法治国家とは?
週が明けて月曜日の午前中、森高は検察庁に移送されるところだった。何故警視庁からこんな所に何度も連れて来られるんだと、森高は憮然とした態度で移送車から降りた。建物内に入り、ゆっくりと歩かされながら森高は溜め息を吐く。時折ガラスに映る、自分の姿を見て情けないやら悔しいやら。腰に結わかれた縄が、ペットを散歩させる時のリード線に見えてしまうのだ。森高は、肩を落として歩きながら聴取室に案内される。部屋に入ると、椅子に座らされて検察官が来るのを暫し待たされた。先週の取調べで、森高は嫌味で粘着質のある本来の自分に戻っている。人生初の逮捕も取調べも想像より軟弱で、拘束期間さえ凌げばどうにでもなると考えていた。この拘束期間さえ凌げば、弁護士を駆使して無罪か執行猶予に持ち込む事が出来ると思ったのである。最愛の石川の事件を、知りもせずに社長と会食をした。そんな自分を責めてはいたが、現状を如何躱すかと言う思考が本来の森高を取り戻させたのだ。「どうせ今日も、緩い聴取だろう。」と考えていたその時、ドアが開き検察官が事務官を従えて入って来る。
『お待たせしました。じゃっ、始めましょうか。今日の聴取は録音と録画をしていますんで、ご了承の程よろしくお願いしますねぇ。』
ツカツカと森高の対面に回り、椅子に座りながら検察官が言った。
『・・・・・。』
森高は、無言で視線も合わせない。
『私検事の松田と申します、よろしくお願いします。それでは、自宅と森高さん名義で借りているトランクルーム。ここから現金が出てきています、このお金の内訳を教えてもらえませんか?』
『・・・・・。』
森高は、嫌らしいニヤけ面をして何も言わない。
『正仁会の奥村さんを知っていますよね、貴方のトランクルームに出入りしていますもんね。貴方は世田谷区内に、三ヶ所のトランクルームを借りていますよね。この三ヶ所全てで、奥村の出入りが防犯カメラに映っていました。トランクルームの鍵でさえも、共有出来る程の人間関係があるんですよね。赤の他人どころか、友人知人であってもそういう関係になれるのかどうか。正直私には、そういう付き合いの人はいません。そう考えると、相当の信頼関係があるようにしか思えないんですよ。』
『・・・・・。』
森高は、挑発する様にニヤけ面で黙っている。松田検事は、挑発に乗る事なく冷静に続ける。
『奥村さんは言っていますよ、貴方の部屋にも運んだって供述しています。トランクルーム三ヶ所に、キャリーケースを四個づつで計十二個。そしてキャリーケース三個分を、貴方の自宅マンションに運んだと。貴方の大切なワインケースの背板裏に、四百万を一束にして二十五個を入れたと。これで一億円。そしてこのワインセーラー裏の壁の中に、隠し金庫を作っていたんですよねぇ。その中に二億、自宅だけでもう三億円だ。でも、これだけでは終わらない。トランクルームの二ヶ所分は、奥村が自宅に運んでいる。奥村の内縁の妻のマンションから、キャリーケースが八個押収されています。一つ一億で、計八億円。これが、奥村の取り分って事ですか?』
森高が、苛つきながら何かを話そうとした。だが松田検事は、右手を森高の眼前に差し出して話しを続ける。
『でももう一ヶ所のトランクルームには、キャリーケースが残っていました。キャリーケースが計七個で約七億円、自宅マンションの分と合わせたら合計十億円ですよ!何で貴方の周りには、こんなに大金が溢れか返っているんですか?南州製薬さんは本部長になられると、こんなに高給取りになれるんですかねぇ。我々は公務員ですのでね、本当に羨ましい限りですよ。それで今、何を仰ろうとしたんですか?』
『・・・・・。』
森高は、またぞろ黙りこくった。
