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残像少女  作者: 網笠せい
3 女帝 「鎖とその切断」
11/19

第二話

【 鎖とその切断 】


 両親が死んだのは七月の半ばを過ぎて、もうすぐ夏休みに入ろうかという頃だった。

 坂の上から見た街並が揺らめいていたのをよく覚えている。

 アスファルトの熱で景色が歪んで見えたのか、俺が泣いてたからなのかは、覚えてない。

 両親はいつものように仕事に出かけるといって、帰ってこなかった。


「柾人もいつまでも泣いてちゃダメよ。男の子なんだから」


***


 俺は三人兄弟の真ん中に生まれた。兄の京師(みさと)は今でこそ穏やかな性格だけれど、子供のころは傍若無人だった。父が甘やかしたのが原因だと思う。「お前のものは俺のもの」を地で行く性格だったので、何度か泣きながら父に抗議したことがあったけれど「俺とおんなじ顔でべそべそ泣くなや」と叱られた。兄は母に顔が似ているから、母にベタ惚れしている父はどうしても強く出られなかったのじゃないかと、俺はいまだに疑っている。一方、俺は父に顔が似ていたから、似た顔で泣かれるのがイヤだったらしい。父に甘やかされた記憶はあまりないけれど、妻のあずさは「十分かわいがってもらっていたと思う」というので、そうなのかもしれない。

 自分で言っておいてなんだけれど、妻というのはすごくいい響きだ。俺は妻のあずさが大好きだ。友人に「柾人の趣味はあずさちゃんなんじゃ?」と言われるくらいに大好きだ。自由意志で自分のそばにいてくれる恋人もいいけれど、婚姻届を出して社会的に一緒にいることを認められている妻という存在には、また格別なよさがある。朝目覚めたときに隣にいて、目が合うと「おはよう」と彼女が微笑んでくれるだけで「好き! この生活を何に変えても守らねばならない!」と毎回ひそかに決意するし、隣に並んで朝ご飯を作ったり食べたりしているだけで共同作業をしている感に心がときめく。彼女の笑った顔が一番好きだけれど、笑っていなくても、まったくもって構わない。怒っていても、照れていても、澄ましていても、すねていても、何をしていてもそれはそれで味がある。色んな表情を見たくてたまらない。他人が見て一般的にかわいいと思うかどうかは別として、俺にとっては間違いなくかわいいので何の問題もない。泣いているのだけはあまりうれしくないけれど、彼女が彼女であるならそれでいい。笑ってもらえるように俺が努力するだけだ。若いころはとにかく彼女と一緒にいたくてたまらなかったけれど、結婚してからは、一緒にいなくても彼女が好きなことをしてくれればいいと思うようになった。朝起きたときに隣に彼女がいなくても、「朝食のパンを買ってきた」とフランスパンを切らずに丸ごとかじっていても、俺が「そのパンは切って食べなさいよ……」と呆れていても(ちなみにこれは今朝の話である)、それはそれで味がある。俺は巨乳が好きだけれど、妻のものなら小さくても形が悪くても構わない。好みなど超越する熱量がある。触らなくても見えなくても全然問題ない。そこに存在していること自体がありがたいのである。これは神様に対する信仰に近いのではないか。誤解のないように付け加えておくと、おっぱいを信仰しているわけではない。

 つまり俺の一番の趣味は、友人の言ったとおり、妻のあずさである。彼女に依存している、愛というより狂信だと指摘されたこともある。俺の行動の半分くらいの動機が妻由来であっても、熱狂的に妻を好きで何が悪いというのか。束縛しているわけでもない。

 持ち込まれたタロットカードが人の記憶を吸い取る装置だとして、妻との思い出だけは吸い取られるわけにはいかない。つらい記憶を吸い取る術だというので、彼女の実家絡みの記憶が吸い取られることならあるかもしれないけれど、彼女との記憶は対象外だろう。

 話が大いに逸れたが、人間は自分の好きなことを目いっぱい語り倒したくなるものだというから、妻のことを語り倒す俺のことを、どうか大目に見て欲しい。次のカードは女帝だそうなので、母との悲しい記憶を吸い取ってもらおうと思う。うっかりタロットカードを触ってしまった俺が悪い。


