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長崎倶楽部  作者: 木菟
13/30

溢れる真相

 水曜日の朝、石川は森高に確認を取っていた。今夜専務取締役の小山内と、会食の予定がある為である。

『融さん、専務の件なんですけど。実は、今日呼び出されているんです。』

朝食のクロワッサンとベーコンエッグに手を付けるの止め、森高が石川の顔を見上げて聞く。

『それは、本部長の調査を指示されるという事ですね?』

石川が、小さく頷きながら応える。

『間違いなく、その件での呼び出しだと思います。夕食を摂りながら話しをしたいという事なんで、今夜ちょっと行ってきます。それとこれから暫くは、色んな人の視線を避けなければならないので。今夜から、自宅に帰る事にしますね。』

『ええ、分かりました。よろしくお願いしますよ。』

石川は、濃ゆいブラック珈琲を一口飲み席を立った。

『じゃ、根回しもあるんでもう出ます。それと、昼過ぎに荷物を取りに一度よせてもらいます。融さんが会社にいる時に、勝手に入る事になるんで。一応・・・・』

森高は、小さく首を振りながら言った。

『何を言っているんですか、ここは私と貴方の城なんですからね。いつでも、好きな時に好きな様に出入りして良いんです。だから、鍵も渡しているでしょう?』

『ああ、そうなんですが・・・・・一応。』

石川は、少し照れくさそうな素ぶりを見せた。

『だからと言って、誰か他の人を連れ込む事は許しませんがね!』

珍しく、森高が冗談を言って石川の気をほぐそうとした。それに気付いて、石川が少し微笑んで応える。

『有り難う御座います。鍵は午後来た時に、ポストに入れときますね。』

石川がそう言うと、森高が少し取り乱して返す。

『ちょっ・・・・ちょっと待って下さい。持ってて下さいよ。貴方の、・・・・貴方の鍵なんですから。貴方が、ずっと持っていて下さい。』

『・・・・・分かりました。』

『こんな悲しい事を、・・・・・もう・・・もう言わないで下さい。』

石川は、小さく頷きながら応えた。

『はい、すみません。・・・・・それじゃぁ、行きます。』

『よろしくお願いします。・・・・行ってらっしゃい。』

森高は、頼もしい石川の背中をうっとりして見ながら言った。

石川は、マンションのエントランスから肩をすくめて外に出た。

『うぅ〜、今日は特に寒いなぁ〜。』

そして駅方向に路地を曲がると、黒スーツに身を纏った男が立っていた。背の高いその男が、小さく会釈をして歩み寄って来る。石川は、その男に連れられて暫し進む。そして二人の進行方向先に、国産の黒いミニバンが見えてきた。二人は、そのミニバンに乗り込む。石川がミニバンに乗り込み座席に座ると、背の高い男も隣に座る。車が走り出して暫くすると、隣に座った男が何かを差し出しながら口を開いた。

『おはよう御座います。石川さん、遅くなりました。こちらが、総長からお預かりした物になります。』

そう言って、男はUSBメモリーと珈琲を手渡した。石川は、ゆっくり受け取り珈琲を一口啜って言う。

『あっ、キャラメルマキアートだ。どっちも、・・・・有難う御座います。』

『ええ石川さんは、甘い系のコーヒーや紅茶がお好きだと伺っていましたので。差し出がましかったのですが、御用意させていただきました。』

石川は、微笑みながら返す。

『ヘェ〜、恭介さん忘れてなかったんだ。・・・・有難う御座います。』

そう言って、石川もUSBメモリーを渡した。

『これを、恭介さんに渡して下さい。森高と奥村が、・・・・別口でMen's限定のデートクラブを営んでいた証拠です。』

もう一口、キャラメルマキアートを啜って石川が続ける。

『五年前からのデータが、全てこれに入っています。帳簿と顧客リスト、あの二人が消去していると思っているデータが全て入っています。』

『畏まりました。間違いなくお預かり致します。』

返事をした後、男は石川を見ながら説明を始めた。

『え〜今日夕食を一緒に摂られる専務取締役の小山内ですが、先週副社長と何やら意見の食い違いがあった様ですね。ここ二・三日、社長と夕食を共にしています。どうやら、中立の立場ではなくなった様です。』