『捜査二課の聴取でも、ずっと黙っているみたいですねぇ。それじゃあ森高さん、今度は石川睦さんの事を聞く事にしましょうか。石川さんとの事だったら、話していただけるんじゃないのかなぁ。石川さんとは、いつからの関係なんですか?』
森高は、ニヤけたまま応えた。
『貴方には想像する事も出来ない、深くて強い絆で結ばれた関係です。』
松田検事は、気にも留めずに質問を続ける。
『石川さんが、大学生の頃から面識がある様ですね。彼の南州製薬入社にも、尽力してあげたとか。その後は、公私共に親しい関係という事ですか。それでは、奥村さんとの付き合いとどっちが長いんですか?』
『・・・・。』
『これには、応えてくれませんか。じゃあ、こんな話はどうですかねぇ。貴方にも直に来ると思いますが、奥村さんは今公安から聴取を取られているんですよ。今日はその事については聞きませんが、貴方も心の準備はしておいた方がいいですよ。公安の取調べは、検察なんかと比べ物にならないでしょうからね。じゃあ少し休憩しましょうか、藤原さん録音と録画切っておいて下さい。トイレに行ってきます。』
事務官の藤原にそう言って、松田検事は部屋を出て行った。森高は黙秘を貫いてはいたが、最後の検事の言葉には少々肝を冷やした。
「公安?彼は、奥村が公安に聴取されていると言っていたのですよね。なんでそんな事になっているんですか?」
森高の頭の中は、少し混乱し始めていた。暫くすると、松田検事が戻って来て藤原事務官に声をかけた。
『例の写真を出して下さい、それともう少しこのままで。』
松田検事は写真を受け取り、数枚の写真を並べていく。
『これは、石川睦さん刺傷事件の現場写真です。これが、現場全体の写真。そしてこれが傷口で、こっちが石川さんの血痕です。』
森高は、余りにもグロい写真に目を背けた。松田検事は、森高を覗き込む様に話す。
『おいおい、何目〜背けてんだよ。さっき迄のニヤけ面は何処に行ったんだぁ?ああぁ!おら、見ろよ。見ろって。俺には分かんない、深くて強い絆を持った石川さんの傷跡をよぉ!オメーが喋ったのは、石川さんの事だけだっただろうがよ。』
そう言うと松田検事は、森高の頭を両手で抱え込んだ。そして強引に、写真の方を見させようとする。
『ほら、これがお前の特別な人だ。これを見ても、お前は何とも思わねぇ〜んだよなぁ。毎日々ずぅ〜っと、ニヤけ面してスカしてんだもんなぁ!お前みたいな奴、同性愛者の間でも蔑まれてるんじゃねぇ〜のか?あぁ?』
『・・・・。』
『男愛そうが女愛そうが、薄情な奴ってのはクソだもんなぁ?なぁ、そうだろ?』
森高が、あからさまに取り乱し始めた。
『あぁ・・・・あぁああ。』
松田検事が、構わずに畳み掛ける。
『おらしっかり見ろよ、お前が何億か掠め取る為に犠牲になった石川さんをよぉ。可哀想にさぁ、用がなくなったら刺されちまってよぉ。利用するだけ利用して、口封じの為にポイってかぁ?あぁ?誰にやらせたんだ?奥村にでも頼んだのか?次の男は、奥村ってわけか?あぁ?』
森高の髪を、鷲掴みにして前後に揺さぶる。
『違う!私じゃない!私の訳がないじゃないか!』
『うるせえよ!オメェの都合で喋ってんじゃぁねぇぞ!おら、こんなになっちまった石川さん見てニヤけてみろよ!オラ!笑えって言ってんだよ!さっきまでダンマリ決め込んでたくせに、てめーの都合だけで言い訳しやがってよぉ。口もケツも、ガバガバなんじゃねぇかよ。奥村の供述じゃあ、石川さんは無関係で奥村と舎弟で運んだってよ。防犯カメラにも、石川さんの姿はなかった。という事は、お前と奥村は初めから石川さんを利用して殺す予定だったんじゃねぇのか?』
『知らない!・・・・・私は知らない!』
森高は、泣きながら叫ぶ。しかし、松田検事は容赦しない。
『何泣いてんだよ、このクソ馬鹿タレが!お前が、どんだけの人泣かせて来たと思ってんだよ!お前が泣いたって、誰も見向きもしねぇんだよ馬鹿野郎!なに弱者ぶってんだよ。お前は散々人を見下して、小馬鹿にして裏切り続けて来たんだ。なにが、深くて強い絆だよ。笑わせんな、このクソ馬鹿タレがよぉ。』
