第10話:壊れる時間
夜の空気はひんやりとして、ビルの窓から差し込む月明かりが薄く部屋を照らしている。夕は、オフィスのデスクに座り、もう何時間もパソコンの画面を見つめていた。残業が続いているが、ここにいるのは普通の仕事の一環だと思っていた。
ふと、時計を確認する。
21:37——その数字が目に入った。
少し目を閉じて、肩を回す。疲れが肩に溜まっていることを感じる。だが、仕事を終わらせなければと思うと、休む気にはなれなかった。
もう一度時計を見る。
21:37のまま。
「…おかしいな。」
夕は首をかしげ、今度はスマホを取り出す。普段はあまり意識していないが、今日は特に気になる。
スマホを開くと、画面に表示されたのは、ちょうど送信する前に見たはずのメール。
ふと画面を確認すると、メールの送信履歴におかしな点があった。
「未送信」……。
「は?」
明らかに、送り終えたはずのメールが、まだ送信されていない状態になっている。パスワードの入力を忘れたのかと思い、再度送信しようとするも、画面は一向に反応しない。
「まさか、バグ?」
再度、操作を試みるも、反応はない。
「これ、どうなってるんだ?」
その時、何かが胸に不安を引き起こす。
ふと、オフィスの静けさが妙に不気味に感じてきた。
振り返ると、誰もいない。
誰もいないはずなのに、机の間にわずかな影がちらついた気がした。
「……もう帰るか。」
その時、急に不安に駆られる。会社の誰かが残っているわけではないのに、なぜか冷や汗が背中を走る。パソコンの画面を前にしたまま、気づけば異常な静けさが部屋を包み込んでいる。
——いや、もう帰ろう。
夕は急いでバッグを掴み、立ち上がる。手を伸ばすと、背後から少しだけ冷たい風が感じられた。
それがどうしても、安堵よりも不安を呼び起こす。
机の前に戻ってきて、再度時計を見る。
—21:37—
「おかしいな」
確か、もう二時間は経っているはずだ。時計を見ながら何度も息を呑む。
「……あれ?」
その時、急に何かが頭に浮かんだ。ふと、スマホの通知が表示される。
「おはよう。」
「詩織?」
そのメッセージが浮かんだ瞬間、夕の胸がどきりと跳ねた。おかしい。今は夜のはずだ。
「おはよう」なんて言われる時間じゃない。
急いでメッセージをタップして返信しようとしたその時、またまたメッセージが届く。
「おはよう、夕。」
さらに混乱する。今度は、明らかに時間が戻ったように感じる。朝が来たわけではないはずなのに、このメッセージにはどうしても答えなければならないような気がした。
「今、何時?」
震える指で返信ボタンを押すと、画面が一瞬で反応し、すぐに詩織から返信が届いた。
「今は、あなたが決めていいよ。」
その言葉が、深く夕の脳裏に響く。
—決めていい?
まるで、今の時間が何も決まっていないかのように感じた。自分がどこにいるのか、時間がどこに行ったのか、何もかもが混乱してきた。
動悸が早くなる。
再度、スマホの画面を見ると、時刻は依然として**「23:99」**となっている。
どうして?
何かがおかしい。こんな時刻、存在しない。
時間が壊れている?それとも——。
震える手で、もう一度時計を確認するが、そこには不思議なことに、時計が表示されない。
視界が揺れる。
次の瞬間、背後で声が聞こえた。
「あ、夕。おかえり。」
声の主は、少し甘い響きがあり、どこか優しくも異常な響きを持っている。
その声を聞いたとき、背中に冷たいものが走り抜けた。
夕はふと、部屋の中を見回す。
——そこには、詩織がいた。
なぜ?
そのとき、手が肩に触れる感覚がする。
まるで、すでに決まっていたかのように。




