第9話
部屋に来ると、私達はまず、男が持ってきてくれたビールを冷蔵庫に入れた。私は緊張で、一刻も早く酒を飲みたかったので、私が買って、先に冷やしておいたビールを出した。グラスが無かったため、缶のまま乾杯をして、2人で同時に飲んだ。男は唇をビールで濡らし、人差し指と親指で、丸い形を作って見せた。私も笑って、男の真似をして、指で丸を作った。
私が、豚肉と卵とキクラゲの中華炒めを作っているあいだ、男は興味深そうに、私の本棚を眺めた。本棚から本を一冊取り出して、パラパラとページを捲ったり、作家のプロフィールを読んでいる様子だった。私の部屋で面白いものなんて、本棚くらいしかない。なんだか、自分の頭の中身を覗かれているようで、ひどく恥ずかしくなった。私は料理を作るのに集中し、珍しく手際よく料理を仕上げていった。
思いの外たくさん作ってしまった中華炒めを大皿に盛り、ラタトゥイユは小鉢に盛り、テーブルに運んだ。男は、拍手をしてくれた。椅子がないので、私達はベッドに並んで腰掛け、男が持ってきてくれたビールで、再度乾杯した。
男は、実によく食べ、よく飲んだ。中華炒めは半分以上食べ、ラタトゥイユは2回おかわりした。ビールも、勢いよくゴクゴクと飲んだ。
私は、料理を少しずつつまみ、ビールもゆっくりと飲んだ。男が持ってきたビールは、独特な香りがした。男が私の部屋にいて、隣でビールや料理を豪快に口にしているのが、なんだか不思議だった。やはり、どこか現実味がなかった。
私は、そんな気持ちにずっと駆られていたので、何度も男の顔を見つめてしまった。その度に、男はキョトンとした眼で、私を見つめ返した。男は、バッグからノートと万年筆を出して、サラサラと綴った。
「大食いな男は、お好みじゃないかな?」
その言葉に、私は笑って首を振った。中華炒めは間の抜けた味付けだし、ラタトゥイユは煮詰めすぎてしまった。そんな料理を、気持ちよく食べてくれる男が、愛おしかった。私は、何度も男の身体に触れる衝動に駆られた。でも、グッと堪えた。それを私からしてしまったら、私達の間にだけにある秩序のようなものが、崩れてしまうような気がした。
男は、私が作った料理を、キレイに食べきった。男は、テーブルを拭き、食器をシンクまで運んでくれた。私は、食器と鍋とフライパンを、一気に洗った。
洗い終わって戻ると、男はベッドに腰をかけて、煙草とライターをバッグから取り出し、私の顔を見た。私は、指で丸を作った。私は、灰皿をテーブルに置き、男の横に腰掛けた。そして、2人で煙草に火を点けた。
しばらく、2人で黙って煙草を吸った。不思議と、気まずさはなかった。2人して、同じことをしていることが、むしろ心地よかった。
2人で同時に、煙草を灰皿に押し付けると、男は立ち上がって、また本棚を眺めた。なにか気になる本があれば貸してあげたいと思っていたら、男は本棚の上に積んであったCDに手を伸ばした。そして、ちあきなおみのベストアルバムを手に取った。
男は、CDを持ったままベッドに腰掛け、ベッドに置いてあったノートに万年筆で綴った。
「ちあきなおみが好きなの?どの曲が、一番好き?」
ノートには、そう綴られていた。男は、私にCDを渡してくれた。私は、CDの裏に書いてある収録曲の一覧を見て、「朝日のあたる家」を指差した。
男は、その曲のタイトルを見ると、またノートと万年筆を手に取って綴った。そして、私にそれを見せた。
「僕の横で、歌ってくれないか?」
その言葉の意味が、よく分からなかった。当然だ。男は、耳が聞こえないはずだ。私が戸惑っていると、男はまたノートに綴った。
「聴きたいんだ。歌ってくれ」
ノートには、そう綴られていた。私は、なぜか分からないが、男の思いが伝わってきたような気がした。私は、歌うのは好きでも得意でもないけれど、そういう問題ではない。男が耳が聞こえないことも、もはや問題ではないのだ。私が歌って、男に聴かせること。それだけが、重要なのだ。
私は、男の横に改めて腰掛け、呼吸を整えた。男は背筋を伸ばした。




