3章22 万能聖女、領主に捕まる1
その後、うっかりドロップ品の買取のことを訊ねたら、そのままイェシカに買取カウンターへと連れていかれ。
査定後、買取代金を受け取る際に両手をがっしりと握られながら「明日、お待ちしてますから」と、何か含むような笑顔で念を押され、逃げるようにギルドをあとにした乃詠たちは、パウラにおすすめされた宿屋『青の小鳥亭』へと訪れていた。
水色の壁に赤茶の屋根をした素朴な建物で、外観を見るかぎりでは清潔感がある。
通り沿いに設けられた小さな花壇には、色とりどりの愛らしい花が咲いていて、雰囲気もいい感じだ。
扉を開けて中に入ると、ドアベルの音を聞いた宿の従業員が出てくる。
「いらっしゃいませっ!」
ぱたぱたと駆け寄ってきて正面で立ち止まったのは、とても可愛らしい十歳くらいの少女だった。
卵のようなつるつるのほっぺはバラ色に色付き、これでもかと輝いたくりくりのお目目が乃詠を見上げる。
「わぁっ……! おねーちゃん、すっごくきれいだね!」
「私?」
乃詠が自分を指さして首をかしげれば、少女は元気いっぱいの笑顔でぶんぶんと何度もうなずいた。
それを見て、乃詠の顔がほわりとほころぶ。少女に向けられた眼差しは慈愛にあふれていて、聖女というより聖母のようだ。
少女と目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ乃詠は、そのわたあめみたいにふわふわの頭を優しくなでる。
「ふふ、ありがとう。その歳で社交辞令を言えるなんて、しっかりしてるわね。将来が楽しみだわ」
少女はきょとんとして首をかしげる。
「しゃこーじれい?」
「相手に好意的に思ってもらうために、表面を取り繕って言う言葉のことよ。本当は心にも思っていないことでも、普通は褒められて悪い気はしないから。人付き合いを円滑にするための一種のスキルと言ってもいいわね」
「え、ちがうよ。わたし、本当におねーちゃんがきれいだなって思って」
「えぇ、わかってるわ」
「……たぶんわかってないよね、おねーちゃん」
少女がジト目になった。けれども、今度は乃詠のほうがきょとんとして首をかしげるのだ。
「おいガキ。こいつにその手の理解を求めても無駄だぞ」
「……ん。ノエの無自覚は、かたくな」
「むしろ自覚していて言っているようにも思えやすが、姐さんの場合はほんとに自覚してねぇだけなんだよなぁ」
「……自覚との断絶さえ感じるレベル」
「結論、処置なしだ」
「あー……そうなんだ。うん、わかった。諦めるね」
「なんかみんなだけで通じ合ってる……もしかして私、ディスられてる?」
『気にしなくていいですよ。ノエ様はどうぞそのままで』
『そこはかとなく投げやりに聞こえるのだけど、気のせいかしら?』
『気のせいです』
言葉どおり理解してもらうのをすぱりと諦めた賢明な少女は、くるりと奥へ向かって声を上げる。
「お姉ちゃーん! 宿のお客さん! すっごくきれいなおねーちゃんと、すっごくかっこいいおにーちゃんたち!」
するとその声を聞き届けたらしく、奥から、やけに前髪の長い女性がバタバタと慌ただしく走ってくる。
見た感じ、けっこう歳の離れた姉妹のようだが、揺れる前髪の隙間からチラチラと覗く瞳は少女のそれと同じ色で、形も似ている。髪色は違うが、父親と母親で遺伝が分かれたのだろう。
近くまでやってきた女性は、前髪ごしに乃詠と目が合うや――手で顔を隠し、ふらりとよろめく。
「ま、眩しいっ……! なんて眩しいの……!? これが圧倒的美形っ……! 圧倒的、陽っっ……!!」
乃詠が亜然としていると、次の瞬間にはその場で膝を折り、胸の前で手を合わせて拝み始めるのだ。
「……神よ」
「違うわよ」
思わず素でつっこんでしまうくらいには、なかなかにクセの強い従業員さんだった。
というか、この町に入ってから――いや、入る前からここまで、クセの強い人にしか会っていない気がする。
「ちょっとお姉ちゃん! ちゃんとしてよもう! お姉ちゃんみたいな陰のひとにまぶしいのはわかるけど、お客さん引いてるよ!?」
十歳近く離れているだろう妹に怒られる姉だった。
「あ、ごご、ごめんなさい! あ、あまりにも生きている世界が違う美形ぞろいだったものでっ……!」
と、そんな挙動不審な姉はヘルミーネ、そしてしっかり者な妹はノアナと名乗った。
「このお店は二人でやってるの?」
「んーん、お父さんもいるよ!」
「え、えっと、父は、食堂のほうを……わ、私たち二人で、宿のほうを回してるんです……!」
以前は母親が仕切っていたが、少し前に流行り病で亡くなったそうだ。
