終章44 万能聖女、はっちゃける1
宿星ちゃん、もといステラがもとより設置してくれていた『転移陣』を使えば、一瞬にして入口の部屋へと戻ってこれた。
外へ出ると、入口の前に立っていた騎士が一行の帰還にいち早く気づき、近くに張られていた天幕へと走っていく。
やがて天幕の中から出てきたのは、領主だった。
あれからずっとそこで寝泊まりしていたのかもしれない。
「リシェル!!」
ヴィンスに背負われているリシェルの姿を認めた領主は、同じ貴族なら見苦しいと顔をしかめるだろう、なりふりかまわない様子でこちらへと走ってくる。
「お父様!!」
そうして父と娘は抱き合い、再会を喜んだ。
「……リシェル、よかった……本当に……」
貴族社会では、涙一つでも致命的な弱みとなりかねない。ゆえに、いついかなるときでも、決して涙を見せるなと教わる。
領主――ラウレンツとてそうだ。特にこんなにも多くの部下たちがいる場ではなおのこと、涙を見せるなどあってはならない。……のだが。
しかし、数か月も昏睡していた愛しい娘が目覚め、無事に自分のもとへと帰ってきたのだ。これで涙を流さない父親など、父親として失格だろう。
貴族以前に、ラウレンツは一人の父親なのだ。
「お父様……申し訳ございません……わたくし、お父様たちに、多大なご心配と、ご迷惑をおかけしてしまいましたわ……」
「いいんだ……おまえが無事なら、それでいいんだ……」
リシェルが涙を見せるのも、ずいぶんと久しぶりだった。
母が、妻が亡くなって以来、彼女はどんなときでも涙を見せなくなったから。
存在を確かめるようにして抱きしめ合い、歓喜に涙する父娘の姿を――乃詠もまた涙ぐみながら見守っていた。
(本当に、よかったわ)
二人を見ていたら、なんだか無性に父に会いたくなった。
(そういえば、あのあと大丈夫だったかしらね)
と、いまさらながら再び心配が過るも、乃詠と歌恋がいなくなって、すでに一か月以上経っている。
とっくに過ぎたことで、何より別の世界にいるのだ。様子を見ることもできない以上、ただ心配だけしてやきもきするのは無意味だし、精神衛生的にもよろしくない。
(お父さんなら速攻で殴り込みをかけるだろうけど……私たちが連れてこられたのは異世界で、連れ去った犯人は女神だもの。どう頑張ったって無理だものね)
父もたいがいハイスペックだが、そこにハイスペ令嬢を加えても、さすがに世界や存在の隔たりはどうにもしようがあるまい。
◇◇◇
その後、領主にステラのことを説明し、すぐにダンジョンは撤去。騎士や兵士たちも現場を引き上げ、乃詠たちも領主らとともに城館へと戻った。
そこでひとまず解散ということになったが、二日後に、慰労の宴を開くので、ぜひ参加してほしいと言われた。
参加者は、今回の件に尽力してくれたすべての者たちだ。
正直、領主の城での宴なんて丁重に辞退させていただきたいのだが、どこか懇願するような表情で言われてしまえば、断れるわけもなく。
ちなみに、二日後という設定の理由は、準備の時間と、家族水入らずで過ごす時間を作るためである。
リシェルも目覚めたばかりで、まだ歩くのもおぼつかない状態なので、そのあたりも考慮しての日程らしい。
そして、今夜は騎士隊との宴会に参加することになった。
ウルグの「今日、みんなでパーッとやろうぜ!!」の言葉に端を発する。
それを聞いていた領主が、彼らが普段行きつけにしている酒場に貸し切りの予約をねじ込んだ。権力の行使である。
宴会は夕刻からで、現在は昼過ぎ。まだ時間があるので、乃詠たちはまず冒険者ギルドへと赴いた。ハクとユキの従魔登録のためだ。
やはり中へ入るなり注目の的となったが、時間ゆえだろう、前回よりギルドにいる冒険者の数が少ない。
見れば、カウンターには先日、担当してくれたパウラがいたので、彼女のところへ向かった。
この短期間でさらにAランクを二体追加で従魔にしたという事実に、さしものパウラの営業スマイルもだいぶ引きつっていたが、無事に登録を終え、新たにタグを二つ受け取る。
冒険者ギルドを出たあとは、再び『青の小鳥亭』にて部屋を取り直し、しばしゆっくり休むことにした。
実のところ、領主には部屋を用意するからぜひ城へ滞在してほしい、と言われたのだが、それだけは丁重にお断りした。
