1章8 万能聖女、デンジャラスな魔物たちの洗礼を受ける3
「えぇ?」
何事かと困惑していたら、なぜかまた唐突にスキルが生えて困惑が増す。
唐突なこともそうだが、何より今しがた獲得した二つのスキルが――そのスキル名から察するにあまりにも都合のよすぎる、あまりにもタイムリーなものだったからだ。
まるでこちらの望みを叶えるかのような内容で、タイミングだった。
『――現在地を取得しました。封印と試練のダンジョン『邪毒竜の森』のマップを表示します』
「なんて?」
何やら聞き捨てならない単語が聞こえた気がして聞き返すも、それに答える音声はないまま、頭の中にこの森のものらしきマップが浮かび上がる。
スキルが発しているのだろう音声は、どうやら質疑応答のできる類いのものではないようだ。
ならば仕方ないとすんなり諦めて、乃詠は脳裏に表示されているマップへと意識を向ける。
かなり広大な森なのか、表示されているのは全体の一部のようだ。
丸に三角を組み合わせた赤いカーソルが現在地で、尖った部分がいま乃詠が向いている方向だと思われる。
見るかぎり、これといったランドマーク的なものはなさそうだが、現在地から少し歩いたところに川らしきものが見受けられた。
『外への最短ルートを表示します』
再びの音声のあと、マップ上に青い線が描かれる。まっすぐではなく少しぐねぐねしていて、斜め上方向に延びていた。
「これが〈ナビゲーション〉の効果なのね。さすがファンタジー世界。科学じゃなくても、スマホのアプリ並みに便利だわ」
そんな感嘆を吐露した直後、ふと悪寒を感じて身震いする。
悪寒の原因は、やはりこの森の不気味さだろうか。景観というより、肌に感じる空気がどうにも不穏なのだ。
それに、ここへ来たときよりも少し暗くなってきている。明度の低下が、より不気味さを増長させていた。
「ホラー系は苦手じゃないし、別に怖いというわけではないけど……なまじいつも謡が一緒だったから、こういうとき、独りだとけっこう心細いわね」
――ザザッ――
と、再びのノイズである。
「今度は何?」
適応力は高いほうだと自負する乃詠のこと、二度目となれば落ち着いたものだ。
――世界意――から要――認し――似人――生成――成功――
――スキル〈ナビゲーション〉に擬似人格を付与しました。
「なんて?」
落ち着いてはいるが、さすがに理解が追いつかない。
『――初めまして、マスター。今後はワタクシが、マスターのサポートから話し相手まで、あらゆる不便不備を解消できるよう精いっぱい努めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします』
「あ、ハイ」
頭の理解が追いつかないうちになんだかよろしくされてしまったので、反射的に応える――が、やや遅れて〝その事実〟を認識すれば、眉をひそめざるをえない。
乃詠がなんとなしに漏らした『独りだとけっこう心細い』という呟きは、裏を返せば『誰かが一緒にいれば』という願望の表れであり、その発言の直後に〈ナビゲーション〉スキルに疑似人格とやらが付与された――すなわち、乃詠の望みにスキルが応えたということになる。
(実体として存在するわけじゃないけれど、声だけとはいえ、独りじゃなくなったのは間違いないものね)
瘴気によって死にかけたときも、あたかも乃詠を生かさんとするようにスキルを獲得したりスキルレベルが上がったりした結果、乃詠は生き延びることができたわけだし、〈マップ〉と〈ナビゲーション〉を獲得したときだって、ぽつりとこぼした願望がスキルとなって確かな恩恵をもたらした。
一度だけならまだしも、二度三度と続けば、もはや疑うべくもない。
ご都合もいいところだが――間違いなく、乃詠の望みがスキルというかたちで叶えられている。
「まぁ、ありがたいといえばとてもありがたいのだけど……自分に都合がよすぎるというのも、逆にちょっと怖いものがあるわよねぇ」
なんともいえない複雑な面持ちで呟いたあと、小さく首を傾ける。
「というか、スキルってこんなに簡単に獲得できるものなの? しかも、レベルがあるスキルは全部、5からみたいだし」
『いえ。スキルというものは通常、相応の修練や経験の果てに獲得するものです。マスターの場合は主に、称号【万能聖女】の効果ですね。すべてレベル5からなのも同様の理由です』
「【万能聖女】がチートすぎる」
万能というくらいなのだから、当然の効果なのかもしれないけれど。
「でもそれ、聖女な必要ってある?」
『一応ありますよ。固有スキルの〈聖結界〉〈聖治癒〉〈浄化〉〈豊穣〉〈祝福〉〈聖別〉は、聖女の称号を持つ者しか獲得できませんから』
「そうだったわね。称号にかかわる四つはともかく、〈祝福〉と〈聖別〉も聖女限定スキルなのね」
あらためて見れば、どれもこれも聖女に相応しいスキルばかりだ。
聖女なんて本当に柄じゃないのにね、と苦み過多の笑みをこぼしつつ。
「ところで、あなたは女性? それとも男性?」