『えっ、そんな事になっていたんですか?それで、僕に接触してきたって事か。奥村とかの件があったんで目を離していました。助かります、有難う御座います。』

男は、小さく首を振りながら続けた。

『いえ、とんでもない。・・・・っで』

っと言って、男は電話を掛け始めた。プルルル・・・ガチャ

『お出になりました。どうぞ、総長です。』

そう言うと、男はスマホを差し出した。石川は、スマホを受け取り話し出す。

『もしもし、恭介さん?睦です。』

『 おぉ〜久しぶりじゃねぇ〜かよ。元気にしてたのか?』

『まぁ、それなりにね。それで融さんの部屋には、今日十四時から工事に入る。恭介さんの注文通りに、ワインセーラーの裏にも加工するよ。』

『おぉ、そうか。今後も、部屋には出入り出来るのか?』

『うん、その点は大丈夫。鍵も持ってて良いって。出入りも自由に出来るし、今後も大丈夫だよ!』

『そうか、細工は流流仕上げは・・・・・・・ははははっ・・・・』

『・・・・・・・・・仕上げは御覧じろ・・・ははははっ・・・・』

二人は、腹を抱えて笑った。一頻(ひとしき)り笑って、本匠が話し出す。

『お前、良く憶えてたなぁ。こんな昔の、・・・・ガキの頃のをよ!』

『「あたぼうよぉ〜!」って喧嘩した後、よく敬さんと言ってたじゃん。』

『そうか・・・・・いいか睦、絶対に深入りすんなよ。あくまでも、お前は先導役をする振りでいいんだ。奴らにやらせる為に、お前がフロントになるだけだ。』

石川は、少し口元を緩ませながら返す。

『うん、有り難う恭介さん。兎に角、先ずは今日の昼と夜にしっかりとやんないといけないね。』

『ああ瞳ちゃんに、全部なすり付けようって魂胆がありありだからな。それにアイツらだって、裏でしっかり稼いでいやがったんだから。それなりに、痛い目にはあってもらわないと。何でも、平等にしとかないとな。』

『うん、そうだね。そうじゃないと不公平だもんね。』

『 おう、気を付けてな。』

『うん、オーケー !キメて来るから、任せといてよ。』

そう言って。石川は電話を切った。そして、車窓から外を見て声をかける。

『あっ、すみません!会社の、ちょっと手前で降ろして下さい。誰が見てるか分かんないんで、裏通りに回って下さい。お願いします。』

人気のない裏通りの隅で車は停まり、石川はそこで降りて会社へと向かった。

こうして、勝負の一日が始まる。




 奈々美は、本匠を事務所の中に確認しながらラインで連絡を取り合っていた。

『う〜ん、今日は石川が会社に籠ってるって?先週までは、活発に動きまくっていたのに。どういう事だ?』

奈々美は、少し薄気味悪かった。先週はいろんな動きが各々あっただけに、急に大人しくなると不気味に感じてしまうのだ。特に石川は、警察のマークも甘くなっているだけにキーマンになると思っていた。瞳は勿論のこと、本匠だってそう簡単には動けない。それに比べると、陣内と石川は二人よりも比較的動きやすい。それだから先週の石川は、トランクルームに何度も何度も出入りをしていた筈なのだ。

「ある程度落ち着いたって事か?」

奈々美は、呟きながら八百万一家の事務所に視線を移す。

『その司令塔になっているのが、アナタなんじゃないんですか?そうでしょう、ねぇ本匠さん。』

そう言って、奈々美は張り込みを続けた。午前中は何事もなく時間が過ぎ、今日もこのまままったりと過ぎて行くのかと思った時だった。奈々美のスマホに、ラインが届く。

「石川が、車で移動。後を追う。」

奈々美は、八百万一家の事務所を見たまま囁く。

『実はもう、指示を出してたんですねぇ。さて、どう動くんですかぁ〜?』

奈々美の張り込みは、厳しい寒さの中続いていく。




 石川は、本匠と久々に電話で話してウキウキしていた。

『やっぱ、変わんないなぁ恭介さんは。』

そう呟きながら、石川は社用車を走らせる。時間は、十三時を少し回っている。今日は、先週予約した森高の部屋の工事日なのだ。山手通りから、目黒通りの側道に入った所でスマホが鳴った。

ピリリリリ・・・・・ピリリリリ・・・・・

『はい、石川です。はい、分かりました。お待ちしております。ああそれと、もしよろしければなんですが。本部長本人と、話してみては如何(いかが)ですか・・・・・』

石川は、今夜専務取締役の小山内と会う。今朝の本匠の手下の情報で、どうやら社長派に靡いたであろう事が分かった。その布石として、自分に会うのだろうと。なので石川は、森高本人に会ってみてはどうだと勧めてみたのだ。それをどう判断するかは、小山内に任せるとして。石川は、小山内の意図を推理してみる事にした。

