嘘と虚像の隙間
靖久は、社長室のドアがノックされたので返事をした。陣内と話しをしたかった為、昼食を誘っていたのである。
『どうぞ、入って下さい。』
靖久が爽やかに言うと、陣内が少しぎこちない感じで入って来た。
『失礼します。』
そう言って入って来た陣内を、ソファーに座るように勧めて靖久も対面に座った。
『今丁度天丼来たから、先ずは食べましょうか。』
そう言って、靖久は陣内に勧め、自分も丼の蓋に手をかけた。
『ここの天丼、よく加藤さんと食ってたんですよ。俺は好きなんだけど、陣内君の口に合えば良いけどなぁ。』
そんな事を言いながら、食事を始めた。二口程食べたところで、靖久は硬い顔をしたままの陣内に話しかける。
『陣内君は、俺達の離婚の事は知ってるんだよねぇ?』
陣内は、やっぱりきたかぁと思いながら返事をした。
『はい、姉から聞いています。社長は御存知なんですよね、自分と瞳さんが異母姉弟だって事は。』
『そうなんだってね。びっくりしたよ、まさかまさかって感じでさぁ。それで、実は離婚についての話し合いが全く進んでいないのは聞いてる?』
『あぁ〜そういう事は、あまり詳しくは聞かない様にしているんで。家に閉じ籠っているのは知っていますし、何度か様子を見にも行っています。ですが、突っ込んだ事は何も聞いていません。』
『そう、どんな様子だった?子供達は元気にしてましたか?』
『ええ、二人とも元気にしていましたよ。』
『そうですか、それなら良いんだけどね。きっと陣内君は全部知ってると思うんで話しますが、暫くは離婚についての話し合いは出来ないと思っています。瞳を取り巻くゴタゴタした事が、片付いてからになるんじゃないかなと。だけど、瞳がどうなるか分かんないだろ?子供の事とか、少しでも話しときたいんだけどね。』
『・・・・・っと言いますと?』
靖久は、箸を置いて話し出した。
『ん〜、腹割って話すけどさ。もしかしたら瞳は、警察に連れて行かれるかもしれないだろ。そんなの、子供達に見せたくないじゃない。優樹と葵が、俺の子供ではなくってもさ。余りにも、残酷すぎるだろう?それに、石川さんだっけ?この間、直接話しさせてもらったんだよね。二人は一緒になるのかもしれないけど、瞳がどうしたいのかも含めて早く話し合った方がいいと思うんだ。だから、陣内君からも言ってやってくれないかな。弁護士同席じゃなくっても、俺達が何か話さないと前に進めないじゃない。その間に、子供は傷付いていくだけかもしれないしね。』
陣内は絶句して、何も言えなかった。
『・・・・・・。』
『頼むよ、陣内君。今瞳が、大変な立場にいるのは分かってる。石川さんも、もう少しすれば状況が変わるかもしれないと言っていた。良い方に変わればいいけど、俺としては最悪の事態まで考えているんだ。もしどうにも状況が変わらず、子供達が俺でも良いと言ってくれるのなら。俺が、二人を育てていきたいと思っているんだ。陣内君も、こんな事頼まれて迷惑かも知れないけどさ。俺が言ってる事だけだでも、伝えといてくれないかな。そしたら、瞳の考えも少しは変わるかもしれないし。』
『しゃ・・・・社長は全て御存知で、二人の子供を引き取っていいと仰ってるんですか?警察や石川って、そこまで御存知で何で・・・・・』
何も言わずに微笑んでいる靖久を見て、陣内は頷きながら言った。
『分かりました。社長がそこまで仰っるんでしたら、近日中に自分が姉の考えを聞いてみます。そして、どうだったかを御報告致します。それでよろしいですか?』
靖久は、ほっとした様子で返事をした。
『そうしてくれるかい?有り難う。』
それから二人は、瞳の現状や加藤の退院時期についての話をしながら昼食を摂った。
玲子は、久々に遊びに来た孫達に夕食を作っている。勿論瞳も一緒に来てはいるのだが、窶れた娘を見て流石に手伝えとも言えずにいたのだ。加藤が入院して以来、離婚がどういう風に話し合われてるのか全く解らないままだった。玲子は聞きたい事も多々有るので、聞くタイミングを探っていた。
『ばあばぁ、葵お手伝いするぅ。』
『あらぁ〜そうかい。じゃぁ、テーブルにお皿出しといてくれるかい。』
『はぁ〜い。』
夕食の準備をしている玲子を見ながら、瞳はこれからの事を落ち着いて考えたいと思っていた。と言うのも、陣内達が動いてくれている影響で警察の見張りもいなくなった様だ。そのおかげで幾らか靖久との離婚の事に、頭を切り替える気持ち的余裕が出来たのだった。そして陣内からの電話で、靖久の考えを聞かされた。胸を痛くしながら、瞳はその話を聞いた。
靖久が欲深い男ではない事は十二分に知ってはいたが、この状況で・・・・・全てを知った上で・・・・・話し合いをしてくれる?