メインは宿の業務で、食堂が混む時間帯だけ手伝っているらしい。
「あ、すみません、余計な話を……しゅ、宿泊、でよかったですよね……?」
「はい」
わたわたと落ち着きのない、危なっかしい様子で、ヘルミーネがカウンターの下から台帳のようなものを取り出す。
「お、お部屋はどうしますか……? お、お風呂と夕食が込みで、一人部屋が3500オルカ、二人部屋が5500オルカ、三人部屋が7500オルカになりますが……」
このメンツで泊まるなら、乃詠が一人部屋、従魔たちで三人部屋が妥当だろう。
肉を売却したり、ドロップアイテムも少し換金して資金面は問題ないから、少し高くついてしまうが一人部屋を四つ取るでもいい。
「どうする?」
「どうするも何も、一人部屋でいいだろ」
「……ん」
「金ももったいねぇですしねぃ」
「そう」
どうやら、寝るときは『従魔空間』に入ってくれるようだ。
確かに、彼らには寝る場所があるのだから、わざわざ部屋を取る必要はない。
資金面に不安がないといっても、できるところは節約したほうがいいというのも事実だ。
「一人部屋を一つでお願いします」
「え、えぇっ……!? でで、でも、一人部屋に四人で寝るのは、ちょっとどころか、か、かなり厳しいと思うんですけどっ……!? その、ベベ、ベッドは、ひひひ一つしかありませんしっ……!?」
何かよからぬ想像をしたのだろう、ヘルミーネは真っ赤な顔を両手で覆っていやいやしている。
そんな想像をされているなんてつゆほども思っていない乃詠は、そんな彼女の態度に不思議そうな顔をしつつ、真相を告げる。
「実は、この三人は従魔なんですよ」
「「えぇ!?」」
姉妹はたいそう驚いた様子ではあったものの、門での兵士たちのように警戒したり怖がったりすることはなかった。
好奇心旺盛なのか、ノアナは興味津々に目を輝かせているし、ヘルミーネは、むしろ従魔だと聞いてほっとしたように息を吐いている。そこには若干の残念さも含まれているようだった。
差し出された台帳に名前を書き、部屋の鍵を受け取る。
「ノアナ、任せていい……?」
「うん! おねーちゃんたち、こっちだよ!」
ノアナに案内されたのは、六畳ほどの部屋だった。
ベッドと机と椅子が置かれただけの簡素な部屋だが、丁寧に掃除がなされていて綺麗だし、あまり広くても落ち着かないので、これくらいがちょうどいい。
過ごすのは一晩だけだが、居心地がよさそうでよかった。
そうして宿を取ったあとは、約束どおり再び飲食街へと繰り出した。
せっかくなので夕食は宿の食堂で取るつもりだが、決められた夕食の時間まではまだ少しあるし、乃詠も含めて一回の食事量が多いので、多少夕飯前に食べても支障はない。
それに、いま食べずとも〈アイテムボックス〉に入れておけばいいのだ。
あらためてゆっくり見てみれば、元の世界ほど多彩ではなくとも、食文化はそれなりに発展しているようだった。
ざっと見た感じ、煮たり焼いたりが主流のようだ。
種類は多くないが、甘味を売る店や屋台も見受けられた。
魔物ドロップがかなりの額で売却できたおかげで、懐はとても潤っている。
目立たないようにと低ランクの魔物のものを、されど加減を間違えてけっこう大量に出して、結局少しばかり目立ってしまったりしたけれど。
我慢させていたこともあり、コウガとファル、そして『従魔空間』から乃詠の視界を通して同じものを見ている従魔たちの興味が向くままに、あっちへこっちへ屋台をはしごし、料理を購入していく。
「次はあれだ」
「……次はあっち」
「オレのが先だ」
「……おれのが先」
「あーもう、どっちも買ってあげるから喧嘩しないの」
『お姉さま、あっちのが気になります』
「どれかしら、ベガ?」
「おい」
「……ノエ」
コウガとファルに非難の目を向けられつつ、ベガを優先する乃詠だった。
そして嬉しいことに、どの店でも「大量に購入してくれたから」と言って、こぞって気前よくサービスしてくれるのだ。……特に男性店主のところでは。
軽く貢がれているなんて露知らず、笑顔でお礼を言い、手を振って店をあとにする乃詠。天然悪女である。まぁ、デレデレしている店主たちが幸せそうだからいいのだろう。
また平行して、食材などもいろいろ買っていく。
乃詠たちは明日にはこの町を出るわけだが、その後が野営になることも想定しての備えだった。
店頭に並んでいるのは、見た目は元の世界と同じ野菜や果物だ。
一つ買ってその場で齧ってみたが、味にも大した違いはない。
召喚特典らしく、この世界の言葉は自動的に翻訳されるのだが、少なくとも翻訳されている限りでは名称も同じだった。