4章31 万能聖女、宿星のダンジョンへ潜る3
ダンジョンの魔物というのは、基本的に侵入してきた者たちの進路を妨害するための存在である。
ゆえに、大抵は前方へと現れる。それを騎士隊がもれなく一掃すれば、後方に敵が流れてくることはない。
だが、それがすべてというわけでもなく――横道から出てきた魔物に脇から強襲を受けたり、通り過ぎたあとで出てきて挟み撃ちにされたり、といった場面も多々あった。
戦闘では極力、手を出さないとは言ったが、向かってくる敵には対処せざるをえない。それらへの対処は乃詠たちの仕事だ。
とはいえ、数はさほどでもなく散発的で、かつ弱い。また、従魔たちが率先して倒してくれるので、乃詠はいささか手持ちぶさたであった。
(さて、と――)
なので、そのあいだにちょっとした疑問を解消することにした。
ダンジョンに入ってからずっと、乃詠には気になっていることがあったのだ。
意識を向けるのは、従魔たちが戦っている、さらに奥。今しがた自分たちが通ってきた通路。代わり映えのしない、ゴツゴツとしたむき出しの岩肌が上下左右に広がるばかりの――否。
常人の目には映らないだろうが、乃詠の目は、壁のわずかな窪みに身を隠す存在をしっかりと捉えていたのだった。
『――あの、お疲れ様です』
『!? あ、頭の中に可憐な声が……あ』
動揺しつつも、そっと顔だけを窪みから出したその人物と視線が交わる。
『〈念話〉を繋ぎました。びっくりさせてごめんなさい』
『あ、あぁ、いや、大丈夫』
その異様に薄い、ある種、独特の気配はそうそう忘れない。
元『邪毒竜の森』の中でひっそりと乃詠たちの動向をうかがっていた、攻略者捜索部隊の一人だ。
『思念とはいえ、直接、顔を合わせるのも言葉を交わすのも初めてですね。私はノエと言います』
『あ、はい、ご丁寧にどうも。俺はカイ・シュネデールです』
二十代半ばくらいの男性だ。深緑の髪に赤茶の瞳をしている。
これといってパッとしない風貌だが、かといって造作が悪いわけでもない。身長も体格も平均。良くも悪くも平凡といった感じだ。
『敬語はいりませんよ。年上の方に畏まられるのは苦手なんです。名前も呼び捨てでかまいませんから』
『あ、はい、わかり……わかった。呼び捨てはさすがにアレなんで、ノエさんと呼ばせてもらうよ。あと、こっちも敬語いらないから』
あらためての自己紹介を終えたので、乃詠は疑問を投げかける。
『じゃあ、お言葉に甘えて。カイさんは一緒に行動しないの?』
『あー、うん。俺は、辺境伯様から万が一のときの連絡役を仰せつかってるんだけど、俺ひとりなら魔物に気づかれることもないから』
確かに、魔物たちはカイの存在に気づいていないようだ。彼が目の前にいても、まったく意識を向けない。
低ランクの魔物だというのもあるのだろうが、相変わらずすさまじい隠密能力と存在の希薄さである。
万が一のときは、その異常なまでの隠密性能を活かしてダンジョンを突破し、外にいる領主のもとへ走るのだろう。
『まぁ、君たちがいれば俺の出番なんてこないだろうけどさ』
乃詠たちの戦いぶりをみれば、万が一なんてとても起こりそうにない。
『そういうわけだから、後ろをちょろちょろしてて目障りかもしれないけど、俺のことは気にしないでくれるとありがたいかな』
『わかったわ。魔物に気づかれないとはいえ、ダンジョン内では何が起こるかわからないから、くれぐれも気をつけてね』
そう言い残して、乃詠は〈念話〉を切った。
後方の魔物への対処を終えた従魔たちを連れ、再び前を向いて歩き出す乃詠の後ろ姿を、カイはぽーっと見つめる。
(しゃ、しゃべってしまった……)
最初に彼女らを見つけたのはカイだし、辺境伯や他の人の口から話を聞いたりはしていても、自分が直接、言葉を交わすことになるなんて夢にも思わなかった。
そもそもカイは、あんな美女どころか、女性とまともに話したことすらない。
もっと言えば、女性のみならず同性とさえ、仕事以外でかかわることはほとんどないのだ。
だって……すぐに見失われてしまうから。目の前や隣にいても、ちょっと気を逸らしただけで、大抵の人はカイを見失ってしまう。隠密系のスキルを使っていなくても、だ。
