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第3話

 ある日、私は生理用のナプキンを買いに、駅前のドラッグストアへ行った。私の住んでいる地域は、コンビニとドラッグストアが、なぜかやたらと多いが、その日は駅前の店がポイントが3倍付く日だった。

 店に着いて、買い物カゴを持って、生理用品のコーナーに行った。一番買い得な値段の、夜用と多い日用のナプキンをカゴに入れた。ついでに、洗顔フォームもチェックしていこうと思い、化粧品のコーナーに行こうと思った。

 店内をうろついていると、健康食品のコーナーに、見覚えのある後ろ姿があった。あの男だ、とすぐに私は分かった。男は、以前と同じ紺色のスーツを着て、サプリメントの瓶を手に取って立っていた。

 しばらく、男の後ろ姿を眺めていたら、やはり男は私が見ているのに、とっくに気づいていたかのように、ゆっくりとこちらに振り返った。私は、今さらながら少し驚いて、とっさに頭を下げた。男の方は、驚いた様子はなく、まるで私とこの店で会うことを予想していたかのような感じだった。サプリメントの瓶を売場に置くと、笑顔で左手を上げて、私に近づいてきた。私は、ナプキンの入ったカゴを、身体の後ろに隠した。

 男は私の前に立つと、鞄からノートを出し、胸元のポケットから万年筆を出した。ノートを開いて、万年筆のキャップを空けて、ノートにサラサラと音を立てて書き、私に見せた。

「こんばんわ、お買い物ですか?」

 相変わらず、美しく読みやすい文字だった。私は、苦笑いをしながら頷いた。

 男も笑って、今度はノートに次のようなことを書いた。

「この後お時間ありますか?良かったら、あの店でこれから飲みませんか?」

 私は、男からの誘いに驚いた。男性から誘いを受けるなんて、いつ以来だろうなんて過去を振り返りそうになった。だが、今の私は、この店で買い物する以上のお金の持ち合わせがなかった。

 私が戸惑っていると、男はノートと万年筆を差し出してきた。私は、それを受け取り、「ぜひ行きたいのですが、あいにくお金の持ち合わせがなくて」と書いた。決して、男の誘いを拒否しているわけではない、という気持ちを伝えられたか不安になりながら。

 男は、私の言葉を読んで、また声を出さずに笑いながら、ノートに言葉を書いて、私に見せた。

「僕がお誘いしたのですから、僕にご馳走させて下さい」

 男のその言葉に、どう反応すれば良いのか、また戸惑ってしまった。「それなら行く」なんて言ったら厚かましい女だろうか。でも、私は男と話がしたいと思った。正確には、男とノートの上で、万年筆によって綴られていく会話をしたいと思った。

「ありがとうございます。それなら、お言葉に甘えて」

 私がノートにそう書くと、男は安堵したような柔らかい表情を浮かべた。


 それから、私達は週に1、2回のペースで、あの居酒屋で酒を飲むことになった。約束をしたわけではない。私は、いまだに男の連絡先を知らない。

 私が、あの居酒屋で一人で飲んでいると、あの男が店に入ってくる。逆に、私が店に入ると、男が先に飲んでいることもあった。あるいは、スーパーやコンビニで偶然出会い、そのまま店に行くこともあった。勘定は、いつも男が払ってくれた。

 二人で酒を飲みながら、私達の間には、常にノートと万年筆があった。男と私は、交互に万年筆を手に取り合い、言葉を綴り合った。

 男は、生まれつき耳が聞こえなかったため、小学校に上がる前から、父親に字を習っていたこと。誕生日プレゼントは、いつも大量のノートとボールペンだったこと。この万年筆は、大学進学で実家を出る時に、父親がプレゼントしてくれたものだということ。「この万年筆が、お前と外の世界を繋いでくれる」と父親が言ったこと、などをノートに語ってくれた。

 私は、以前は中小企業で会社員をしていたが、仕事の忙しさから体調を崩して辞めたこと、それ以来、日雇いのアルバイトで生活していること、いまだに実家の親の脛を齧っていること、読書が唯一の趣味であること、などをノートに語った。嘘をついたって良かったのだが、男はたとえこんな私であろうと、軽蔑したり、憐れんだりしないだろうと、なぜか確信して、ありのままを語った。しかし、さすがに自分でも小説を書いてるとまでは、言えなかった。

 ノートに綴られていく私の人生は、口で言葉で話すよりも、ひどく凡庸で、つまらなく感じさせた。なのに、男は退屈そうな顔は、一切見せなかった。私の体調について、心配と労いの言葉を書き、今の仕事は、具体的にどんなことをするのか興味を抱き、趣味の読書については、どんな作家が好きなのか、その作家になぜ惹かれるのか、聞いてくれた。ノートと料理に眼を落とす時以外は、常に私の顔を見ながら。 

 いったい、男はこんな私のどこにそんなに興味があるのか。もうずいぶん長く、他人から関心を受けたことのなかった私は、緊張とかときめきだとかよりも、疑問の方が強かった。

「私の話なんて、つまらないでしょう?」

 ある時私は、そうノートに綴った。その言葉を見た男は、心底不思議そうな顔をして、ノートにこう綴った。

「なにがつまらないんですか?僕は、あなたに興味津々で仕方ないです」

 正直、宗教の勧誘やセールス、結婚詐欺などを疑わないわけではなかった。しかし、男はそのような話は出してこなかったし、不思議と男にそのような「裏」があるとは感じなかった。それも、男の指が持つ万年筆から綴られる文字と言葉が美しかったからかもしれない。特別変わった言葉を書いたり、オシャレな言い回しをしてくるわけではない。

「仕事では、伝えたいことは紙に書いてやりとりしています。僕はいいんですが、同僚の一人の女性は面倒なのか、身体を使ってジェスチャーで伝えてきます。同僚達は、影で笑っています」

「幼い頃の父は、とにかく厳しくて。僕が字が汚かったり、間違えたりすると、物差しで僕の手の甲をピシャリと打つんです。しまいには、物差しが折れてしまいました」

「この店の店長は、お客様の邪魔にならないことがモットーらしいですが、本当は人見知りなだけだそうですよ。客商売なのに、面白いですよね」

 男は、自分の日常や、自分の過去や、ちょっとした秘密を、ノートに綴っていった。私は、「そうなんですか」「それはおかしいですね」と、つまらない相づちしか書けなかった。それ以外は、ぎこちない笑顔を作ったり、驚いた表情を作ることしか出来なかった。それでも、男は退屈そうな素振りは見せずに、あきもせずノートに言葉を綴り、私の拙い話を聞いてくれた。

 私も男の言葉を否定しなかったし、男も私の言葉を否定しなかった。そのことが、ここ最近、自分の住んでいる足の踏み場もない部屋以外に、居場所がない私に、新たな安らげる場所になりつつあったのかもしれない。そうだ、私は、この男とのノートと万年筆との会話に、居場所を求めている。そして、それが次第に、男自身に向いていることに気づき始めている。

 私は、その気持ちを、男に伝えたい衝動に駆られる。でも、できなかった。男が、私の言葉を否定しないことは分かっていても、否定されるのが怖かった。その衝動を抑えるために、私は冷たいビールを喉に流し込んで、ほろ酔いになるしかなかった。男は、そんな私の気持ちを、知ってか知らずか、私の目の前でホンノリ微笑みながら、万年筆でノートに自分の言葉を綴っている。

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