「小山内は頭脳明晰で、人格者だと評判の男だ。森高とは違って、日の当たる場所でその頭脳を活用してきた。社長も副社長も、正直小山内には一目置いているし警戒もしている。そんな小山内の事だ、社長派が推す本部長が、曰く付きだという事は知っているだろう。それでも尚、森高ではなく社長派に靡いたという理由は何なんだ?」

そこまで考えたところで、またスマホが鳴る。

『はい・・・・・はい、十四時に。お待ちしております。では・・・・』

業者からの電話を切り、石川は森高のマンションへと急いだ。




 石川が車を走らせていた頃、南州製薬本部長室には絶句をしたまま固まっている森高の姿があった。昼食明けに、意外な人物の訪問を受けたのである。

『忙しいとは思うんだが、少し時間あるかな?』

専務取締役小山内賢治(みずから)らが、本部長室を訪ねて来て森高の眼前にいるのである。森高は余りの事に驚き、頭の中を真っ白にさせて言った。

『ええ、・・・・・勿論です。どうぞ、お座り下さい。』

しかし、すぐさま森高は頭を切り替えて考察する。今夜石川との食事を予定している小山内が、敢えて自分に会いに来た事の意味を。

「何を探りに来た?」

森高は、臨戦体制を気付かせない様に笑顔で話し始めた。

『どうされたんですか?専務が、・・・・何か私に?』

小山内は、ゆったりとソファーに座って応える。

『いやねぇ・・・・・。お亡くなりになった常務取締役の後釜として、森高本部長と溝上本部長の名前が上がっている。派閥を抜きにして、一人々話をさせてもらっているのだよ。森高君は、副社長派の方々が推しているみたいだからね。本命と言って、構わないんだろうねぇ。』

森高は、表情を変えずに笑顔のまま返す。

『そんな、とんでもないですよ。推薦していただいているのは光栄な事ですが、本命という訳ではないと思いますよ。それに社長派の方々は、私の事がお嫌いみたいですからねぇ。』

それからほんの五分くらい、たわいのない話しをして小山内は部屋を出て行った。

「これで、小山内は何かを得たというのか?」

森高は、小山内の去った部屋で考えていた。

『後は今夜の睦君に、おまかせする事にしましょう。』

森高はそう呟いた、不気味な微笑みをして・・・・・




 石川は森高のマンションでの工事を終え、慌ただしく会社に戻っていた。幾つかの仕事をこなして、今夜の専務との食事会に備える事にした。無言で食事をする訳はないので、その対策を練っておくのである。

「先ず専務の小山内は、森高の常務取締役就任反対派であろう事は間違いない筈だ。今までは誰を支持するのか分かっていなかったが、今朝の情報で社長派推薦の溝上本部長を支持しない訳にはいかなくなった筈。もしくは完全に社長派に(くみ)した訳ではなく、どうしようか模索している段階なのかもしれない。情報を如何(いか)に生かすかは、先入観を持たずに情報に接する事だ。臨機応変になんて、簡単に出来る事ではない。だがしかし、これをやらざるを得ないのだ。」

石川の頭の中で、二つのシミュレーションが思い浮かぶ。

「専務が社長派に、完全に靡いてしまっていたらどうする?今更、社長派に行く訳にはいくまい。ならば、その時には中立の立場をとる事にしよう。そして専務が、まだ社長派に完全に与していなかったら。その時には、専務に付いて行くと意思表示をしよう。社長派に取り込みたいのか、社長派ではなく自分の味方に取り込みたいのか。どちらにしてもここで専務に、ハッキリと自分は”反森高”なんだと示す事が大事なことだ。」

石川は、そう心に決めた。

『相手の出方を伺いながら、やるしかないんだよな。これも、瞳ちゃんを助ける為に大事な事なんだからな!』

石川は、自分に言い聞かせる様に呟いた。

 夕方、石川の所に専務取締役の秘書が迎えに来た。

『石川さん。お迎えに参りました。』

石川は、気を引き締めて秘書に付いて行った。会社を出て車に乗り、石川は車窓からの風景を眺めていた。暫く走って行くうちに石川は、車が蔵前国技館や浅草の方向に向かっているのが分かった。