とはいえ、それ自体はもう慣れた。けれど、そのせいで相手にも気を使わせてしまうのが、ひどく心苦しい。だからカイは、普段から他者と接すること自体が少ないのだった。
(ノエさんは、気づいてくれるんだな……)
森の中で、最初にカイの存在に気づいたのは乃詠だった。今だって、少なくとも同僚たちは誰も気づいていないのに、乃詠だけが気づいてくれた。だけでなく、声までかけてくれて、しかもこちらの身を案じてくれた。
――この胸の高鳴りを、どうしてくれようか。
(……あれ……涙が……ぐすっ)
感極まって流れ出た涙をぐしぐしと拭う。
(……任務、がんばろ)
こんな魔物だらけのダンジョンだが、カイの心は満たされていた。
顔を上げた彼の表情はとてもキリリとしていて、これ以上ないほどやる気に満ち満ちていたのだった。
◇◇◇
アルス・ヴェルの大地に巣食ったソレ――宿星は、己の作ったダンジョンの最下層の、さらに地下深くに作ったコアルームにて、床の上で寝そべり、ふわふわクッションに顎を乗せ、足をぱたぱたさせながら、スクリーンに映し出されたダンジョン内の様子をモニタリングしていた。
「――さっそく来てくれたの。しかも、けっこう数が多いの」
従魔らしき魔物も含め、総勢三十名の一団だ。開放直後にしては重畳。
ナビィの推測は正しく――宿星はダンジョンを作って人を呼び込み、そうしてダンジョンへ入ってきた者たちの生命力をもらって生きている。
基本は、ダンジョン内での人間活動や、魔物との戦闘による負傷で自然に流れ出たものを吸収するかたちだ。
しかし、入場者の数が少なく、一日に必要な生命力を賄えそうにない場合は、故意に少量ずつ徴収することもある。
「え……ちょっと待つの」
人の生命力をもらって生命を維持するという性質上、宿星は生命力のみ数値化して視ることができるのだが――探索者一行の中で、銀髪の少女と、赤髪青髪の青年二人が、やたら突出してHPの保有量が多いのだ。
この星の生命体は、レベルが高いほど強く、強い者ほど多くの生命力を持っていると言う。
「いきなり、とんでもなく強そうなのが来ちゃったの。……のっけからこれは、あんまり歓迎できないの」
ダンジョンの創造と運営にはその星の魔力を使うのだが、一日に使用できる魔力量には、ルールとしての上限がある。
その限られた魔力をどれだけ効率よく運用できるかが、コアとなる宿主の性能にかかっているため、宿主選びは宿星にとって非常に重要となるわけだが、それでも使える魔力量が決まっていることに変わりはない。
宿主との距離があると、そのぶん運用魔力のコストが上がる。だから完成までにだいぶ時間がかかってしまった。けれど、おかげで相当な出来のダンジョンになった。
それもこれも、宿主が大事にされている姫だったからこそだ。徴収しても回復させてくれるから、命の危機もなく快適なダンジョン作り生活が送れた。
けれど、これからはそうはいかない。
ダンジョンを正式に稼働させるとなれば、コアたる宿主はダンジョン内へ置いておかなければならないし、そうなると宿主の分の生命力も必要だ。
魔物やアイテムなどを作るにも魔力がいる。ランクの高い魔物や、等級の高いアイテムほど多くの魔力を要する。
なので、そう簡単に突破されては困るのだが……
「魔物たちが、瞬殺なの……それに、歩みにまったく迷いがないの」
魔物と交戦すれば多少は鈍るが、しかし一行の足が止まることはない。
この洞窟フロアは無数の分かれ道があって、かなり入り組んだ造りにしているのに、一行は悩む素振りもなく正解の道を進んでいくのだ。
「これは――ちょっと、まずいかもしれないの」
◇◇◇
新生〈マップ〉のおかげで、一行は難なく下層への階段を発見する。
そうして下った先の二層もまた、上と同じ天然洞窟のフロアになっていた。
出現する魔物も、今のところはケイブラットとヴァンバット、それと基本はほぼ無害な『スライム』のみ。
どうやら、同じランクでも下層へいくほど高レベルに設定されているようではあるが、言ってもFランク。特に苦戦することもなく、奥へと向かってひた進む。
何事もなく、順調だった。……それまでは。
「!?」
――カサカサカサ、と。
この世界にきて鋭敏となった聴覚が、そんな不穏な音を拾う。