森高が、泣きじゃくりながら訴える。
『こんな暴力的な取調べ、違法じゃないか!』
『うるせえよ!犯罪者が法律語ってんじゃねぇよ!法律破ってここに来てる奴が、調子のいい事言ってんじゃぁねぇぞ!都合が悪くなったら、掌返して被害者面か?』
『・・・・。』
『それじゃあよおぉ、誰が石川さんの無念を晴らすんだよ。お前らの計画は、石川さんの強い意志によって頓挫させられる。石川さんはまだ生きているし、必ずお前に利用された事の落とし前をつけに帰って来るよ。必ずな!お前は金の為に、石川さんを利用して裏切って殺そうとしたんだ。そんなクソ野郎が、ふざけやがって違法な取調べだと?じゃあ、お前の犯した罪の事話してみろよ!』
『私にだって、・・・・私にだって権利があるんだ!人権侵害だぁ!わぁぁ。』
小さい子供の様に泣き叫ぶ森高に、松田検事は少し声のトーンを落として言った。
『人権だぁ?お前、ふざけんなよ!付き合ってる、愛おしい男殺らせといて何言ってくれてんの?』
森高は、失禁しながら泣き叫ぶ。
『だ〜か〜らぁ〜・・・・だから、私じゃないんだって。』
松田検事は、鼻で笑いながら続ける。
『ふっ、・・・・どんな殺人犯だって俺は知らねぇって言うよ馬鹿。』
『だ〜か〜らぁ〜、私じゃないんですって。聞いて下さいよ。』
泣きながら懇願する森高に、松田検事は冷めた目をして続ける。
『奥村は自供してるみたいだよぉ、お前に投資詐欺の確認を電話でしたってさ。金額のデカいヤマだから、事前にお前に確認してから動いたってな。だからお前には、投資詐欺と売春周旋と脱税と殺人未遂教唆の容疑がかかってんの!解ったかぁ?ほらさっきやってた、お得意のニヤけ面してみろよ。ホラ!早くよぉ。』
『ちょっ・・・・、ちょっと待って下さいよ。何言ってるんですか?落ち着いて聞いて下さい!私は、関係ないんです。私じゃないんです!』
『はいはい、そうなんだよなぁ〜。今まで散々ニヤけ面してダンマリ決め込んでたくせに、今度はえらく喋るんだなぁ?んん?都合のいい時だけお互い様か?ああ?』
『いや・・・・。』
『あのさぁ〜、こっちはどうでも良いんだよ。お前が、人殺しをしてたとしても誰を騙してても。』
『えっ・・・・・?』
『お前解ってる?お前が拘置所行こうが刑務所行こうが、ぜ〜んぶ国民の血税でやるんだよ。その国民の血税で、何でお前みたいなクソ馬鹿タレを生かしておかなければなんねぇ〜んだよ。そんな馬鹿な話ねぇだろ?汗水流して働いて、その賃金から搾り出して払った税金でだぞ?今の世の中、政治家は国民を苦しめる為にいるって言われてるんだよ。その中で骨身を削り、血を吐きながら搾り取られた血税なんだよ。それを、お前みたいなクソ野郎の為に使う意味が解らないだろう?』
『・・・・・。』
松田検事が、再度森高の顔を覗き込む。
『大体お前、なんで生きてんだよ?留置所で、首括るチャンスなんて死ぬほどあっただろ?何のうのうと生きてんの?頼むから勝手に死んでおいてくれよ。俺だってお前みたいなさぁ、同性愛者の仲間は金に変えちまう。その上、恋人を殺させようとするなんて。そんな、クソ野郎の相手なんかしたくねぇのにさぁ〜。ええ?』
『んぐっ・・・・。』
森高は、泣きじゃくるだけだった。松田検事は、振り返って藤原事務官にさわやかに言った。
『藤原さん休憩終わるんで、録画と録音再開して下さい。』
森高は、愕然として固まった。そんな森高を一瞥し、松田検事は質問を再開する。
『それでは約十億円のお金のうち、投資詐欺のお金は幾らぐらいなんですか?割合でも構いませんよ?』
森高は固まったままで、涙を流しながら黙秘を続ける。この後、二十分程黙秘を続けて聴取は終了した。