***


 母の最期の言葉は「柾人も、いつまでも泣いてちゃダメよ」だった。

 俺のおやつのシュークリームを、兄の京師が勝手に食べた。泣いている俺に、母はみたらし団子をくれた。若干ずれているが、母にはそういうところがあった。やさしい母が大好きでお母さんっ子だったけれど、子供心に「そういうことじゃない」と思うことがよくあった。

 両親の出かける時間になっても「シュークリームが食べたかったのに」とべそべそ泣いている俺に、「柾人もいつまでも泣いてちゃダメよ。男の子なんだから」と母は言った。頭をなでてもらった。それが母との最期のやりとりだ。

 父は「はよ泣きやめや」と渋い顔をしていたような記憶があるけれど、あまり覚えていない。大人になって、ますます父に似てきたなと鏡を見ながら思うことがあるけれど、あの日の父の表情は思い出せない。

 母の何気ない一言が鎖になったのか、両親が事故にあって還らぬ人となってから、俺はしばらく泣けなかった。兄弟は通夜や告別式の間は泣かなかったけれど、ようやく実感がわいたのか、遺体を燃やす直前に泣きじゃくった。親族や、両親にろくに会ったこともないクラスメイトでさえ泣いているのに、俺は感情が麻痺していたのか、涙が出てこなかった。遺言が「泣いてちゃダメよ」だなんて反則だ。

 そんな俺を泣かせたのは、まだ子供だった妻だ。

 俺の両親が亡くなったとき、あずさも泣かなかった。彼女は元々あまり泣かない子供だったけれど、家にはよく遊びに来ていたから、同じように麻痺していたのかもしれない。

 小学校からの帰り道、何も言わずに一緒に歩いた。

 妻のあずさとは生まれたときからの付き合いだし、よく遊んだ。うちに何度も来た。両親のこともよく知っていた。

 俺の両親が亡くなってクラスメイトが泣くのは意味がわからないけれど、こいつだったら泣いてもいい。なのに、あずさは泣かなかった。なんで泣かないのかと腹が立って、ケンカをふっかけた。彼女は何の反応も見せなかったから、一方的に悪口を言った。

 坂の上から見た街並が、揺らめいていた。

 アスファルトの熱で景色が揺れて見えたんだと当時の俺は思いたかったけれど、きっと泣きたかったのだろう。悪口を言っている俺の方が泣くのはおかしな話だ。あずさが少し、早足になったのを覚えている。

 ひと気のない道にさしかかった途端、あずさが俺を殴った。本気で殴ったわけじゃない。漫画みたいに擬音をつけるとしたら、ポカポカなんて文字が似合うような攻撃だった。

 けれどすごく痛くて涙が出た。止まらなくなった。

 やり返したような記憶がある。女の子を殴るのは男として最低だけれど、このときの俺はそんなことを言っていられなかった。それでもやっぱり子供だったし、力があったわけでもないから、あずさがしたのと同じような攻撃だったけれど。

 あずさはそれ以上俺を殴らなかった。


「泣いたのかと誰かに聞かれたら、私とケンカしたって言えばいい」


 あずさは俺をお地蔵様のお堂のところに連れて行って、少し離れた場所に立った。

 そうしてあたりを見回して、自転車が通るたびに俺の方を見て首を横に振った。きっと他の人に見られないように見張っていてくれたのだと思う。

 足元に彼岸花が咲いていた。あずさのランドセルと同じ赤い色で、とても綺麗だった。

 母の何気ない一言は鎖になってしまったけれど、早々にあずさが断ち切ってくれた。

 だから俺は、妻が大好きだ。それまでもあずさのことが好きだったけれど、もっと好きになった。不器用なやさしさに惹かれた。まだ子供だったのに、結婚するならこの人がいいと思った。

 結婚に至るまでには色々な紆余曲折があったけれど、それでもあずさが応えてくれてよかったと思う。

 彼女が応えてくれなければ、あずさの影をひきずったまま、何十年と生きていたかもしれない。


(鎖とその切断・了)

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