『何処に連れてってくれるのかなぁ?』

そう小さく呟くと、助手席に乗っていた秘書が振り返って聞いてきた。

『えっ、何か仰いましたか?』

石川は、苦笑いをしながら応えた。

『いえ、何でもないです。すみません、独り言です。』

石川はそう言って会話を切り、車窓からの風景に視線を移した。暫く都内を走り、車は有名な浅草雷門の前で停まった。

『こちらで、降りていただいてよろしいですか。この奥のアーケードの方に、お店が御座いますので。すみませんが・・・・・』

石川は、にこやかに応対して車から降りた。雷門を潜り、そのまま仲見世通りを進んで行く。そして暫く行くと、目的の店に到着した。

『こちらになります。』

明治の中頃から続く、老舗のすき焼き屋であった。店の中に入ると、奥座敷に案内される。石川が一つ息を吐いて襖を開けると、専務の小山内が笑顔で迎えてくれた。

『いや〜石川君、遠い所まで連れて来て申し訳ないね。取り敢えずまあ、座って一杯いきましょう。』

神代杉(じんだいすぎ)で造られた天井の部屋で、神代と名付けられた個室の畳の上に懐かしい和式のテーブルと椅子が置かれている。

石川は、下座の椅子に向かい深々と頭を下げて口を開いた。

『本日は、お招きいただきまして有難う御座います。』

そんな石川に微笑み、小山内が手を差し出しながら言った。

『まあまあ、今日は無礼講って事でいいじゃないか。座ってよ石川君。さあ、肩の力抜いて話そうじゃないか。ねぇ!』

『有り難う御座います。失礼致します。』

そう言って石川が座るや否や、小山内がビールを注ごうとしているので石川はグラスを差し出した。小山内が注ぎ終わるや否や、石川がビールを取り小山内のグラスに注いで返し宴が始まった。

軽くビールで喉を潤した小山内が、石川を見て静かに話し出した。

『石川君は、森高君とは長い付き合いになるのかな?』

『はい。学生時代からの知人を通じて、入社以来の付き合いになります。』

石川は、平然と入社以前の事は無いものとして返事をした。実は十年以上の付き合いだとか、大学時代から知っていました等面倒臭い事は省いた。

『ほう、そうなのか。それで、彼はどういう人なのかな?私なんかは、全く付き合いがないままだったので解らないんだよ。彼の事が・・・・・。』

一呼吸おいて、小山内が続ける。

『君に言われた通りにね、昼過ぎに彼の所に会いに行ってきたんだよ。まぁ、あれだね。腹の中がみえないというかなんというか。煙の様に、掴みどころのない人みたいだねぇ。その、・・・・・煙の色までは判らないがね。』

そこまで言って、小山内は石川のグラスが空いているのに気付いた。石川の空になったグラスに、ビールを注ぎながら聞く。

『それも踏まえた上で聞くけど、彼はどんな人なのかな?』

石川は、小山内が探りを入れてきたのが解った。自分が森高をどう言うかで、自分への評価をしようとしていると。石川は、ここで賭けに出る。

『そうですね。見た目と違って清廉潔白・・・・・とは、お世辞にも言えない人ですね。今日直接会って、専務ならばお解りになったのではないですか?』

石川はグラスにビールを注いでもらいながら、小山内の顔を(うかが)いながら応える。

ここで石川は「森高を批判すれば、自分の下に取り込みたい。」と、小山内が思ってくれる事に賭けたのである。その為に声を掛けられたのであり、今日はその為に用意された食事会なのだからと。そんな決死の石川の目を、じっと見て小山内が聞く。

『ん〜、・・・・・と言うと?』

『そうですね。派閥には属さない専務に聞かれますと、正直に言わざるを得ませんので言わせていただきます。専務も幾つか、本部長の黒い噂を耳にした事があると思います。その噂は全て本当です、と言えば解っていただけるのではないかと。』

『そうか、噂通りの人物と受け取っていいみたいだね。』

小山内がそう言い終わると、待ち構えていた様に中居が入って来た。そして、すき焼きの準備を手早くこなしていく。見た目の綺麗な牛ロースに目を()りながら、小山内は構わずに話を続ける。

『その言い方だと、・・・・・石川君も余り良くは思っていない様だねぇ?』

少し言い難そうに、石川が応える。

『実は・・・・・先程は申し上げ難い事でしたので言えなかったのですが。自分は大学時代に、森高さんを知人に紹介されまして。その知人を通して、在学中も何度か食事に誘っていただいた事が御座いました。そして入社に関しても、力を貸していただいたんです。』