『すみません、こいつ警視庁に帰して下さい。終了です。まったくぅ、漏らしちゃってさ。掃除しないと、臭くなっちゃうなぁ。藤原さん、すみませんけど手伝って。』
ふらつく森高を、警察官が抱え上げて引きずる様に退出させて行った。
森高が涙を流していた頃、奥村は午後の聴取に備えていた。そこに、身に覚えの無い面会者が現れる。
『どうも、誰に頼まれたのか知らないけど有り難いねぇ。』
弁護士は、爽やかに笑って応えた。
『新居真一郎さんから、奥村さんの弁護を依頼されました。』
奥村は、心の中で叫んだ。
「ありがてぇ、事務所から引っ張られる時に目が合ったあの時。コイツは、チンコロしてねぇって確信していたんだよ。それどころか、絶縁された俺に弁護士をつけてくれたのか。恩に着るぜぇ。新居よう!」
目を瞑って感謝をしている奥村に、弁護士が信じ難い事を囁く。
『一連のこの処置は、本匠さんから依頼されています。』
そう言うと、弁護士は事務的な事を淡々と話し出した。
『私は貴方の、絶対的な味方です。ですので・・・・・・・・。』
奥村は、弁護士の言う事を聴きながら考えていた。
「本匠・・・・・?八百万一家の本匠恭介が、俺に弁護士をたててくれたって?なんてこった、これで全ての疑わしい候補者が消えた。本匠は俺に弁護士をつけてくれ、新居をバックアップしてくれているんだろう。絶縁処分の俺に、手を貸す事は渡世人の世界では御法度だ。新居を、陰ながら支えてくれているって事か。という事は、石川も本匠と繋がっているだろうからシロ。森高は、俺を嵌めてもなんのメリットもない。残った奴は・・・・・。」
奥村は、弁護士の呼ぶ言葉で我に返る。
『いいですか、貴方は利用されていただけなんです。』
奥村は、小さく頷きながら応える。
『ああ、分かったよ。俺は、利用されていただけなんだな。これで、大体の事は把握出来た。まずは俺も、娑婆に戻んないと話になんねぇや。』
奥村と弁護士の話は、もう暫く続いた。
それから数日が経ち、一人の男が中目黒警察署に出頭した。この男の出頭により、南州製薬を取り巻いた事件は急転する事になる。だがその前に、奥村の状況を整理しておこう。奥村は「自分は、森高の提案を受けてその指示通りに動いた。」だけで正仁会には何の関係もなく、自分も森高に良い様に利用されていただけだと主張していた。何なら、自分も騙されていたんだとばかりに。そして公安の取調べにも、「森高の指示通りにやっただけなんだから。森高に聞け!」と供述していた。そんな中出頭した男の供述で、奥村と森高の状況も容疑も大きく変わっていく事になる。
さてこの男、名前を宮田尚史といい十九歳の青年である。奥村の舎弟である新居真一郎が、沖縄から呼び戻した半グレ三人の一人だ。宮田の出頭は、石川睦刺傷事件での出頭である。宮田の供述により、中目黒警察署は大騒ぎとなった。聴取を進めるにつれ、これはただの刺傷事件ではない事が分かったのだ。今世間を騒がす、南州製薬の研究費不正流用・横領事件との関係が強まったのだ。
宮田は、
「投資会社の銀行口座から現金を引き出し、当時東麻布に在った投資会社の金庫まで運んだ。その後奥村や新居と一緒にいる時に、幾度か石川睦氏を見た事があった。直ぐに身柄を躱していたが、正仁会事務所の家宅捜索をメディアを通じて知る。奥村滋が捕まり、正仁会まで絶縁になったと聞き仕返しを決意。奥村滋の逮捕は、正仁会以外の人物の密告によるものだと断定。新居真一郎にも話を聞き、幾度か見かけた石川睦氏を疑い犯行に及んだ。」
と供述したのだ。
そして捜査関係者は、
