0 愚者 「ある骨董品店の一日」 第一話
「フリルのついた服を着た愛らしい少女は影の中からすっくと立ち上がり、月を背負いて妖艶なる微笑を浮かべた。夜の中できらりと光る両目が、猫の目のようにめまぐるしく印象を変える。こめかみに当てた指がとんとんと踊ったかと思うと、少女は唇の隙間から息を漏らしてこう言った。
『誰の脳にも膨大な視覚情報があるわ。すべての映像記憶は残像たりうるの』
……ああなんたる神出鬼没!」
ラジオから流れる講談師の声がうるさくなって音量を下げた。田辺骨董品店の午後は驚くほどヒマである。
店主曰く、骨董に興味があるのは爺さん婆さんがほとんどで、そういうお年寄りは朝が早いから来客も午前中に集中するのだということだが、その午前中だって客が来ているのを見たことがない。
僕はバイト代につられて大学の授業をサボったことを今さら後悔した。退屈なのは大して変わらない、それなら金をもらえる方が得だと踏んだのだが、ほこりをかぶった汚らしいタヌキの置き物だの、ヒビの入った皿だの花瓶だのに囲まれて過ごす午後は、限りなく僕を憂鬱にさせた。
半ば趣味でやっているような店なのだから、店番など頼まずに店を閉めて行けばいいではないか。そう言うと、骨董品店の店主──僕の叔父である──は、「一期一会」と噛みしめながらうなずいて、一人納得してしまった。完全に僕は置き去りである。
こうして僕はたった一人、ホコリ臭い店内で店番をすることになった。はじめはどうか客が来ませんようにと祈っていたのだけれど、本当に客が来ない。ついには退屈して、文机に頬杖をついたりあくびをくりかえしたりした。
アゴの骨が痛くなりはじめた頃、ようやく扉につけたベルが鳴った。つづけてガラガラとカートを引く音がする。僕は跳ね起きて姿勢を正し、パソコンの電源を入れた。
「いらっしゃいませ。申し訳ないんですが、ただいま店主が留守でして、買取の方は……」
帳場を出て声をかけ、骨董品の間から客をのぞきこむ。髪の長い女の子だった。白いレースが頭に乗っているのが目に入って、僕はあっけにとられた。名前はなんというのだったか、メイドが頭につけていそうな物体である。パラソルのような形をした黒いスカートは、裾にたくさんのフリルがついている。波打つひらひらがブラウスのあちこちにあって、袖は途中から大きく広がっている。立ち上がった襟の合わせ目には大きなリボン。いわゆるゴスロリファッションというやつだ。適度な少女趣味はかわいらしいのだけれどここまで徹底するとコスプレに近い。どうにも魅力を理解しかねる。
僕の戸惑いなど露知らず、ゴスロリファッションに身を包んだ女の子は首を小さく傾けてはにかんだ。そうして首を左右に振った。よく見ればかわいい女の子だ。化粧は濃いが、指や首を見る限り、元から色が白いようだし、髪は長めのストレートで真っ黒だ。化粧を落として制服を着れば、近隣の有名お嬢様校の生徒といっても十分通じる。
「ああ……すみません。何かお探しですか」
可憐な少女は手にした日傘──やはりこれもレースがたくさんついている──を手の中でくるくると回し、こくんと控えめにうなずいた。
「えーと、どういう……あ、頭に乗ってるような感じの?」
はにかんで首を振った姿が愛らしくて、僕も小さく笑った。
「これ、なんて言うの?」
「ヘッドドレス」
女の子は蚊の鳴くような声でそう言うと赤面してしまった。僕は調子に乗ったことを反省しながら、もう一度「何を探しに来たの?」と聞いた。
「あの……タロットカードを……」
「ああ、占いに使ったりする?」
パソコンの前に戻ってデータベースを立ち上げ、商品検索の欄にタロットカード、と打ち込んだ。後は待つだけ。数百を越える商品の中から、パソコンが在庫を確認してくれる。在庫があるなら置き場所も教えてくれるから、一日限定のバイトでも十分接客ができる。
検索結果を画面で確認して棚に向かうと、唐草模様の彫りが入った、銀色の小箱を見つけた。ふたに卵型の飾りがついていて、ハーモニカより一回り大きいくらいのサイズだ。定価は三万円。なかなか品のいいデザインで、箱を見る限りそれなりの値段がするというのもうなずける。