2 女司祭長 「She saw [ ].」 第三話
「ヤヒンとボアズか」
巫女の呟きで我に返った。白と黒の槍……よく見ると《THE HIGH PRIESTESS》のカードの通り、柱だった……の動きが止まっている。二本の柱の伸びた先に目をやると、宙にできた大きな亀裂で止まっていた。
僕は彼女の記憶をのぞき見た後悔でいっぱいだった。わずかにあった好奇心が消し飛んで、謝ろうと思っても何と言い出せばいいのかわからなかった。
「白がヤヒンで光、黒がボアズで闇。エルサレムの神殿にあったと言われているね。……遅いじゃないか、柾人」
巫女……あずささんが呼びかけた先を反射的に見ると、亀裂からものすごい勢いで男が飛び込んで来た。神主の帽子が床に転がる。僕は初めて会ったその男が誰なのか知っていた。記憶の中で柾人と呼ばれていた人だ。
「あず、怪我は?」
「無事」
「無事ってお前、顔切ってんじゃねーか。治すから見せて」
「要らない。浅いもの」
「傷残ったらどうすんだよ」
「傷が残ったら離婚する?」
「するかバカ」
「じゃあ治療は要らな……もう、お前は過保護なのだから」
あずささんの言葉の途中で柾人さんが傷の上に手をかざす。淡い緑色の光に、彼女はまぶたを閉じて笑った。
さっきまで見ていた記憶は嘘なのかもしれない。今の二人を見ていると、とてもあんな記憶を抱えているようには見えなかった。
柾人さんが手を離すと、彼女の頬の傷は見事にふさがっていた。カードを介して人の記憶を旅するようになってから、多少は不思議な体験をしてきたけれども、やはり奇妙な、自分とは関係のない架空の世界のことのように感じられて仕方がない。
僕は本当にあずささんの記憶を旅したのだろうか? 内容が内容だけに聞くのがはばかられた。
「あの」
「ああ、すまない。カードはこの通りだよ」
あずささんの手から《THE HIGH PRIESTESS》のカードを受け取った。カードは白紙ではなく、絵が描かれていたけれども、今、僕らの傍で白と黒の柱が亀裂に飲みこまれているように、カードの二本の柱のところに大きな傷が入っていた。僕は先ほど見た光景が、やはりあずささんの記憶だったのだと直感した。
「カードに傷をつけてしまったね。申し訳ない」
「いや、そんなことより、その、すみません」
つらい記憶を掘り起こした上、赤の他人である僕が記憶を見てしまったことを謝ると、あずささんはきょとんと目を丸くして考え込んでから、「ああ」と柾人さんの腕をとった。
「君が気に病むことはない。誰が見たところで現実であることには変わらないし、所詮は過去だ。なによりこういう仕組みなのだろう? さあ、帰ろう。お茶をいれる」
その顔は最初に彼女を見たときとは印象が違って、穏やかで優しげに見えた。
>>女帝へ