「投資詐欺事件には、銀行口座から現金を引き出しただけで宮田尚史は深く関与していない。実際には、数名(恐らく三・四名)の詐欺師がいて奥村滋と新居真一郎が仕切っていた。逃走の為の現金引き出しを、顔割れしても支障の無い青年三人にやらせる。それが正仁会事務所や奥村自宅マンション、そして世田谷区内に森高融が借りていたトランクルームにあった現金という事だ。森高融は石川睦氏を公私構わず利用していて、時折奥村滋達の現金運搬を何も教えずに手伝わせたかも知れない。森高融は普段から、キャリーケースに私物や会社関係の書類等を入れてトランクルームに置いていた。その作業も、石川睦氏にやらせる事が多かった様だ。そしてこの多くのキャリーケースの中に紛れ込ませる様に、投資詐欺でせしめた現金を収納していたのだ。これらの事から、森高融が一連の投資詐欺グループのリーダーである可能性が非常に高い。」と判断した。
そしてこの宮田尚史は、十九歳である為に少年法が適用される。選挙投票権を得らせる為に、成人を十八歳まで引き下げした。しかし少年法では、十八歳と十九歳を特定少年として取り扱うからである。この為に、恐らくは「刑事処分」や「刑罰」ではなく「保護処分」が優先される事となる。基本的にではあるが、まずは原則として家庭裁判所の審判を待つ事になる。
これに伴い、奥村の聴取も公安から捜査二課に戻される事になった。そしてその後には、捜査一課も聴取をする予定である。
『奥村さん、石川睦さんと最後に会ったのはいつですか?世田谷区内の三ヶ所のトランクルーム、何処のトランクルームの防犯カメラにも石川さんは映っていない。だがトランクルームの鍵は、石川さんに渡してもらったんだろう?だとすると、森高との連絡とかも石川さんがやっていたのか?』
奥村は石川の存在を、自分達とは無関係な存在にしたかった。なぜかと言うと、この投資詐欺は八百万一家の本匠恭介から貰った案件だからである。ここで石川も投資詐欺に加わっていたとなると、本匠にまで捜査の手が掛かるかも知れない。奥村には渡世人としてのプライドがあるし、本匠が弁護士をたててくれたという借りもある。恐らく森高の事は、警察も分かっているだろう。だとしたら森高融が首謀者で、自分達は分前を貰うだけの駒みたいに供述するのが得策。
臆病者奥村の、処世術が冴え渡る。
『石川さんか、・・・・あの人は何にも知らねぇんじゃねぇかな。人当たりの良い人だったし、手伝いましょうかって言ってくれたりもしたんだけどさ。そういう訳にもいかねぇしね、トランクルームで待ち合わせて鍵だけ借りて後日返すって事になっていたんだ。その時俺は思ったもんさ、「森高本部長の本当の姿を知ったら、部下の石川さんは腰抜かすんだろうな。」ってさ。それに刑事さんよぉ、デカいヤマ踏むのにトップからの指示以外は聞かねぇよ。金運べって言われりゃ運ぶし、石川と運べって言われりゃ一緒に運ぶよ。でも森高からは、そんな事言われてねぇもん。鍵渡されたら、「ああ、どうも。」で終いだよ。鍵だけ受け取って、運んだのは新居と二人で運んだ。そんで、鍵はまだ返してねぇ。その為に、ボロくてもいいから足の付かないワゴン車を用意したんだからさ。』
聴取担当刑事が、タイピングしながら返す。
『ほう、そうなのか。それで南州製薬の広瀬元副社長は、どう言って誘ったんだ?』
奥村の頭は、高速で損得勘定をしていく。ここでゲーム屋(裏カジノ)の客だったとうたう(自供する)のか、それとも隠して乗り切るのかを選択していた。出した答えは、「保留」であった。
『ん〜・・・・・・。』
少し口元を緩ませて、聴取担当刑事が返す。
『いいじゃねぇかよ、ここで話しといた方が後々の印象が良いぞ。投資詐欺と売春周旋か、それに裏カジノが加わっても大した事はねぇだろ?もう一つ、常習賭博罪が加わってもさぁ。話しちまえって!』
奥村は、少しニヤけて頷いた。
『はははっ、そうかい知ってたんかい。そう、ウチのゲーム屋の客だったんだよ。広瀬の前に、溝上って南州製薬の奴もいてさ。なんか派閥?・・・って言ったかな、俺達で言う反目になるからバッティングさせないでくれって言われてたんだけどさ。』