正直に言って瞳は、石川との事も子供達の父親の事も隠し通すつもりだった。全てを隠したままで、靖久と話し合いをして離婚をするつもりだった。
ただの被害者として・・・・
瞳はアッサリとした靖久とは、そんなに身体を交える事もなかった。だが、瞳の心境に変化が訪れた。石川との子供が、どうしても欲しくなったのである。綿密に血液型の事も調べ、しっかりとした地盤を(バレない地盤を)築いて子作りをする事にした。あくまでも、石川睦との子供を作る事を・・・・。
当然、石川と寝た夜には靖久にも抱かれた。毎回ではないにしても、大きなズレを感じさせない様にする事に抜かりはなかった。そうして、二人の子供を授かったのだ。二人とも、石川睦の子を靖久の子として・・・・。
でもまさか離婚をするタイミンングで、警察にマークされるとは思いもしなかった。その上、税務関係まで突かれそうになっている。いつかこうなる日が来ると覚悟をしていたものの、離婚をしようとするタイミングでその日が来るとは思いもしなかったのだ。人生とは、そういうものなのだろう。瞳は自分の悪意が、運命を歪めてしまった様な気がしていた。世の中の影の部分で、人知れず太く狡く生きているつもりだった。闇の住人達を手玉に取って、ちょっとしたダークヒロイン気取りの自分に酔いしれていのだ。それが今や陣内に石川、そして本匠までもが加わって自分を助けようとしてくれている。その上長年騙し続けて来た靖久までもが、全てを知った上で自分に向き合ってくれている。瞳は自分の馬鹿さ加減に気付いた時、懺悔をする覚悟を決めた。そして二人の子供達を、どれだけ蔑ろにしていたのかも。瞳は玲子を手伝う葵を見ながら、気持ちが落ち着いていくのを感じていた。そして隣で、食い入る様にテレビを見ている勇樹に話し掛けた。
『勇樹・・・・ごめんね。寂しい思いをいっぱいさせたね。』
そう言って、瞳は勇樹を抱きしめた。強く・・・抱きしめた。抱きしめていると、自然と涙が溢れ出してきた。それに気付いた勇樹が、心配そうな顔をして上を向く。
『どうしたのママ。何があったの?』
『あぁ、ごめんごめん。なんでもないよ、大丈夫。』
こんな自分に、今までいい加減だった母親の自分に・・・・。週末も休日も、ほったらかしていた自分を心配してくれる勇樹。そんな純粋な優樹に、瞳は靖久と話し合う勇気をもらった気がした。
靖久は夕食を摂りながら、昼食時に陣内と話した事を飛鳥に報告していた。離婚に向けての話し合いを、再開させる切っ掛けになれば良いと。
『まぁ彼も、足繁く様子を見に行ってるみたいだった。よく状況を把握していた。陣内君、子供いないから可愛くって堪らないみたいだったなぁ。ただ警察や弁護士の事については、あまり関与していないみたいだった。』
飛鳥は、靖久を見ながら優しい目をして言った。
『へぇ〜、なんか弟さんってだけだったんでイメージ悪かったんだけど。ヤス君の話し聞く感じだと、嫌な感じの人じゃなさそうだね。』
『ん〜そうなんだ。意外と話しやすかったしね。声掛けるまではさ、ちょっと迷ってたんだよね。俺が家族を裏切ったって事で、敵意剥き出しで来られたら話し難いだろうなぁって思っていたんだけど。』
『それで、弟さん的にはどう考えてるって言ってるの?』
靖久は、箸を止めて言う。
『話し合う事に賛成はしてくれたんだけど、結局は姉が決める事なんでっていう事なんだ。タイミングを見て、話し合いを勧めててくれるっては言ってくれたよ。なるべく早めに、会いに行くとも言ってたしね。だけど、どうだろなぁ?』
『どうだろうなぁって、どう言う事?』
『それがさぁ、瞳が結構マイってるらしいんだよ。』
飛鳥が、少し驚きながら返した。
『何で、奥さんがマイってるの?なんか・・・・変な感じ?』
飛鳥は、瞳が電話を掛けてきた時の印象が強かった。なので、気の強そうな瞳が落ち込んでいるイメージが全く湧かないのだ。そんな飛鳥を、靖久が寂しそうな眼をして話しだした。
