4章41 万能聖女、宿星のダンジョンへ潜る13
そんな戦況なので、アイスフェンリルBにはまだ、隣の戦闘に目を向けるだけの余裕がある。
別にアイスフェンリルAに対して仲間意識があるわけではない。特に気になったというわけでもない。ただ、なんとなく目を向けてみただけ。
果たしてそこにあったのは――Aがフルボッコにされている姿で。
Bは思わず二度見した。前肢で目をこすってみるが、どうやら自分の目がおかしくなったわけではないらしい。
と、自身の戦闘から意識が逸れて攻撃を食らい、Bは我に返ってそちらへ集中。
少しして、再び隣を見ると――Aは、まさかの服従のポーズを取っていた。
亜然とするB。Aは少女に腹をなでられ、恍惚とした表情をしている。
Bの中で何かがうずいたが、また攻撃をもらって意識がそちらへと戻る。
そして再三、隣を見たとき――少女と目が合った。
それは間違いなく捕食者のそれだった。
少なくともBにはそうとしか見えなかった。
自分よりもレベルも能力も高いAがフルボッコにされたすえに服従した。仮に自分が、いま戦っている集団を倒したとして、次に対峙するはあの少女たち……勝てる可能性は万に一つもない。天と地がひっくり返ってもありえない。
ゆえにBは、そくざに方向転換し、跳んだ。――乃詠たちのほうへ。
だが、ビターンと漫画みたいに結界にぶつかった。
不可視ではないのだが、目に入らなかったらしい。
結界に張りついたままずるずると地面に落ちたアイスフェンリルBは、そのままころんひっくり返って腹を出す。
それは結界にぶつかって地面に落下したダメージによるものではなく――降伏のポーズであることが明白で。
場がシンと静まり返った。
「えーっと、あなたもテイム希望?」
「くぅ〜ん」
甘えた感じの鳴き声で肯定が返ってきた。
「ヴィンスさん。テイムしちゃってもいいかしら?」
「あ、あぁ。どうぞ」
呆気に取られるヴィンスは、そう返すしかない。
嬉々として、乃詠はテイムを完了した。
「あなたの名前は〝ユキ〟よ」
「うぉん!」
ちなみに、名づけに関してナビィからのダメ出しはなく、アイスフェンリルBも嬉しそうだった。
「「くぅ~ん」」
「なでてほしいの? もう、可愛い子たちね」
お互いに競うようにして腹を見せてくるハクとユキ。
そのさらさらもふもふのお腹をわしわしする乃詠の顔はふにゃふにゃで、とても幸せそうだ。……ここが楽園か。
『楽園なのはいいですけど、今はそれどころではないでしょう』
「――はっ! そうだったわ。早くリシェルさんを助けないと」
◇◇◇
「うぅ……無念、なの……」
ダンジョン内のコアルーム――まな板に乗せられた憐れな魚のように力なく横たわり、宿星はしくしくと涙を流す。
アイスフェンリルをもう一体作ってボス部屋に送り込んだときに、この結末を予想していなかったと言えば嘘になる。
特に銀髪の少女とその従魔たち。あれは、この世界の常識にまだ疎い宿星でも、異端だとわかったから。
現時点で作れる自分のダンジョンには、逆の意味でまったく見合わない。格が違いすぎる。次元が違う。場違いにもほどがある。
結果、呆気なく攻略されてしまった。しかも最後は、まさかのテイムである。
まぁ、討伐もテイムも結果としては変わらないのだが。
「……攻略されてしまったものは、もう仕方ないの。次に備えて、また作り直すよりないの。……生命力、ギリギリ保ちそうなの」
一応、今回の攻略者たちからそこそこの生命力を得ることができた。
余裕はまったくないけれど、死なない程度にはつないでいけるだろう。
「……?」
再びスクリーンを見ると、なぜか一行がそこにとどまり続けている。
本当は倒したら、なのだが、テイムとてボス撃破と同義。ボス部屋の中央にはすでに、ダンジョン入口の部屋につながる『転移陣』が出現している。
だというのに、一行はそれには見向きもせず、何やら話し込んでいた。
「……何なの?」
どこか嫌な予感を覚えつつ、首をひねっていると――おもむろに、銀髪の少女が地面を攻撃し始めるのだ。
このダンジョンの基礎は宿星の体のようなもの。別に痛みやダメージはないが、破壊されれば即座に修復される仕様となっている。
それでも何度か攻撃したあと、少女は腕を組んで何か考え込んでいるようだ。
そこで宿星ははっとなる。――まさか、と。
「小生を、探してるの……?」
◇◇◇
『この真下――かなり深いですが、そこに一つだけ空間がありますね』