少し間を取って、石川が続ける。

『こんな事を言うのもなんなのですが、可笑しな仕事と申しますか・・・・・何と申しますか。誤解を恐れずに言わせていただくのならば、・・・・・汚い仕事も数多くさせられました。なので、自己嫌悪に堕ちる時も御座います。』

そこまで聞くと、小山内は満面の笑みを浮かべて言った。

『そうか!そうだったのか。もういい、もういいんだよ石川君。いやいや私は、君の事を誤解していたみたいだね、すまない。申し訳ない!』

そう言って、深く頭を下げた。

『止めて下さい専務!頭を上げて下さい。お願いします!』

石川は、席を立ち上がってそう言った。頭を上げて、小山内が続ける。

『石川君。私はね、君に頼みたい事があるのだが聞いてくれるかね。』

石川は立ち上がったまま、背筋をピンっと伸ばして言った。

『はい!今日私は、覚悟を決めて参っております。何なりと仰って下さい。』

石川は心の中で、”勝った”っと思いながら小山内に頭を深々と下げた。

そう、石川は日中立てた二つのシミュレーション。

そのどちらかが判らないまま、ここまで来ていたのだ。そして専務の小山内が、「社長派に与せずに自分を欲している。」方に賭けたのだ。その賭けに勝った実感を、噛み締めながら石川は頭を上げた。




 数日が何事もなく過ぎて行き、奈々美は朝方まで本匠に張り付く毎日が続いていた。北国の寒さはとまでは言わないが、東京の外での毎日は体に厳しい。

なので奈々美は張り付きを交代してもらって、事務所でシャワーを浴び仮眠をとっていた。うら若き乙女にとっては、余りにも物足りない感じもする。だが探偵業の長い奈々美には、慣れたものになってきている。

遠くの方からサイレンが鳴る様な夢を見ながら、けたたましく鳴るスマホの着信音にやっと気が付いた。そして、飛び起きて電話に出る。

『はい、お疲れ様です、原田です。・・・・はい、はい。分かりました。直ぐに向かいます。どこで合流すればいいですか?はい、曙橋ですね。了解です。』

石川に張り付いているスタッフから、陣内と合流して焼肉店に入って食事しているとの連絡が入ったのだ。奈々美は、交代も兼ねて合流を急いだ。

経営者としては、また気持ち良く応援に駆けつけて来てくれる様に気を使わなければならないのである。そんな、気苦労の多い毎日なのだ。

『お疲れ様です。遅くなりましたね、すみません交代しましょう。それじゃあ、明日も石川で・・・・・』

奈々美はそう言いかけて、スタッフの袖を掴んだ。

『あっ、そうだ、ついでに焼肉食べていきません?潜入調査って事で!』

奈々美は夕食も兼ねて、応援スタッフと焼肉店に潜入した。

『取り敢えず、普通に食事しちゃっていいですよ。()()()()()()()もオーケーですから。勿論、明日に響かなければっすね。ハハッ。』

奈々美達は、石川達と背中合わせになる座敷に陣取った。ここは、話が筒抜けでいい感じだ。陣内も、結構アルコールが入っている様で声を大きくして話している。

『なぁ、睦。恭介は頼もしいだろ?なっ。』

結構酔っぱらってるのか、いい感じで聞きやすいボリュームで話してくれる。

『敬さん、うるさいよ!大人しくしなよ、あっ・・・・すみません。』

陣内が大きな声で話してるので、石川は周りに謝りながら食事をしている。

『分かったよ。はいはい、大人しく呑みますよぉ〜。』

奈々美達も、タンからスタートしたところだ。

『睦、融の好きにさせんじゃねぇぞ。なぁっ。あの野郎だきゃ俺は嫌いだ!』

『どうしたの敬さん、今日酔うの早いよ?マジで。』

『おう、・・・・悪りぃ悪りぃ。俺は嬉しいんだよ。お前がさ、あんな事言ってくれるとはな。ああ、・・・・・そうだ。この間姉貴の所行ってきたぞ。』

石川の表情が、あからさまに変わった。

『どうしてた、瞳ちゃん。元気にしてた?落ち込んでなかった?』

陣内が、石川の頭を軽く小突きながら話す。

『ああ、まぁ何とか元気にしてたよ。お前に有難うってさ。言ってたよ、泣きながら感謝してた。優樹と葵も元気にしてたよ。』

『そっかあ〜、よかったよかった。うん。』

『まぁ、これからチット気合い入れてやっちゃおうぜ!なっ。』

『うん。俺、絶対やっちゃうから、敬さん見ててね。』

『おう!』

奈々美は、二人の硬い絆を会話から感じていた。何にしても、何かをやり遂げようとして士気が高まっている様だ。他のお客さんの話にかき消されながらも、奈々美は注意深く耳を澄ませていた。やっぱり本匠と組んで、何かをやるつもりだ?それは「本匠から指示が入っているものなのか?」、など考えながら聞き入っている。