『誰に?』
『森高本部長さんにだよ。結構細かい指示を出されててさ、どんな野郎なのかってちょっと神経質にもなったくらいだよ。でも広瀬の野郎はさ、博打好きなだけで下手くそなんだよな。だから、始めのうちは勝たせるのに苦労したよ。嵌ってもらうまでには、そんなに時間はかからなかった。ウチに来て半月で、あっという間に一本焦げ付かせたんだよ。』
『一本って言うと、一千万円か?』
『ああ、そうだ。そこで、前々から知っていた川治って奴を紹介したんだよ。』
『川治か、歯科矯正モニターとかで騒がれていた奴か。・・・・下の名前分かる?』
奥村は、首を横に振って続けた。
『下の名前は知らないし、その他の二人の名前も知らない。それにきっと、本名じゃないだろうしな。コイツらも、ゲーム屋に来ていた客だ。川治が、焦げ付かせたのは五百くらいかな。その返済に、良い仕事して返すって言う事でね。』
『三人グループって事か。・・・・・それで?』
『それで、まあ最初はパパッと儲かったみたいだよ。どういう投資なのかは、全く解かんねぇ。ただ森高からの指示で、広瀬の愛人共々博打好きだから「十億目指せ」って事でやってたんだよ。』
『十億・・・・・。』
『ああ、十億だ。なんでも南州製薬の、常務取締役の椅子かけて派閥争いが如何だとか言ってたよ。それに利用するって事で、森高からは細かい指示がすごく出されていたんだ。簡単に言うと、広瀬に会社の金を使わせる事だってさ。そこで川治に何かの投資を持ち掛けさせて、広瀬に会社の金を使わせるってさ。投資の内容は解んねぇけど、詐欺師が如何するのかは解るじゃんか。後はお察しの通り、甘い汁啜ったからか大きく勝負に出たんじゃねぇのかな。その勝負時に、会社の金に手を付けたんじゃねぇの。』
『どんな投資を勧めていたのかは?』
『それは、俺には全くわかんねぇ。餅は餅屋、川治に任せてたよ。』
『新居は?』
『あ〜・・・・新居も毎日様子を見に行かせてたけど、俺と一緒でそんなの全く解んねぇだろうよ。いつも、「順調みたいだ」って事以外言わなかったもん。』
聴取担当刑事が、タイピングする音が響く。
カタカタカタ・・・・・カタカタ・・・・カタカタカタカタ・・・・・
奥村は、大きく溜め息を吐いてボヤいた。
『ふぅ〜・・・・・、何の投資だったのか詳しい事は森高に聞いてくれよ。俺達渡世人には、難し過ぎるわ。』
そこで取調室のドアが開き、何やらヒソヒソ打ち合わせをしている。数分経って、奥村は違う取調室に連れて行かれた。部屋に着くと、別の刑事が待っていた。
『疲れてるかも知れないが、こっちでも少し話を聞かせてくれよ。』
奥村が椅子に座ると、聴取担当刑事が話し出す。
『ここからは、私が聴取をしますんでよろしく。話を聞きたいのは、石川睦さん刺傷事件についてです。』
『はあ?・・・・・・石川睦刺傷だと?あの人刺されたのか?』
『ああ、アンタが知らないのは当然だ。なんせアンタが、留置されてからの事件だ。この被疑者ってのが、今日の昼過ぎに中目黒警察署に出頭して来たんだ。そこで、アンタに話を聞かなくっちゃならなくなった。』
『・・・・・俺に?』
訝しげに聞く奥村に、聴取担当刑事は頷きながら聞く。
『宮田尚史、コイツの事を聞かせてもらいたいんだ。』
『みやた・・・・しょうじ?』
『あれ?解んないかなぁ、・・・・・え〜っと。』
そう言うと刑事は、自分の鞄から数枚の写真を取り出した。
『ほら、コイツなんだけどさ。』
写真を見て、奥村は口を開けたまま応えた。
『あ〜・・・・・、ちょっと解んねぇなぁ。コイツが、石川さんを刺したのか?』
『何だ、顔も名前も知らないのか。この宮田っていうのが、アンタが捕まった事で頭にきて石川さんを刺したって供述しているんだよ。』