『彼らのやっていた事とか今の状況を考えると、決して褒められた人間関係じゃないんだろうけど。俺正直さ、「羨ましいなぁ」って思ったんだよね。信頼関係っていうか、何て言えば解りやすいのか分かんないけどね。』
『んんっ・・・・?どうしたの?』
『俺ね、田舎にいる頃っていうか高校時代なんだけどさ。これが親友ってやつなんだろうなって、そう思えるほどの友達がいてさ。上京した後も、暫くは付き合いがあった奴なんだ。帰郷すると、会って呑み食いしていたんだ。飛鳥ちゃんも解ると思うけどさ、俺達みたいな田舎者って中途半端な存在になるじゃん。東京に居ると、いつまで経っても地方出身者扱いのままで。田舎に帰れば、田舎を捨てた人みたいなさ。どこにも居場所のない、なんか放浪者みたいだなってよく思うよ。だから一目会ったその日に、恋に堕ちちゃったんだろうけどね。』
飛鳥は「恋に堕ちた」というフレーズを、噛み締めながら靖久の話しを聞いている。
『そんな感じで三十を迎えた頃かな、突然その友人から連絡があってさ。込み入った事情があって、詳しい話は出来ないんだけど。っていう前置きがあって、「とある女性に部屋を探している。」から協力してくれないかと言われたんだ。その頃田舎でお袋が管理しているアパートがあってさ、お袋に相談してそのアパートに住んでいいよって事になったんだ。契約者はその友人で、実際は何処の誰だか分からない女性が住むんだ。何処だったかな、大阪か名古屋か忘れたけど。長崎に戻って、働きながら静かに暮らすって話だったんだ。』
『うん、・・・・・それで?』
『それで、詳しい事情も聞かないまま時間だけが過ぎていってさ。俺もずっと東京にいるから、正直気にもかけてなかったんだよ。そんで親父の三十三回忌法要の時だったかな、久しぶりに帰郷した時にお袋に言われたんだ。込み入った事情があるのだろうけど、「誰が住んでるか分かんないし、家賃は半年以上滞納しているのよ。」ってさ。それでお袋も困ってて、「どう対応すればいい?」って聞くんだよ。そしてトドメが、今回が初めての事じゃないって言うんだよな。頻繁に、数ヶ月滞納しては払っての繰り返しだと。お袋としても、住んでる人が女性なだけに聞き難いって。離婚して友人ごとそこに住んでいるのか、その人が愛人で一人暮らしなのかとかさ。お袋曰く、「離婚してお金に困っているんだったら」しょうがないしねぇってさ。正直、自分の耳を疑ったよ。・・・・そんな訳ないじゃんってさ。でも、実際は酷いもんだった。そんでさ、事情を聞こうと思って呼び出した訳。「まあ飯でも食いながら」って事で、話をしに行っ訳さ。でもいきなり「どうなっているんだ?」って言うのもさ、話し難いだろうっと思って当たり障りのない話から始めたのさ。そんで彼の仕事の近況やら、プライベートの事なんかを聞きながら判ってきたんだ。恐らくは、愛人なんだろうなって。まあ薄々はそう思っていたから、家庭の事なんかは聞かないようにしていたんだけどね。でもその時の話で、少しずつあべこべな事を言っているのに気付いたんだ。外面でいい顔したプライベートの充実ぶりと、裏で隠れて俺のお袋に家賃滞納しているギャップにね。』
『え〜っ・・・・最低じゃん!』
靖久は、頷きながら続ける。
『家賃の事もそうなんだけど、俺個人としてはその事以外の事に腹が立ったんだ。周りに隠しているのはいいよ、田舎ではそういうもんだろうしさ。でもそんな中他の友人達とは、充実したプライベートを全開で楽しんでいるのがよく分かったんだ。話しをしてても、なんか金と趣味の話でさ。挙げ句の果てには、「誰々にはこんな事してやったんだ。」、「友達だから当たり前だろう?」って自慢話さ。良くもまあ、そんな話俺に出来るなって神経を疑ったよ。その時に俺は、「なんだ、コイツこんなつまんない奴だったんだ!」って思ったんだ。こんな奴との人間関係を、俺は「親友」って勘違いしたまま生きてたんだってさ。愕然としたし、呆れてしまったよ。俺が孤独になった原因って、そこにあるのかもしれないなぁ。それから、人を冷めた目で見る様になったしね。』
