第四話 王宮での日々
王宮での朝は、穏やかだ。鳥のさえずりと、召使たちの足音、遠くで鳴る鐘の音。
けれどこれは、僕の方が早く起きればの話だ。
「バルカーッ! 起きろーっ!」
勢いよく扉が開き、眠気も遠慮もない声が飛び込んでくる。
「まだ眠い? じゃあ起きるまで枕で叩くぞ!」
「……やめてよ、バカ……」
「バカだと? 王子に向かってなんだその言葉づかいは!」
そう言って、クリウスは僕から布団をはぎ取り、脇腹をくすぐる。そうして僕は、笑い転げながら目を覚ます。
クリウスは仮面をつけている。僕も、顔を洗ってすぐに仮面をつける。
僕はアザを隠すため、いつも仮面をした。クリウスは、そんな僕のために仮面をした。
僕らはほとんどの時間を仮面で過ごすのだ。
「今日は朝の弓の稽古があるのだ。バルカにもやらせてやる」
「ハンスさんは、いいって言ったの?」
「言うわけないだろう」
「……なら、やらないほうが……」
「関係ないさ。ハンスは弓の稽古には滅多に顔を出さん」
その自由奔放さが、僕にはいつも、少しだけまぶしく見えた。
ちなみに弓の稽古場では、クラウスが僕に弓を握らせたちょうどその時、ハンスさんが現れた。僕とクリウスは、案の定こっぴどく叱られた。
***
弓の稽古を終え朝食の部屋に向かうと、そこにはもう一人の常連がいた。
「はいはい、王子様もバルカも、おはようございます」
大きなワゴンを押しながら現れたのは、ローザという女性だった。
栗色の髪を三つ編みにしていて、よく笑う。ハンスさんより、少し若いだろうか。どこか田舎の姉さんみたいな人だ。
「バルカ、こっち座んなさい。今日は特別にハチミツ入りのパン粥よ。体にいいんだから、残しちゃだめよ〜」
彼女はそう言って、僕の前に蒸気の立つお皿を置いた。
クリウスと僕は、仮面を外した。僕の素顔を知っているのは、ハンスさんとこのローザさんくらいだ。
「昨日なんてね、厨房の子が塩と砂糖を間違えてね。あたし、思わず口からーー」
「おやめください、ローザ様。食事中に聞かせる話ではございません」
「はいはい、王子様にはお上品な話しかダメでございますね。まったく、ハンスさんは厳しいんだから」
からかうように笑う彼女を、ハンスさんは冷ややかな目で睨んだ。
僕はそのやり取りが好きだった。まるで家族ができたみたいで、嬉しかったのだ。
食べ物の匂い、食器がふれる音、人の声。
これまで生きてきた中で、こんなにやさしい朝があっただろうか。
僕は、少しだけスプーンを進める速度を落とした。
この時間が、もう少し続けばいいと思った。
***
僕はほとんどクリウスに付きっきりだった。クリウスがどこにでも連れていきたがるからだ。
そして、クリウスの専属召使であるハンスさんもそうだ。
「クリウス様、勉強のお時間です。バルカ様、よろしければこちらで読書などいかがでしょう」
彼の言葉はいつも丁寧で、厳しいけれど優しかった。僕のことも、子ども扱いせずに接してくれる。
「僕も、クリウスと一緒に勉強をしてはいけませんか?」
ハンスさんは二度瞬きをして、それから穏やかに微笑んだ。
「構いません。勉強嫌いのクリウス様も、バルカ様となら机に向かってくださるでしょう」
クリウスは渋々ながらも机の前に座り、教科書を広げた。僕はその隣に座る。
勉強なんてしたことがなかった僕は、教科書の言葉は何も分からなかった。けれど、ハンスさんはなんでも優しく教えてくれた。
勉強の時間が終わってすぐ、何を思ったのかクリウスは部屋を飛び出して行った。
僕はさっき聞いた他国の戦争の話を思い出した。
「ハンスさん。あの戦争は、結局どちらが悪かったんですか?」
ふとそんな質問をしてみたとき、ハンスさんは少しだけ考えてから答えた。
「戦争に善悪などありません。それぞれの正義があり、それぞれの悪がある。けれど、強いて言うならば……勝った方が正義、になるのでしょうね」
「……勝った方が正義……」
僕はその言葉を、何度も心の中で繰り返した。
ハンスさんの言うことは、きっと正しい。それでも、それはなんだか理不尽で、悲しい言葉だと思った。
「バルカ様は、勉強がお好きですか?」
ハンスさんは、机の上の教科書を片づけながらそう言った。
「まだよく分からないけど……でも、知らないことを知るのは、面白いです」
「そうですか」
ハンスさんは穏やかに答えた。
「クリウス様は、勉強があまり得意ではございません。ですから、隣で支えてあげてください。クリウス様の足りない部分を、どうぞ補ってあげてください」
「僕に、そんなことができると思いますか?」
「できますよ。あなたは、とても賢いお方ですから」
ハンスさんは、柔らかい表情でそう言った。僕は初めて誰かに褒められて、なんだか胸がいっぱいになった。
「バルカ、何をしている! 早く来い!」
いつの間にか戻ってきたクリウスが、青い瞳をキラキラさせてそう言う。
ハンスさんを見ると、少し呆れたような顔をしながら軽く頷いた。
「いま行くよ」
僕はクリウスの隣に並ぶ。
王宮での日々は、忙しなくて慌ただしくて、そしてとても、暖かかった。