテントの群れを見つめながら、小さく息を吐いた。

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!

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