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追放物理学者の快適辺境ライフ 〜辺境の暮らしを快適化していただけなのに、なぜか聖女と賢者が弟子入り志願してきた〜  作者: しいたけ
第6章 秩序と瓦解

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第93話 神輿と進軍

お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも楽しんでいただけたら、幸いです。

王城の一角にある軍務省の作戦会議室には、重く淀んだ空気が立ち込めていた。

巨大な円卓を囲む軍の高級将校や参謀たちの顔には、一様に色濃い疲労と焦燥が刻まれている。軍務卿モンフォール侯爵の副官であるルネ大佐は、胃の腑が鉛のように重くなるのを感じながら、手元の最新の報告書を読み上げた。


「東門からの市民の流出は、依然として止まりません。昨日だけで数万という単位の人間が、家財を捨てて徒歩で街道へ出ました」

「下層区の衛生状態は完全に崩壊しました。汚物とゴミが溢れ、行き倒れた者の死体を回収する人間すらいません。……王都の都市機能は、もう折れかけています」


ルネの報告が終わっても、会議室には沈黙だけが落ちる。

大通りや軍の倉庫といった「要所」だけは重武装の兵士で死守しているが、それ以外の居住区は完全に無法地帯と化している。暴動が組織化され、王城や軍の施設に数万の民が押し寄せるのは、もはや時間の問題だった。


「……内側をこれ以上締め上げれば、間違いなく暴発するぞ」


初老の将軍が、苦々しげに呻いた。


「ガス抜きが必要だ。民の不満をぶつけるための、明確な『外の敵』がなければ、この王都は内側から破裂する」


誰の目にも、王都を維持するという選択肢はもはや残されていなかった。必要なのは、あと数日で限界を迎える市民の怒りの矛先を、安全な方向へ逸らすための「強烈な劇薬」だけだった。



「その敵なら、すでに存在しています」


重苦しい会議室の扉が開き、一人の青年が衛兵に案内されて入室してきた。かつての天才魔術師、アルベール・ド・リヒテンブール。

本来であれば軍の最高会議にただの部外者が足を踏み入れることなど許されない。だが、今の彼は公爵家が担ぎ出した「神輿」であり、中央広場で数千の市民の熱狂を味方につけた扇動者だった。


アルベールは居並ぶ将官たちの鋭い視線を浴びても一切怯むことなく、むしろ内側から燃え盛るような異様な熱を帯びた瞳で円卓を見渡した。


「民は飢えている。明日がどうなるか分からない暗闇の中で、深く恐怖している。……ですが皆様、彼らをその絶望の底に突き落としたのは天災ではありません」


アルベールのよく通る声が、会議室に響く。


「この国の秩序を壊し、その混乱から目を背け、安全な外へと逃げ出した者がいるからです」

「……東の辺境にあるという、あの村のことか」


ルネ大佐の問いに、アルベールは深く頷いた。


「はい。アシュラン・ド・ウルム。あの男は極めて危険です。彼はただの豊かな村を作ったのではない。圧倒的な技術と独自の制度によって、『神も王も、そして貴族も不要である』と民に吹き込み、この王国の外れに“国家の外”を作ろうとしている」


アルベールの言葉の端々には、かつて王城でアシュランに敗北し、全てを奪われたという暗く粘り気のある「私怨」の匂いが微かに混じっていた。

だが、彼はそれを決して前面には出さない。あくまで「国家の理念を脅かす敵」という、完璧に偽装された『救国の正義』として言葉を紡ぎ出した。


「放置すれば、王国の権威は地に堕ちる。あの特異点を討ちましょう。民の矛先を外へ向け、王都の秩序を取り戻すのです。……魔術院も、協力せざるを得ないでしょう」


アルベールは胸に手を当て、使命感に燃える英雄の顔でそう締めくくった。

私怨から発した狂気でありながら、その言葉には、極限状態の王都を救うための恐ろしいほどの「熱」と「説得力」が宿っていた。



「……よかろう」


アルベールの熱弁を静かに聞いていたモンフォール元帥が、顎を撫でながら低く重い声を発した。


「全軍に通達しろ。東の辺境における反逆者の『討伐軍』を編成する」


会議室にどよめきが走る。 だが、ルネ大佐にはモンフォールの意図が痛いほど理解できた。元帥は決してアルベールの熱弁に心を打たれたわけではない。すべては極めて冷徹な「軍人の合理」に基づく判断だった。


