第1話:それは、ほんの些細な違和感
カチ、カチ、カチ……
時計の針が、規則正しく時を刻む音がする。
夕はうっすらと目を開けた。寝ぼけた頭が重い。
枕元のスマートフォンを手探りで探し、画面を確認する。
——6:30。アラームが鳴る時間だ。
目をこすりながら、掛け時計に目を向ける。
……?
時計の針は、昨夜確認した時とまったく同じ位置を指している。
「壊れてる……?」
首を傾げつつ、スマホの時刻を再び確かめる。
6:31。問題なく動いている。
それなら、単に電池が切れたのかもしれない。
違和感を振り払い、ベッドから体を起こした。
——いつもの朝。いつものルーティン。
洗面所で顔を洗い、歯を磨く。
スーツに袖を通し、手早く身支度を整える。
コーヒーメーカーのボタンを押し、トーストを焼く。
いつも通りの朝食のはずなのに、どこか現実感が薄い。
そんなモヤモヤを抱えたまま、会社へ向かった。
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「……え?」
パソコンの画面を見つめたまま、夕は思わず声を漏らした。
昨日送ったはずのクライアントへのメールが、「未送信」のまま残っている。
送信履歴にも、送った形跡がない。
けれど——
クライアントからの返信は、確かに届いている。
「そんなはず、ない……」
もう一度、慎重に送信履歴を確認する。
しかし、やはり昨日の送信記録はどこにもなかった。
それなのに、クライアントは「資料、確認しました」と返信している。
送っていないメールに、返信が届くはずがない。
何かがおかしい。
「夕、どうかした?」
肩を叩かれ、はっとする。
振り向くと、詩織が立っていた。
「……詩織。ねえ、これ……」
画面を見せようとして、手が止まる。
どう説明すればいい?
「送っていないメールに返信が来た」なんて、変なことを言えば心配されるかもしれない。
夕は言葉を飲み込んだ。
「いや……ちょっと考え事してただけ。」
曖昧に微笑むと、詩織は安心したように笑った。
「そんなことより、今日のプレゼン、大丈夫?」
「あ……うん、準備はしてる。」
仕事に集中しなければ。
些細な違和感を気にしている場合じゃない。
夕は自分にそう言い聞かせ、目の前の資料に視線を戻した。
——けれど、背中に詩織の視線を感じた気がした。