「まず間違いなく、宿星もリシェルさんも、そこにいるわね」
『えぇ』
空間はあれど、そこへ続く階段などは見当たらない。当然だろう。行き来を想定していないのだ。
ボス部屋の中心には魔法陣が光っているが、あれは外へ出るための『転移陣』だとナビィが言う。
地上へ一瞬で帰還できる親切設計。これで帰りの心配はしなくてもいいが、今はまず宿星のもとへ行くための手段だ。
「こう、異界的なものではないのよね?」
『えぇ。ちゃんと物理的な空間ですよ』
「ということは、極論、地面を掘り進めていけば、いずれたどり着けるということよね」
「ほんと極論だにゃん」
苦笑するアビー。
それは、ダンジョン攻略をしていれば誰でも一度は考えるだろう、頭の悪い発想である。考えたところで到底、実行は不可能。
大抵のダンジョンは魔法にも物理にも強い。また、自動修復機能がついている。そもそも、空間そのものが異界のダンジョンもある。
試しに地面を思い切り殴ってみた。クレーターができた。騎士隊の面々が微妙に震えていた。
「……ノエさんを怒らせたら、潰れたトマトになっちゃいますね」
「……言うにゃん。想像しちゃったにゃん」
彼らの呟きなど耳に入らず、乃詠はむむむと唸る。
ダンジョンの壁は、破壊自体はできる。だが、すぐに修復してしまった。ほとんど一瞬のことだ。
(普通に掘り進めていくのは無理そうね。キリがないわ)
〈闇魔法〉でも同様だ。貫通力はあるが、修復されれば同じこと。大きな玉を作って削り取っていっても、上から閉じていく。
(うーん、発想は悪くないと思うのよねぇ……あっ、いいこと思いついた)
天啓のようなひらめきに、乃詠はにまりと笑った。
◇◇◇
「そ、そんなバカな、なの……」
ダンジョンの地面の中を、大きな闇色の球体が、下へと向かってゆっくり移動している。
「冗談もたいがいにしてほしいの……ほんと意味がわからないの……」
その正体は〈闇魔法〉の『ダークスフィア』。
本来であればボール大で複数のそれを、一個にまとめて巨大化させたものだ。
それだけならば、まだいい。闇の球体――その内部には、件の攻略者一行が入っているのだった。
いや、普通に考えればありえないのだ。
〈闇魔法〉の性質は、物質を無へと還すこと。そして『ダークスフィア』は純粋なエネルギーの塊。中へ入るどころか、触れればそこから消滅していく。術者とて例外ではない。
ならば、なぜ一行は無事なのか……まぁ、至極単純な話だ。
一行は『ダークスフィア』の中の、さらに光の檻の中にいた。
〈光魔法〉は〈闇魔法〉を相殺する。逆もまたしかり。だから彼らは『ダークスフィア』の中に平然と居られるのだった。
と、いかにも簡単な話に聞こえるが……とんでもない。
相殺し合う対極属性の魔法をバランスよく維持しながら、球体の軌道を操っているのだ。
それは宿星からしても、
「ほんと、頭おかしいの……」
と言わしめる所業なのだ、実は。
まぁ当然、それをなしているのは乃詠なので、特に驚くべきはないのだが。
また〈闇魔法〉も〈光魔法〉も強力すぎるゆえにものすごく燃費が悪い。使いすぎるとすぐにMP切れになる。
そのMP量の異常さとコントロール力は、ここまででもさんざん見せつけられているので、騎士たちにとっても今に始まったことではないのだが、特に魔法を専門とする魔導騎士たちが一様に遠い目になるのは、禁じ得なかった。
だがしかし、いかに冗談じみていようと、意味がわからなかろうと、頭がおかしかろうと、事実として一行はどんどん下へと降りていく。降りてくる。
その向かう先にあるのは――自分のいるコアルームだ。
もはやなすすべはない。
奴らを止めるものはない。
「くく、来るの……! か、怪物が……恐ろしい、いろんな意味で恐ろしすぎるオニツヨのモンスターが、来るのぉっ……!!」
頭を抱えてガクブルする宿星。
相手の目的はわからない――いや、自分のところを目指してやってくるのなら、自分の命――いや、宿主の奪還だろうか。
今までそんな話、聞いたことがないけれど、ないとも言い切れない。
仮にそうだとしても、そうだとしたら、なおのこと自分の命がかかっているということになる。
逃げたい。逃げたいけれど、逃げ場などない。自分はここから離れられない。離れられたとて、奴らはもうすぐそこだ。時間がない。
「あぁ…………死んだの」
宿星はうつ伏せになり、とりあえず死んだふりをしておくことにした。