外に敵を作れば、内側の圧は下がる。

討伐の名目で物資も兵站路も握れる。——今の軍にとって、それが最短だった。


「そして、アルベール・ド・リヒテンブール」


モンフォールは、氷のように冷たい目でアルベールを見据えた。


「貴殿を、この討伐軍の名目上の総大将に任命する」


「……! 私に、軍を任せていただけるのですか!」


アルベールは歓喜に顔を輝かせたが、モンフォールの眼差しは一切の温度を持っていなかった。


「勘違いするな。軍の指揮は歴戦の将軍に執らせる。お前がやるのは、最前線で民の歓声に応えることだけだ」


なぜ、軍人でもないこの青年を総大将に据えるのか。その答えは残酷なほどシンプルだった。


「今の荒れ狂う民がついてくる『顔』が要る。怒りを束ねるための『旗印』が要るのだ。我々軍は、実質的な指揮を執り、ただ勝てばいい」


モンフォールは立ち上がり、アルベールの肩を重々しく叩いた。


「勝て。旗は私が立てる。顔はお前がやれ。……民は理屈では動かん。お前のような、綺麗でわかりやすい『名』で動くのだ」


アルベールは「救国」の使命感に身を焦がし、完全に酔いしれている。

だが、モンフォールにとって彼は、軍の横暴から市民の目を逸らさせるための、都合の良い『神輿』でしかなかった。

軍の武力と、天才魔術師のカリスマ。決して交わるはずのなかった二つの悪意が、今、完全に一つの方向へと結びついた。



作戦会議室での決定から数時間後。 王城の高層階にある豪奢な執務室で、リヒテンブール公爵は窓の外を見下ろしながら、グラスの赤ワインをゆっくりと揺らしていた。 窓の下の練兵場では、討伐軍として編成された兵士たちが、慌ただしく武具の点検と出立の準備を進めている。


「……モンフォールめ、ついに軍の主力を動かして王都を空けるか。窮余の策とはいえ、思い切ったことをする」


公爵は誰に言うともなく、薄く笑みを浮かべて呟いた。表向きには、彼は今回の討伐作戦の成功を祈り、多額の軍資金を拠出している。だが、彼の内側で渦巻いているのは「国を救う」といった感傷的なものではなかった。


「主力が抜けた王都は、丸裸も同然。……この混乱に乗じて、あの元帥の鼻を明かし、王都の完全な主導権を握る絶好の機会だ」


公爵の背後の暗がりに、いつの間にか音もなく一人の男が立っていた。

公爵が重用している優秀な相談役だ。公爵は彼を己の忠実な手駒だと信じているが、その男の本当の出処も目的も、いまだ知る由はなかった。


「空席ができます」


影に溶け込んだ男が、感情の一切ない声で短く囁いた。


「ああ。座る準備をせねばな」


公爵は満足げに頷き、一気にワインを飲み干した。

軍部、貴族、そして底知れぬ暗い影。それぞれの思惑と野心がドロドロに絡み合いながら、王都の闇はさらに深く、致命的な形へと変質しようとしていた。



夜明け前。

まだ薄暗い王都の東大通りを、圧倒的な質量の暴力が真っ直ぐに進んでいく。


逃げ出す市民たちの無秩序で悲惨な列とは対照的な、寸分の狂いもない整然たる軍靴の響き。

分厚い装甲に覆われた無数の兵站車。夜明けの風にはためく、王国の紋章旗。そして、その先頭で白馬に跨り、熱に浮かされたように東の空を見据えるアルベールとリヒテンブール公爵家の旗。


「楽園がある」「霊薬がある」という根も葉もない噂は、極限の飢えと怒りを吸収し、ついに国家という巨大な暴力機構を動かすに至った。

それはもはや、暴徒の群れでも避難民の大移動でもない。完全なる『戦争』の始まりだった。


泥濘の街道を踏みしめ、数千の兵士たちが門を越えていく。


次に来るのは、噂じゃない。——軍だ。

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