20薬物研究室
私の脚はとても早足になった。ここで急いだところで殿下の命の危険がどうにかなるものではない。でも急がずにはいられない。
走って薬物研究室のある建物に着いた時にはかなり息を切らしていた。
薬物研究室は王宮の中でも別棟にある施設だ。この施設には魔法の研究機関もあり魔石や魔道具などの開発や研究もしているらしいと聞いていた。
だが、実際にはどんな事をしているかは全く知らない。
初めてここを訪れた私は建物の中に入ったのは良かったが迷ってしまった。
建物自体は二階建てでそんなに大きくはない。それでも地下室もあるみたいだし案内図などもない。
それに何より薄暗消毒薬らしい独特の匂いが鼻につんと来る。
それでも何とか一階の廊下を歩きながら一つずつ扉にあるプレートを確認していく。
もちろんプレートのない扉もあるのでそれは飛ばす。
「あった。ここだ。薬物研究室」
何個目かの扉のプレートに薬物研究室の札を見つけて喜んだ。
恐る恐る扉をノックする。何しろここまでに誰とも会う事もなかった。人のいない建物がこんなに気味が悪いとは思わなかった。
「はい、どうぞ」
男性の声がしたのでそっと扉を開けて顔をのぞかせる。
白い白衣を着た男性の後ろ姿が目に入る。私は急いで扉を開いて声をかけた。
「失礼します。薬物研究室はこちらでいいのでしょうか…」
「ああ」
返事はするが顔がこちらを向くことはない。
「あの…ここでは毒の検査も出来ると伺ったのですが…」
「ああ、出来る。こう見えても一応王立の研究機関だからな。それより君のお名前は?」
ぶっきらぼうな声が帰って来る。追い返したいの?と思うがこんな事で怯むはずもない。
「ええ、そうですね。失礼しました。私はリンローズ・コリーと言います。シュナウト殿下にここで薬物の検査が出来ると聞いて来たのですが」
「シュナウト殿下の何なんだ?」
何なんだって!失礼な。一体だこの貴族なんだ。こいつはと思いながらも…
「私はシュナウト殿下の婚約者です。それで殿下に伺って…もう、これを見ればわかるでしょ!」
私は左手の薬指を広げて見せる。婚約指輪は青い大きな宝石で王族くらいしか持てないと思われるほどの指輪を。
「ああ、確かに…これは失礼。それで?」
って?失礼な人な。あなたこそ誰なのよと。
「あの、失礼ですがあなたはここの?」
「ああ、失礼、私は所長のリンハル・トマーソンだ。どうぞよろしく」
脳内で貴族名鑑がパラパラとめくれる。あっ。
「まあ、トマーソン伯爵家の方でしたか」トマーソン伯爵家はコリー領の隣でタウンハウスも近い。でも、こんな人は知らない気がした。
「まあ、私は変わり者で夜会にも顔を出さないし家にも滅多に帰ることもないからな。初めて会うと思うが…コリー嬢」
どうやらこんな人知らないと顔に出ていたらしい。
「いえ、こちらこそ。挨拶はそれくらいでトマーソン様。実はこの薬の成分を急いで調べて欲しいのです。ついでに午前中に持って来た疲労回復薬の成分はわかりましたか?」
当然アシュリーが持っていたあの薬も気になっていた。
「わかりましたか。って午前中そんな依頼はなかったぞ。ったく。いいから少し待ってろ」
リンハルは薬を受け取りながらそう言った。
「えっ?」一瞬驚いた。まさかラドール様が嘘を?もしかして彼もおじいちゃんの味方?
シュナウト殿下は見張られてるって事?こうなると都合の悪い事はわからないように隠すこともできるわね。
でも、それも自業自得。彼にも責任のあることなんだし。
ここで同情など出来るわけもない。
今はとにかくドーナン殿下を助けることが先決問題だから。
そんな事を考えている間に彼はさっさと薬を受け取り手際よく小さな容器に薬を分けて行く。
5つほどの容器に入れられた薬を水溶液で溶かして混ぜると数種類ある小瓶から取り出した薬液をそれぞれ一滴ずつ落として行く。
一つの容器が赤色に変色した。
「どうやらこの薬には毒が入っているな。これは紅兜という毒草だ。少しずつ体内に取り込むことで心臓を弱らせて行くと言う厄介な代物だ。数か月、いや数年かけて体を蝕み最後にいつか心臓が止まると言う恐ろしい毒なんだ。ちなみにある程度の量を一度に接種すると止まった心臓を動かすと言う驚きの効果もあるんだが…とにかくこの薬はすぐに飲むのをやめた方がいい」
それだけ言うと彼はもう別の案件に取り掛かっていた。
「わかりました。でも、それ以上の事は聞かないんですか?」
「そんな事をしていたらこっちの身が持たん。毒を飲ませると言うことはそれなりの悪意のある事だろう?万が一間違って犯人でも知ったらどうなると思う。勘弁しろ。俺達は頼まれた仕事をするだけだ。それ以上は追及出来ない。わかったらもう帰れ!」
「ああ…はい、すみませんでした。あの、それでラドール様は来られなかったという事ですよね」
「今日の午前中は誰も来てない。さっきそう言ったはずだ」
「あの、午前中はあなた一人だったのですか?」
「しつこいぞ。ここはたいてい俺だけだ。用が済んだら帰ってくれ。こっちは忙しいんだ!」
ぶっきらぼうにそう答えると彼はもう他の仕事に取り掛かっていた。
「そうですか。ありがとうございました」
私は急いで薬物研究室を後にした。