『・・・・・うん。解る気がする。』
『そんな事が俺にはあったからさ、なんか陣内君や石川さんとかの関係が羨ましく思えちゃった。まあ俺も、田舎の奴の事言えないんだけどさ。今まさに俺も、離婚問題を抱えている訳だしね。』
まだ寂しそうな眼している靖久を、飛鳥は抱き寄せて優しくキスをした。
『大丈夫、ここは私の部屋なんだから。それに私達は、誰かに嘘を吐いて生きてはいないじゃん。ヤス君には、私がいるでしょ!そんな事も、そんな奴も綺麗に忘れてしまいなさい!そしてさっき言った事を、もう一度言いなさい!』
『・・・・・さっき言って事?』
『早く、「恋に堕ちた」って言いなさい!』
暫し戯れ合った後、靖久が思い出したように言った。
『あっそれでさぁ、陣内君の話だとなんか複雑な展開になってる様なんだよねぇ。』
『複雑?・・・・・何で?』
飛鳥が不思議そうに聞いた。
『ん〜何でも陣内君が言うには、その裏家業みたいなやつは瞳がやってたんじゃなくって。・・・・・何と言うか、雇われ店長みたいな感じだったんだと。』
『・・・・・雇われ店長?』
『そうなんだってさ。そこで昼休憩終わっちゃったんで、詳しくは聞けなかってんだけど。そのゴタゴタが片付くのに、もう少しかかるんだってさ。何かそこら辺が引っ掛かって、弁護士とかにも会ってないって言ってたなぁ。』
『何それぇ?でも警察が張り込んでるって、原田さんも言ってたじゃん。そんな事ってある?マルサも、なんだとかって言ってんだよ。』
『ん〜そこら辺は解らんけど、陣内君はそう言ってたよ。』
飛鳥は今後の事を考えるにしても、余りにも変わり過ぎる状況に不安を感じていた。二人の話し合いだけが、置き去りになってしまっている様な気がして。
森高は副社長からの電話を、暫く無視する為にサイレントモードにしていた。なので気付くのが遅れてしまったのだが、社長秘書が何度か電話をかけていたらしい。そして、その秘書が態々部屋まで訪ねて来ているのだった。
『失礼します。』
森高は副社長の利用価値のなくなった今、新たなコネクションの参考までにと話を聞く事にした。
『これはこれは、社長秘書が私の所に来るなんて珍しい事もあるもんですねぇ。どの様な御用件でしょう?』
社長秘書は、表情を緩ませる事なく淡々と言った。
『社長が、一度森高本部長と会食をしたいとの事です。ですので、御予定とアレルギー等御座いましたらお伺いしたいと思いまして参りました。何度かお電話を差し上げたのですが、お忙しい様ですので寄らせていただきました。』
『社長が私と?そうですか、それは光栄な事ですねぇ。・・・・・アレルギー等は御座いませんので、どうぞお気遣いなく。』
『そうですか。では、日取りを決めたいのですが御都合は?』
『社長に合わせますので、いつでも構いませんよ。』
秘書は、タブレットを見てスケジュールを確認しながら応える。
『それでは、明後日の十九時にお迎えに参りますのでよろしく御願い致します。』
森高は明後日、久々に石川と夕食を摂る予定だったのだが仕方がない。残念だが、社長の方を優先せざるを得ないと思い承諾した。
『分かりました。明後日の十九時ですね。では、お待ちしておりますのでよろしく御願いします。』
秘書は、深く頭を下げ礼儀正しく出て行った。森高は、暫し考えながら部屋の中をウロウロと歩き回る。流石にまだ副社長のやらかしたヘマの事は、社長の耳には入ってないだろう。
「だとしたら何の用だ?・・・・・少なくとも対立派閥の人間に、そう易々とコンタクトを取るか?」
そう考えながら呟く。
