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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第6章 秩序と瓦解

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第95話 村の決定と松明

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

まだ太陽が昇りきらない、凍てつくような早朝。

ウルム村を囲む巨大な防壁の上に、村長であるギードの姿があった。

彼は分厚い外套に身を包み、眼下に広がる異様な光景をじっと見下ろしていた。


本来であれば何もないはずの王都方面へ続く街道沿いに、無数の焚き火が星屑のように瞬いている。王都から押し寄せた数万の避難民たちが、村の「門外待機区画」として指定されたエリアで、身を寄せ合うようにして夜を明かしていたのだ。


「……」


ギードは、その途方もない焚き火の海を見下ろし、無言で深く頷いた。

村のキャパシティを遥かに超えた難民たち。彼らを力ずくで追い返すのではなく、外にルールとインフラを設けて管理するというアシュランの冷徹かつ人道的な判断は、村の正式な代表であるギードも承認したものだった。

だが、この脆弱な均衡がいつまで保てるのか。ギードの皺深く刻まれた顔には、村の命運を背負う者としての重い責任と緊張が張り付いていた。



防壁から降りたギードは、村の中心にある迎賓館の会議室へと足を運んだ。

そこにはすでに、村の実質的な防衛と制度設計を担うアシュランと、ロッテの筆頭執事であるクラウスが顔を揃えていた。部屋の空気は、張り詰めた弓の弦のように重く冷たい。


しばらくして、重厚な木製の扉が乱暴に開かれた。


セドリックは泥を跳ね散らしながら片膝をついた。


深夜に偵察へと送り出されていた若き騎士だ。その暗灰色の外套は泥と夜露に塗れ、息は大きく乱れている。軍馬を限界まで走らせて戻ってきたことは明らかだった。

偵察の報告は、まず村長ギードに入る。——それが、この村のやり方だ。


「報告します」


セドリックは顔を上げ、掠れた声で告げた。


「王都方面より、大規模な軍勢がこちらへ向かって進軍中。兵力はおよそ数千。重武装の歩兵と兵站車を伴っており、難民の波のすぐ後方を追うようにして街道を進んでいます」


「数千の軍勢……暴徒の群れではないのだな?」


クラウスの鋭い問いに、セドリックは深く頷いた。


「はい。隊列は整然としており、明確な指揮系統のもとに動いています。……確かに旗はモンフォール元帥のものがありました。ですが——大将旗が違いました。先頭に立っているのは、別人でした」


アシュランが眉をひそめる。


「別人?」


「はい。…リヒテンブール公爵家の紋章旗。そして、先頭で軍を率いていたのは——青年の貴族でした。……恐らく、アルベール・ド・リヒテンブールかと。」


その名を聞いた瞬間、会議室の空気が一段と冷え込んだ。

個人的な怨嗟と、救国という狂信に憑りつかれた男が、正規軍を動かしている。


ギードは手で顎の髭を撫でながら、感情を交えずに事実だけを口にした。


「元帥……正規の王国軍と、別の勢力も動いた、ということじゃな」


そこに余計な推理や憶測はない。村長として、突きつけられた「王国が村を標的にした」という事実だけを正確に受け止めていた。



「どうやら、向こうは対話をするつもりはないらしいな」


アシュランは腕を組み、壁に掛けられた地図を見つめた。

会議室の隅に控えていたエレノアが一歩前に出る。


「師匠。敵が正規軍となれば、規模が違いますわ。ですけど、防壁の外に難民の方々が溢れている現状では、黒皇石の結界を張ることもできませんわ」


「分かっている。結界を張れば外の人間を巻き込む。そんな真似は絶対にしない」


アシュランは即座に言い切った。

結界という村最大の防御手段は、倫理的かつ物理的な理由によって封じられている。


「数千の軍勢をここで迎え撃てば、村のインフラは破壊され、多くの村民に犠牲が出るだろうな。……村を守るためにも、村を戦場にするわけにはいかないか……」


アシュランは地図上の、村から少し離れた平原の地点を指で叩いた。


「迎え撃つ場所は、外だな。難民キャンプよりさらに前方、敵の進軍ルート上で軍を食い止めよう」


それは、村の圧倒的な防衛的優位を捨てて、平野での野戦を挑むという危険な提案だった。だが、村と難民の両方を守るためにはそれしか道はない。


アシュランの視線が、ギードへと向けられる。

村の最終的な意思決定者はギードだ。


ギードはゆっくりと目を閉じ、そして力強く目を開いた。


「よし。村としてそう決めよう」


その腹の底から響くような声は、決して誰かに流されたものではなく、村の代表としての揺るぎない覚悟を持っていた。


「自警団、村人、全員に伝えるんじゃ。我々は王国の理不尽な暴力に屈せず、この村の平和を我々自身の手で守り抜く」


独断ではなく、共同体としての合意形成。アシュランの合理的な戦術が、ギードの承認によって正式な「ウルム村の意思」となった瞬間だった。



方針が定まると、ギードは即座に村長としての役割を果たし始めた。

彼は集まった者たちを見渡し、次々と村內外の役割分担を確定していく。


「ロイルを呼べ。あやつには門外待機区画の責任者を命じる。外の難民たちがパニックを起こさぬよう、門前の秩序を維持し、炊き出し、水場、火の管理を徹底させろ。一歩間違えれば、軍と戦う前に難民の暴動で村が崩壊するやもしれんからな」


「承知いたしました」とクラウスが手短に応じる。


「カイン殿には、ゴーレム部隊と迎撃陣地の構築をお願いしたい。前線に出る者たちの後方支援じゃ」


ギードの的確な割り振りに、アシュランも小さく頷きながら言葉を継いだ。


「ロッテは……彼女自身の意思通り、表舞台に立ってもらう。王女としての権威をもって、門外の難民たちに向けた公式な掲示と、秩序維持のための声かけを行ってもらう。彼女の存在が、外の群衆を繋ぎ止める最大の楔になるはずだ」


「うむ」


ギードは全員の顔を力強く見回した。


「アシュランは外の迎撃を。ロイルは門前の秩序を。——村は分けて回すぞ。各々、自分の持ち場を死守してくれ」


その言葉には、かつて死刑宣告の地と呼ばれた辺境の村を導いてきた長としての威厳が満ちていた。



セドリックが村へ駆け込む数十分前。

村からはまだ見えない距離にある街道を見下ろす丘の上から、彼はその光景を視界に焼き付けていた。


空は白み始めているが、西の地平線はまだ重い雲と闇に覆われている。

冷たい冬の風が吹き抜けるその真っ暗な彼方から、無数の赤い点が、まるで意志を持った大蛇のように連なって這い進んできているのを、セドリックは確かに見たのだ。


それは、暴徒が掲げるような貧弱な松明ではない。

規則正しく、一切の乱れもなく進軍する、強大な軍事国家によって組織化された完全なる暴力の光。


難民の波という絶望的な前触れに続き、ついに本物の厄災が、この村の喉元へと迫っていた。


——火は、こちらへ向かっていた。

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