『はぁ、何でコイツが頭にくるんだよ。』
刑事が、不思議そうな顔をして返す。
『何だ、マジで知らないんだ。そぉうっかぁ〜、知らないんだ。』
『ああ、正仁会奴じゃぁねぇよ。このガキ、幾つなんだ?』
『十九歳だとさ。コイツは、新居が子飼いにしている半グレなんだけどさ。アンタ、新居の兄貴分だろ?知らなかったのか?』
『ふぅ〜ん、・・・コイツがねぇ。新居が、半グレを使っているのは知ってたよ。でも一人々の顔や名前までは知らないよ、正式に盃を下ろしたって言うんなら別だけどさ。石川さんには悪いけど、俺が引っ張られて頭にきたってのはね・・・・なんだろうね。それで、石川さんは?』
『意識不明の重体だ、だからアンタに聞きたいんだよ。』
『・・・・・俺に?この、宮田って若者に聞けばいいじゃないですか。』
『宮田にも話は聞いているんだが、コイツは金を銀行から出したただけ。詐欺に関わってなければ、その前のゲーム屋にもかんでない。なのに石川睦さん刺傷事件は、自分がやったって言うんだ。アンタ達の稼業では、こんな事当たり前だろうけどさ。コイツ、まだ十九歳なんだよ。代わりを立てるにしても、まだ他にいただろうにさ。』
『いや、そこんところは俺には解んねぇ。』
『まあ、いいか。本当に、・・・・面識なさそうだもんな。宮田と森高は?面識あるのかな?』
『いやぁ、森高には、新居もあった事ねぇ。それなのに、コイツが森高に会った事ある訳がない。』
『ああ、そうか。分かった。例えば森高が新居に指示して、石川さんの口を封じる為に消そうと考えると思うか?』
奥村は、この独特な言い回しに刑事の意図を感じた。
「警察の落とし所も、俺達と同じか・・・・・」
奥村は少し考えて、小芝居をして返す。
『森高がねぇ・・・・・。まあ冷徹な人だからな、自分はいつも離れた所で日和見って奴だ。俺との関係も、いつかはそうしようと思っていたんじゃないかな。可能性としては、大いにあると思うよ。個人的にはね。』
『なるほどな、・・・・森高って男は相当冷徹で冷酷な奴みたいだな。アンタが勾留された後、森高が新居に連絡を取る事って出来るかな?』
『ん〜そうだねぇ、石川さんがいつ被害にあったのかは知らないけど。俺がいなくなったら、森高に指示してもらえって新居には言っていたんだ。勿論連絡先も教えていたし。だから、今後如何するのかを新居から森高に連絡したかもな。その時に、新居に指示を出す。例えば、「石川が何か喋んないか不安だなぁ。」てな感じでさ。そしたら、あるかも知れねぇなぁ。宮田っていうのが盃を下ろして欲しかったとすれば、新居にきた話を聞いといて自分が行動するって形かな。若い頃は、俺だって手柄を探してギラついていたもんだよ。宮田ってぇのが、そう考えて犯行に及ぶ。その可能性は、あるかも知れないねぇ。』
そんな感じのやり取りを、何度か繰り返してこの聴取は終了した。
一人になり、奥村はふと呟いた。
『今はまだ警視庁の留置場にいる。だが、検察官送致で起訴は決まっているんだ。もう暫くしたら、小菅に行くのかな・・・・・。』
奥村はそう呟いて、瞼を閉じて考える。
「これから如何なる?なぜか、石川は半グレに刺されちまったらしい。初めは怪しいと思ってた、本匠までもが俺に協力をしてくれている。本匠・新居の二人は、目に見える形で協力をしてくれている。森高には、全ての件の首謀者になってもらう。なのに会長、アンタはどこで何しているんだ?投資詐欺をしている時には、既に会長には連絡が取れなくなっていた。ガサ入れ当日には、マカオに行っているときたもんだ。しかも、前日付で俺の絶縁状までばら撒きやがってな。」
奥村は、眉間に皺を寄せて呟く。
『まさか会長、・・・・・アンタが俺を嵌めたんじゃねぇだろうな!』
奥村の、留置所での夜は更けていく。