『何か・・・・匂うなぁ?』
森高はスマホを取り、石川に電話をした。
プルル・・・プルル・・・プル・・・ガチャ。
『はいもしもし、石川です。』
『お疲れ様です、森高です。・・・・実は、ちょっと面白い事になりましてねぇ。明後日の食事の件なのですが、予定を先延ばしさせて下さい。』
『あっ、はい。分かりました。』
『それと、少し聞きたい事があるのですが。今時間大丈夫ですか?』
『ええ、いいですよ。どうぞ。』
『それが、今し方社長秘書がいらっしゃいましてねぇ。社長が私と会食したいので、明後日空けてくれって言うのですよ。まぁそれで、貴方に予定を先延ばししてもらったのですがねぇ。・・・・その事について、何か専務辺りで噂話など耳に入っていませんか?何か、嫌な感じがするもんでねぇ。』
森高は、率直に石川に聞いてみた。
『実は、明後日食事する時に話そうと思っていたのですが。今社長派の中は、纏まりがないというか微妙な状態になっていまして。』
『ほう、どういう風にですか?』
『溝上本部長の昇進をプッシュするにあたって、要人の待ったが掛かったんです。まぁそれは、小山内専務なんですけど。』
『うんうん、・・・・・それで?』
『常務取締役の選出を再延期して、暫く様子を見るように社長に提案したんですよ。社長としては、副社長の案件など当然知らない。ですので、副社長派の事を色々探りたい訳です。詳しくは掴んでいないみたいですけど、専務に溝上本部長の弱みを握られた事は勘付いたみたいですよ。それで溝上本部長から候補を変えた方がいいと言う者と、従来通りの溝上支持派とバラツキが出てきています。』
『ほう、・・・・それで?』
『確実な情報ではないのですが、恐らくは森高さんの引き抜きを画策しているようなんです。副社長派を瓦解させて専務を孤立させてしまえば、派閥の結束も固まり天下独占という絵を描いているみたいです。副社長の事は以前から、余り相手にしていなかったですからね。』
『それはそれは・・・・ん〜・・・・そうですか。』
森高は、暫し考えた。・・・・・そして、その沈黙を石川が破る。
『乗っかっちゃって良いんじゃないっすか!どうせ副社長は、賞味期限切れで刑事告訴寸前です。それに副社長派なんて、所詮は融さんが居なくなれば維持出来ないんだから。そうなると大派閥の社長派と、専務達数名の解り易いパワーバランスになります。なのでここは、社長に良い顔しといた方が良いんじゃないんですか。』
『そうですね。その方が、・・・・・良さそうですねぇ。』
森高は、ニヤけながら言った。それを感じたかの様に、石川が突っ込む。
『それに、社長デブでしょ?この間、血圧百六十超えて救急車でドライブしたって話ですよ。もしかしたら此方が何もしないでも、社長までいなくなる日が近いのかもしれないですね。明後日の会食で、一芝居打ったほうがいいかも知れませんよ。泣く泣く副社長を捨てて「社長・・・・貴方について行きます。」、みたいな小芝居打っときゃぁ良いんじゃないですか。』
『ハハハッ、そうですかそうですか。解りました。うんうん、そうしましょう。』
森高は、暫し笑いを堪えるのに苦労した。そして、気を取り直して石川に言う。
『貴方がいてくれて、本当に助かっていますよ。ではまた、連絡します。』
森高は電話を切り、窓から階下を見下ろした。
『この部屋とも、もう直ぐお別れですねぇ。』
満足そうな笑みを浮かべて、森高は仕事に戻った。
正仁会の奥村と新居は、キャリーケースを移したところであった。石川から約束された分配分、キャリーケース計八個を奥村のマンションに移したのである。
『兄貴、何かキャリーケースっていっぱいありましたけど。』
助手席の奥村が、タバコを吹かしながら応えた。