『敬さんさ、奥村の事覚えてる?』

『ああ、覚えてるに決まってんじゃん。大体アイツが、チンコロしたって事だぞ!恭介が言ってた。そんで、その奥村がどうした?』

『ん〜いやね、恭介さんにアドバイスしてもらってさ。奥村のオッサンにも、それなりの罰を受けてもらわなきゃ不公平だって話になってさ。』

照れくさそうに言う石川を見て、陣内は小さく頷きながら返した。

『そうだな、アイツがチンコロさえしなけりゃな。事態は、ここまで最悪にはなんなかったんだしな。それに、アイツは融の野郎と組んでMen's専門とか言ってさ。そっちでもボロ儲けしてたくせによ。テメーの事は棚に上げて、姉貴を売りやがったんだよ!』

陣内は、石川を見て軽く肩を叩いた。

『お前の事も、散々利用しやがったんだからな!絶対に許さねぇぞ!』

奈々美は本匠の事務所に来た派手目の男の事を思い出し、「あっ、奴だ!」っと閃いた。二人の会話は、まだまだ続く。

『そんで、その取締役会ってのは、いつ予定されてんだ?』

『三ヶ月に一回やってるんで、ん〜と次はあと二週間位かな。そうだねぇ、あと十五日後だね。でも次回じゃなくって、持ち越す可能性が高いよ。』

『持ち越す?・・・・・なんで?』

陣内が、とろ〜んとした目をして聞いた。

『候補に上がっている人間が、皆んな曰く付きだからだよ。今のところ、暫く空席のままで、様子を見ましょうって事になりそうなんだ。』

『様子をって・・・・・、融が信用出来ねぇからか?』

『それもあるんだけど、対抗馬の人も評判悪くってね。ウチで出世する人は、何故か皆んな評判が悪いんだよなぁ。』

『その専務ってのは?』

『うん、調査してるよ。・・・・俺が。でも、この人は綺麗な人だよ。』

『なんだ、睦がやってんのかよ。まぁ、お前がそう言うんだったら大丈夫だな。』

『うん、大丈夫。細工は粒々ってとこかな。』

『ん・・・・、懐かしい事言ってんなぁ。』

『はははっ、恭介さんにも言われた。それで、敬さんの方はどうなの?』

『まぁ俺の方は、姉貴のケアだからな。そんなに大変な事はないけどさ、お互いしっかりやろうぜ!』

『うん!』

奈々美は、この調査に関わりだして思った事がある。色々な人の人生が絡み合い、いろんな考え方や常識があると。そしてそれぞれが、正解を探しながらもがいている様子を目の当たりにしてきた。だからこそ感じているのだ。彼らには彼らの正義があって、その為に闘うのであろうと。それが法に触れず、筒井家の子供達を傷付けない結果であれば良いのだけれどなぁと。そう思っていた奈々美の後ろで、陣内が似た様な事を言い出した。

『なぁ睦。あの融の野郎は、今までずっと自分の手を汚さずに生きてきた。そんでお前を、いや姉貴達も含めて利用してきた。いざヤベェからって、お前らに全てなすり付けて逃げようとしてんだ。アイツは、昔っからそうだったよ。そろそろ、テメェで尻拭いてもいいだろ?なっ睦、みんなの為にもよ。』

『そうだ!瞳ちゃんの為に。』

『おう、そうだ、お前の為に!姉貴の為!優樹と葵の為に!』

『うん!そうだ敬さん。賛成!』

『俺達の正義の為に!』

『マジでぇ、・・・・俺も会いたいなぁ。』

『おう、全部終わったら会わせてもらえよ。』

『でも良いのかなぁ、俺なんかに会わせてくれるかなぁ。』

『何言ってんだよ。自信持てよ。』

『うん。』

『会わせてくれるに決まってんだろ?だって、・・・・・。』

『うん。そうか。・・・・うん。・・・・・うんうん。』

二人の決起集会は、宴もたけなわであった。

そしてその背後で、・・・・・奈々美は固まっていた。

「えっ。今、なんて言ったの?マッ・・・・マジか!」

奈々美は、全身から血の気が引いていくのを感じていた。

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