『まさか、ワタクシに関することで真っ先に性別を聞かれるとは、思いもしませんでした』
「性別って、接するうえではけっこう重要だと思うけれど。どちらかによって、発言に気を使う必要もあるでしょう? あなたは人としての姿を持っているわけじゃないし、一人称はワタクシだし、声も中性的だから判断しづらいのよね」
『意外と細かい部分に気を使われるのですね』
「意外とってどういう意味よ」
『ワタクシに性別という概念はありませんので、どちらと捉えていただいてもよろしいですよ』
スルーされたが、気にしないことにする。
「うーん。正直、どっちでも違和感ないのよねぇ。でも、どちらかといえば女性のほうがしっくりくるかしらね。うん、女性として接することにするわ」
実体を持たない疑似人格とはいえ、異性が自分の中にいるよりも同性がいると思っていたほうが、精神衛生的にもよさそうなので。
『どうぞ、ご随意に』
「あと、あなたのこと何と呼べばいいかしら?」
『性別同様、ワタクシには固有名もございません。特に要望もありませんから、マスターの好きなようにお呼びください』
「そう。じゃあ〝ナビィ〟で」
『――――』
「ナビ、って響きが可愛いと思わない? なんか好きなのよねぇ私。でもそのままだとちょっとあれだから、ちょっぴりアレンジを加えてみたの」
はたしてアレンジとは。
そのネーミングと言っていいのかわからないネーミングに、乃詠自身はとても満足そうだが……
『――ありがとうございます。マスターから名をいただけることほど光栄なことはございません。以後、ワタクシのことはナビィとお呼びください』
当の名付けられた疑似人格の、応答までの微妙な間とわざとらしく並べ立てられた言葉が、その内心を雄弁に語っているようだった。
疑似人格に〝内心〟があるのかはともかく。
「えぇ、よろしくね、ナビィ。それと、そのマスターというのはやめてほしいのだけど。私のことは乃詠でいいわよ」
『かしこまりました。では、ノエ様とお呼びいたします』
「様、ってのも遠慮したいとこなのだけど……まぁいいわ」
仰々しいのが好きじゃないだけで、許容できないわけではない。
『ワタクシからも一つ。ワタクシとの会話に肉声は必要ありません。頭の中に思い浮かべていただければ通じますので』
「あぁ、そうなのね。それはよかった」
スキルに付与された疑似人格たるナビィに実体はなく、その声も乃詠にしか聞こえない。今は周囲に誰もいないからいいが、これが街中だったら電波ちゃん扱いは必定、下手をすれば不審者扱いで通報されているところだ。
ともあれ、ナビィとのやり取りがひと段落ついたので、乃詠はあらためてマップに表示されたルートに沿って歩き出す。
『――ねぇ、ナビィ』
しばらく黙々と足を動かしていた乃詠が、ぽつりと呼びかける。
『はい。何でしょう』
『私、異世界から聖女として召喚されたのだけど』
『えぇ、存じております』
『元の世界には、本当に帰れないのかしら』
異世界から聖女を召喚する儀式は神官たちが行うが、その召喚の根底をなすのは女神アフィリアンテであり、送還の方法や、それに関連する知識を自分たちは持ち合わせていない――とロレンス皇子は言っていた。
これまでに異世界人が元の世界に戻ったという記録はない、とも。
しかし、それはあくまで彼が――彼らが知らないだけ。帰還の方法がないと断言されたわけではないし、過去の記録のほうも『少なくとも我が国には』という限定的な答えだった。
すなわち、元の世界に帰れるか否かは現状――不明。
なので、サポートスキルとしていろいろと知っていそうなナビィならもしかしてと思い、一応訊いてみたのだ。
『少々お待ちください』
そう言って沈黙したナビィが、ややあって復帰する。
『お待たせいたしました。残念ながら、ワタクシの保有するデータベースにも、召喚された者が元の世界に帰ったという事例はないようですね。帰還方法に関する情報もありません』
『そう』
短く返した乃詠に、しかし落胆はない。もとより、落胆するほど期待していたわけではないからだ。
元の世界には父や家族たちがいるし、謡を含めて友人もたくさんいる。未練は大ありだ。けれど、それを嘆いたところで帰れるわけでもない。
ならばもう、現実を受け止めて、この世界で生きていくしかないのだ。
(お父さんや彼らへの心配はあるけど、言うまでもなくみんないい大人だし、むしろ私がいなくなったほうがもっとしっかりするかもしれないわね。ただ、物騒なことになっていないかがものすごーく不安だけど……)
父はけっこうな子煩悩で、彼ら――血のつながりはない他の家族たちも慕ってくれていた。突然いなくなった乃詠と歌恋を心配するあまり、暴走していてもおかしくはない。……危ない方向へ。
(まぁ一緒にいたのが謡だし、彼女のことだから、あのあとすぐに私の家に行って上手いこと説明してくれてるでしょう)
本当に心配のし甲斐がなく、絶対の信頼を置ける親友なのだ。