『あぁ〜ありゃ、ゲイ専門の花屋(売春)での売上だろう。石川から貰った鍵が、十個以上あったから可笑しいとは思ったんだ。そんで、一個開けてみたら金だった。あの色違いのヤツは、俺とやっていたゲイ専の売り上げだろう。筒井瞳からの、ギャラも入ってるのかな。』
『スゲェっすね。』
『そうだな、表に出せない金だからな。デッカいタンス貯金、そんな感じだな。あ〜それよりも、この鍵の束邪魔くせえな。早いとこ返したいけどな、一応石川か森高に手渡ししたいしな。』
『え〜、メール便でいいんじゃないんですか?』
『まあ、そうなんだけどな。もしかしたら、「鍵が返ってこねぇんだけど!」って難癖つけられるかもしれねぇだろ。特に森高は、筋者でも関係ねぇからな。兎に角金が絡むと、アイツは鬼みたいになるんだよ。だから、タイミング見計らって返すよ。特に今は、敏感な時期だからな。慎重に、慎重を期して動かねぇと。』
奥村が、トランクルームを借りる事は出来ない。今の世の中、反社会勢力に属する人間には、トランクルームも生命保険も契約出来ない。何なら、健康保険もクレジットカードも銀行口座も持つ事は出来ない。まあ、全てをくれとは言わないが。在留中国人が保険証を持てたり、在日外国人が生活保護を受けられても反社には何も与えられない。住民税を請求はしても、行政は何も与えない。義務を果たせと言うが、権利は全て奪ってしまう。新興宗教団体には弱腰の癖に、極道者にはめっぽう強い。この国の政治が如何なのかを、とやかくは言わないが現実はこのザマだ。そういう訳で奥村のマンションとは言っても、正確には奥村の内縁の妻のマンションに移したのだ。奥村は、兎に角慎重な男だ。ヤクザ社会では勲章みたいに扱われる懲役も、今まで一年と八ヶ月しか喰らっていない。奥村は何を如何すれば何の罪になり、どれくらいの求刑をされるかを頭に入れている。それくらい若い頃から、全てのリスクマネージメントをして来た。今回の事も、十二分に警戒してここ迄こなして来た。その奥村の危険センサーが、何かの不安を察知していた。
『おい新居、半グレ共には金握らせて何処かに行かせてんだよな。まさか呑気に東京の何処かで、間抜け面ぶら下げて遊んではいないよな?』
ワゴン車を運転しながら、新居は少し微笑んで応えた。
『大丈夫ですよ兄貴、ちゃんと一昨日から沖縄行ってますって。一応現金で一本(一千万)持たせてますんで、半年くらいは帰って来ませんって。それに一日一度は定時連絡をさせてますから、兄貴が心配しなくっても大丈夫ですよ。』
『ああ、それならいいんだけどよ。今回は、手にした金額がデカいからな。それに何か嫌な感じが、ずっと付き纏うんだよな。事務所の金も金塊も、暫くはひっそりと眠らせておこうと思ってる。何か、気になるんだよ。』
新居は、いつになく警戒している奥村を見て聞いた。
『何処ら辺が、気になるんですか?』
『ん〜、何処っていう訳じゃないんだけどよ。本匠から呼び出し喰らって、美味しい案件を貰って石川が出て来た。森高にも話は通っていたけど、川治が出て来た事でいきなり金額が爆上がりした。何か、余りにも上手く行き過ぎてるんだよなぁ。』
『銀行に金引き出しに行った半グレ共以外、顔割れもしていませんし大丈夫ですよ。投資詐欺自体は、川治達がやっているんで問題ないでしょう?それに、ウチのゲーム屋(裏カジノ)に来ている客同士だってだけじゃないですか。ゲーム屋自体、もう閉じちまいましたからね。もしゲーム屋での摘発にあっても、その為に店長雇っていたんじゃないですか。兄貴に、何だかの手(捜査)が入る事はないですよ。』
奥村の機嫌を伺う様に新居は言ったが、それでも奥村の不安を拭う事は出来なかった様だ。新居は、ハンドルを事務所方面へ切ろうとした。
『いや、事務所には顔出さねぇからいいや。』
『えっ、・・・・行かないでいいんですか?でも兄貴、あっちこそ不安じゃないんですか?一応秘密にしてはいますが、壁の中には五億の現金と金塊が二十キロ眠っているんですよ?こんな言い方失礼ですけど、会長は隠し金庫の事を知っている訳なんですし。もしかすると・・・・』
