3章26 万能聖女、領主に捕まる5
フォローしてくれたのだということはすぐにわかった。けれど、まさか彼がここで口を出してくるとは思わず――しかも、領主に対する態度としてはあまりにも不遜にすぎたので、乃詠はさっと青ざめる。
「ちょっとコウガ!? フォローしてくれるのはありがたいけれど、相手は領主様なのよ!? せめてもう少し言葉を整えて……!」
「ハッ。そりゃ人社会のこったろ。魔物のオレには関係ねーな」
あなた中身は人じゃないの――というツッコミは心の中にとどめておく。
とはいえ、彼が人だったころでも、誰かにへりくだっている姿なんてまったく想像できないけれど。
それはともかくとして――従魔のしでかしたことは主人の責任だ。謝罪して、それでも「無礼者め! 打ち首だ!」とかなるようならば、とりあえず逃げよう。
お尋ね者になるのも勘弁だが、打ち首はもっと御免だ。
いや、きっとその前に、この町が瘴気か〈災禍〉で滅ぶだろう。それこそ大罪人確定である。
――スキル〈時空魔法Lv5〉を獲得しました。
(なんかさらっとすごそうな魔法スキル生やしてくれたわね、称号さん)
『〈時空魔法〉はレベル5で『ワープ』が使えますよ』
『ワープ! 転移ね!』
転移はまさに夢の魔法だ。
最初にダンジョンへと放り込まれたので悪い思い出しかないが、アイテム自体に罪はない。
『視認可能な距離、または一度訪れたことのある――空間の子細な情報を持っている場所へと瞬時に移動することができます。現在のレベルでは長距離の転移は無理ですが、この場から逃げるだけなら十分かと』
乃詠は逃走手段を確保した。
「うちの従魔が失礼な態度を取ってしまい、大変申し訳ありません!」
「い、いえ、かまいませんよ。魔物に礼儀を求めるほうが、無理があるというものですから」
「ありがとうございます!」
寛大な心の持ち主でよかった。この町の雰囲気がいいのは、治めているのがこの領主様だからなのだろう。
「それでコウガ、今の、どういうこと? 本当の目的?」
「まぁ、本題っつったほうが正しいのかもしんねーがな。考えてもみろよ。お偉いお貴族様が、いくら部下や身内予定の人間の命を救われたとはいえ、その礼をするためだけにこんな朝早くから、こんなとこまでわざわざ出張ってこねーだろ」
「確かに……そう言われると、少し不自然ね」
それだけ未来の義息子や部下のことが大事なのだと言われればそれまでだが……たとえば、ヴィンスか側近に手紙でも持たせ、礼をしたい、迎えをやるので城に来てほしい――というのでも、貴族なら、一介の冒険者への礼の尽くし方としては十分だと思われる。
なのに領主は、直々にここまで来た。――そうしなければならない理由を持った目的が、他にあるということだ。
振り向いた乃詠は、丸めた目でまじまじとコウガを見る。
「……んだよ。ひとの顔、ジロジロみやがって。なんか文句でもあんのか」
「文句なんてないわ。ただ……あなたが、私のフォローをしてくれたうえに、あまりにも頭いい感じのことを言うから、本当に本人なのかなって思って」
「はぁ? なに頓珍漢なこと言ってんだ。オレはオレに決まってんだろーが。つかおまえ、オレのことなんだと思ってたんだよ」
「……脳筋バカ鬼?」
「てめぇには聞いてねーよ!」
ちょいちょいと、コウガを手招きする乃詠。訝しみつつも、コウガは身をかがめて顔を寄せた。
そんな彼に向って、乃詠はおもむろに手を伸ばすと――前髪を上げ、自身の額をくっつけるのだ。
「!?」
一瞬、理解が遅れ――何をされているのかを認識した途端、コウガは顔を赤くしてばっと身を引いた。
「お、おまっ……! いきなりなにしやがる……!?」
「いえ、本人に違いないのだったら、熱でもあるのかなと思って。ちょっと熱かったような?」
「熱なんざねーよ!! 喧嘩売ってんのか!? そうなんだろ!?」
「……脳筋バカ鬼は、熱を出すような繊細な奴じゃない。たしか……バカは風邪ひかない、だったか?」
「その迷信、この世界にもあるのね。というかよく知ってるわね、ファル」
「……なんか知ってた。というか、ノエ。不用意に、そいつとおでこなんか合わせたら、ダメだ。バカがうつったらどうすんの」
「いえ、たぶんうつらないと思うけれど」
「おいクソ蜥蜴。そんなに殺されてーなら最初からそう言え」
「……はっ。おまえごときに、おれが殺られるか」
「やめなさい二人とも。まったくもう、あなたたちはすぐ喧嘩するんだから。仲がいいのはわかるけれど、時と場合を考えて――……」