居心地や気疲れうんぬんも確かにあるが、何より、家族水入らずに余計な気を回させたくなかったから。
時間になったら、ルーミーが宿まで迎えに来てくれることになっている。
酒場のだいたいの場所さえわかればナビィに道案内をお願いできるのだが、意外と頑固な彼女の言葉に甘えることにした。
そんなこんなで――定刻どおりに迎えに来てくれたルーミーの案内でやってきたのは『吟遊酒場ローヴェイン』。
なかなか大きな店だ。
「ローヴェインって、店主さんの名前?」
「いえ、伝説の英雄の名前です。またの名を〝陽気な剣鬼〟――けっこう有名ですが、ご存じないですか?」
「え、えぇ。田舎者だから、そういうの疎くて……」
「そのわりには、けっこうな学をお持ちですよね」
不審の眼差しが痛いが、乃詠は必死に笑顔を保つ。
「まぁいいです。自分の錆びついた知識が活きる場を与えてもらえたことに、むしろ感謝すべきですからね」
と、いちいち己を卑下するようなことを言わないと気の済まないらしいルーミーいわく。
ローヴェインという男は、かつて実在した人物で、普段は陽気で気さくな兄ちゃんなのだが、ひとたび剣を手に敵と対峙すれば、別人のように豹変し、そして鬼のように強かったという。
数万規模の魔物のスタンピードをたった一人で討滅した、という武勇伝も残しているそうな。
「ローヴェインは無類の宴好きで、酒と音楽をこよなく愛していたそうです。戦いの前にはバカさわぎをし、必ず勝って帰ってきて、再び周りを巻き込んでバカさわぎをする――それにあやかって、名前を拝借したそうですよ」
その、不敗神話に。彼の最後は老衰。負けなしだった彼は、戦いの前には必ず飲んで歌って騒いでいたから。
主な客は兵士や騎士、冒険者などの戦いを生業とする者で、任務や依頼の前にさわいでいく者がけっこういるそうだ。ゲン担ぎである。
それ以外でも、そういった者たちの憩いの場となっている。
そんなルーミーの説明を聞きつつ店の中へ入ると、すでにそろって乃詠たちの到着を待ちわびていた騎士たちから盛大に迎え入れられる。
席へ座るなり、すぐさま各々の前に飲み物が配られた。
「ノエさんたちもビールでよかったですか?」
この世界でも乾杯と言えばビールなのだろうか。
「……おれ、飲んだことない」
「私もよ」
言わずもがな、乃詠は元の世界では未成年である。
この国の法律では、特に飲酒の年齢に規定はないらしい。だが、十五歳で成人してから飲むのが暗黙の了解となっているそうだ。
「まぁ、飲んでみて、駄目だったら別のものを頼めばいいわよ」
ルーミーには問題ない旨を伝える。
店内は、奥にカウンター席があり、壁沿いに四角いテーブルが、そして中央の小さなステージを取り巻くように丸テーブルがたくさん設置されている。
そのステージの上に、ジョッキを手にしたアビーが上がっていく。
なんだか顔がイヤイヤなので、周りに押しつけられたのだろう。
「んん、あー、みんな、とりあえずお疲れにゃん。まぁ、いろいろあったけど、無事にわれらの隊長が戻ってきたにゃん。その隊長はいまごろ副長とよろしくやってるだろうから、ニャーたちも負けじと楽しくやるにゃん。ってことで、ジョッキを掲げるにゃん」
みんながジョッキを高く持つ。
「誰ひとり欠けることなく今このときを過ごせていることに――乾杯にゃん!!」
口々に『乾杯』の復唱をし、近くの者とジョッキをぶつけ合い、中身をひと息に飲み干していく。実にいい飲みっぷりであった。
「……にがい。好きじゃない」
ちょぴっと舐めて顔をしかめるファル。
ビールは口に合わなかったようだ。
「甘いお酒か、ジュースにしとく?」
「……ん。おれだけジュースは、なんかやだから、甘い酒にする」
どうやらファルは子供舌らしいのだ。しかし、精神的にはまだ子供と言っていいので、むしろお酒をぐびぐび飲んでいるほうがちょっと違和感がある。
幸いにも、甘い果実酒もけっこう置いてあって、店主のおすすめを水割りで注文した。
ちなみに乃詠のほうはわりとイケた。
好きかどうかはまだわからないが、嫌いな味ではない。
せっかくの機会なのでいろいろ飲んでみようと思う。
(郷に入っては郷に従え、よね)
ちょっと違う気もするが、まぁ乃詠はもうこの世界の住人なので、ここの法に従うまでだ。