『んん・・・・、会長は知らないと思う。』
『へっ・・・・・?知らないんですか?』
チラ見しらがら、新居は奥村に聞いた。
『ああ、何度電話しても繋がんなかったんだよ。だから、取り敢えず見切り発車したんだよなぁ。事務所の誰かが、勘付かない限り会長の耳には入んねぇよ。それにお前もそろそろ、ウチの会長の事判ってきただろ?自己責任で正仁会自体に迷惑のかからない立場でだったら、粉もん(薬物関係)だろうが何だろうが関係ねぇ人だ。会に金さえ収めりゃな。だから事後報告で良いだろうって、兎に角突っ走って来たって訳なんだ。今日も何回か電話したんだがよぉ、会長全く出やしねぇんだよな。半年くらい前から、銀座の店に良い娘が入ったってハマってただろ?多分その女囲って、姐さんからの電話に出ない様にしてんだよ。留守電にもなりやしねぇ。いつも決まって、そんな時には全部の電話に出ないんだよな会長は。今十六時だろ、もうソワソワして同伴する前に飯でも行こうって感じじゃねぇのかな。』
『早いとこ、連絡取れると良いすねぇ。流石の会長も、金額聞いたらビビるんじゃねぇっすか?なんせ、金額が金額っすもん!』
『ああ、そうだな。まあ金も移し終えたんでよ、事務所には明日顔出すとしてよ。今日は飯食いに行って、一杯引っかけようぜ。ここんとこバタバタしてたからさ、取り敢えずひと段落したって事での祝杯っつう事で。』
『うぃ〜っす!了〜解〜っす!そういう事だったら、恵比寿に兄貴好みの良い店があるんすよ!』
『おぉ〜その前に、飯だ飯!』
『兄貴、だったら先に恵比寿の店行って。いい女見付けて、「飯に行こう」って連れ出しましょうよ!』
『おおぉ〜いいねぇ!じゃあ、恵比寿へ向え恵比寿へ。突撃だぁ!』
『はい!』
二人は目をギラつかせて、恵比寿方面へと消えて行った。
時間を少し戻して、社長との会食の為に明後日の予定変更を電話してきた森高。そしてその森高に、また新しい情報と意見を言う石川。その電話を切った石川は、溜め息を吐きながら顔を上げた。
『ふぅ〜・・・・・、細工は流々ってとこですね。』
そう言って、専務の小山内を真っ直ぐに見た。小山内の横には、顧問弁護士も同席している。
『専務、森高さんは勘の鋭い人です。飯田社長に、くれぐれも気を付けて下さるようにお伝え下さい。』
『よし、分かった。こうやって社長派に入れて、色々聞き出していくのか?でもこのやり方だと、時間がかかるんじゃないのかね。彼は、信用しないかもしれないし。』
訝しげに聞く小山内に、石川はゆっくりと宥める様に言った。
『いえこれは、・・・・・時間稼ぎが目的なんで御安心下さい。』
『えっ、時間稼ぎ・・・・?』
小山内と弁護士は、顔を見合わせながら言った。
『そうです、時間稼ぎなんです。と言うのも、証拠類は別に我々が集めなくても専門機関に任せておけばいいでしょう。その方達が、勝手に家宅捜索やら何やらやってくれます。その為の準備は、十分にしてありますから。ですので我々がやらなければいけないのは、森高本部長の身の周りに捜査の手が回っているのを気付かせない事なのです。権力の階段を、悠々と上がって行く自分に酔いしれてもらうのです。森高本部長が酔いしれている間に、捜査機関に周りと証拠を固めてもらう。それが今回の目的です。』
二人は、呆気に取られている。
『しかし、我々が望む通りに警察は動いてくれるのかね。』
石川は、二人を見ながら言った。
『捜査関係機関には、もうある程度の情報はリークしてあります。もう既に、動いてくれているようですから御心配なく。森高本部長は、叩けば叩く程埃の出る人なんで御安心下さい。では私は、もう少し詰めておきたい事があるので失礼致します。』
そう言うと石川は席を立ち、専務室を後にした。