その自身の言葉にはっとし、慌てて振り返れば――領主たちが亜然とした顔でこちらを見ている。
時と場合を考えるのは、それこそ乃詠もであったのだ。
「も、申し訳ありません!! 領主様の御前で、私までも大変なご無礼をっ! お願いですから打ち首だけはご勘弁をっ……! 町が滅びますっ……!」
「しませんが!? というか町が滅ぶのか!?」
「あ、いえ……その、うちの従魔たちが過保護なもので」
ごくりと息を呑む領主たち。
彼らは知っているのだ、乃詠の従魔のことを。
複数テイムしているが、その内の三体が上位魔物だということを、冒険者ギルドからの情報で知っている。
なればこそ、乃詠の言葉が決して冗談などでは済まないと理解していた。
「……あなた方は部下たちの命の恩人です。害することなどありえませんので、どうぞご安心を」
その言葉に、乃詠はほっと安堵の息を吐く。
「それにしても、ずいぶんと仲がよろしいのですね。スキルだけに頼ったものではなく、これほど強固な信頼関係を築いている主従を、私は初めて見ましたよ」
「そうですね。彼らは頼もしい仲間であり、ともに死線を乗り越えた戦友であり、大切な家族でもありますから」
目を細めて微笑む乃詠を、領主は眩しそうに見ていた。
「あの、それで、うちのコウガが言ったことは、正しいですか?」
「…………」
その沈黙は肯定だろう。沈痛な面持ちで目を伏せた領主は、しばし口を引き結んでいたが、やがて膝の上に置いた手を握りしめ、意を決したように口を開く。
「部下たちを救ってくれたことへの礼をしたかったのも事実ですが、我々が攻略者を探していた真の目的は――ダンジョンの攻略報酬である『神珠』です」
そして領主は語った。
娘リシェルが謎の昏睡状態にあること。
王国一の医師にも原因がわからず、聖女のスキルでも効果がなかったこと。
もはやリシェルを救えるのは『神珠』しかないと、ヴィンスたちが決死のダンジョン攻略へ赴いたこと。
その最中に攻略されたため、交渉にて『神珠』を譲ってもらうべく血眼になって攻略者を探していたこと――。
「なるほど。そういうことでしたか」
その話を聞いて、乃詠はもやもやが晴れたような気分だった。
確かに部下や未来の義息子の窮地を救った恩人だから、というのも必死になって攻略者を探す理由としておかしくはないが――本来の目的が愛娘のためとあれば、よほどしっくりくるというものだ。
「ちなみに、『神珠』はもう……?」
領主が不安そうに訊ねてくる。
「いえ、まだ使っていませんよ」
「お、おぉ……」
実物を〈アイテムボックス〉から出して見せると、領主はふらりと席を立つや、乃詠たちの横に移動し、おもむろに膝をつき――土下座した。
ぎょっとする乃詠をよそに、ヴィンスとエトムントもあとに続く。
「どうか、どうかっ、『神珠』を譲ってはもらえないでしょうか……!?」
頭を床にこすりつける勢いで、領主は涙ながらに懇願するのだ。
「もちろん、値をつけられるような代物でないことは重々承知しています!! 譲っていただいた対価は、私の一生をかけて支払いましょう!! だから、どうか、どうかっ……!!」
「やめてくださいっ! 『神珠』ならお譲りしますから!」
仮にも貴族で領主だ。その姿があんまりなもので、かつ痛ましすぎたので、乃詠は必死に止める。
「私とてわかってはいるのです! あなた方が命がけで災魔と戦い、そのすえに手に入れたものだということは! 国宝をもはるかに超える奇跡のアイテムを、いったい誰が手放したいと思うでしょう! ですが、私はなんとしてでも娘を救いたいのです! リシェルは、亡き妻の遺してくれた、私の唯一無二の宝なのです! 私の何を犠牲にしても、彼女の未来を守ってやりたいのです! だから無理を承知でお頼み申します! その『神珠』で、どうか娘を救っていただきたい……!!」
それこそ、血を吐かんばかりの様相で懇願する領主。
懇願しつつも、絶対に無理だと、心の底では諦めてもいるからだろう。譲ってもらえるなんて夢にも思っていないのだろう――乃詠の言葉はまったく届いていないようだった。
「あのですねっ! 『神珠』はっ! お譲りしますからっ! 頭をっ! 上げてくださいっ!!」
ゆえに不敬を承知で、一語一語を区切ってはっきりと、大きめの声でもって領主の耳元で繰り返す。
すると、今度はちゃんと届いたらしい。
おそるおそるといった感じで、領主が顔を上げる。