2章18 万能聖女、城塞都市に入る8
「ちょっと何やってるのよ!?」
その惨状を目の当たりにし、事態の本質はわからずとも、惨状の原因がコウガとファルにあることはさすがに理解した乃詠は、二人を下がらせたあとで青年の肩を掴み、揺さぶり起こさんとする。
だが、首がガクガクと揺れるだけで、青年から反応は返ってこない。
なればと何度かほっぺたを叩いてみても、やはり青年は白目を剥いて失神したままだ。
焦りに焦り、慌てふためく乃詠は、ひたすら青年の頬を叩き続けた。……それが青年の覚醒の妨げになっている自覚もなしに。
「……あの、姐さん。もう少し手加減してやってくだせぇ」
青年の行為は、乃詠を崇敬しているリオンにとっても許すまじきもの。けれどもさすがに憐れになってきて制止をかけたのだが……乃詠はその意味を解さず、こてんと首を傾げるのだ。
「それ以上やったら、男前が上がっちまいまさぁ」
それは青年への皮肉だが、乃詠はそこで初めて気づいた――青年のほっぺが、おたふくみたいに腫れ上がっていることに。
軽く叩いたつもりだったのが、けっこうな力だったらしい。
(やっちゃった……今のステータスだと、やっぱり力加減が難しいわね)
――スキル〈手加減Lv5〉を獲得しました。
(もっと早くに欲しかったわ、称号さん)
しゅんと項垂れるような感覚――はともかく。
頬の腫れは、すぐさま偽装した〈聖治癒〉で治したが、しかし青年の意識はまだ戻らない。
青年もそうだが、周囲の冒険者たちのこともある。
彼らの意識を奪ったのは己の従魔たち。なればこそ、主人である自分がなんとかしなければならないと、乃詠は思考をフル回転させ――
そして閃いた。
◇◇◇
受付カウンターの一つを担当する受付嬢、パウラ・エッカルトは、依頼完了の手続きを終えて去っていく冒険者を見送って、列がさばけたことを見て取り、ふぅと一息ついた。
(この時間は、ほんと地獄みたいだよねぇ……)
領都デルクリューゲンで活動する冒険者はけっこういて、大抵の冒険者が朝も早い時間にギルドへきて依頼を受領し、日が落ちる前に戻ってくる。なので、朝晩のその時間帯は多くの冒険者でごったがえすのだ。
ようやく対応のピークは越えたが、フロアは冒険者でにぎわっている。
それは主に、ギルドに併設された酒場兼食事処で打ち上げなどを行っている者たちのものだ。
依頼や狩りを終え、報酬を手にそのままそちらへ流れていく者は多い。
(……ん? なんか、騒がしい?)
フロアの一角がざわついている。よくよく見れば、周囲の冒険者たちがそちらへ注目しているようだ。
列がさばけ、フロアの様子を見渡せるようになったから気づいた。
(トラブルかなぁ……)
げんなりするパウラ。冒険者同士のトラブルなど、特に珍しくもない。
本来であれば、ギルド内でも外でも冒険者同士のもめごとはご法度なのだが、荒っぽくて血の気の多い人間が過半数を占める稼業とあって、やはり完全になくすことはできないのだ。
ギルド内でのトラブルに関しては、あまりにひどいようなら、腕にも自信のある男性職員が仲裁に入る。話し合いで収まらなければ、武力で決着をつけさせることもある。もちろん殺しはなしだ。
といっても基本、暴力が振るわれたり、武器が抜かれない限りは、職員が介入することはない。
受付カウンターからだとやや距離があり、そのあいだに冒険者たちがいてよく見えない。
うんざりしつつも、何か起こっているのなら、職員として早急に把握しておく必要がある。まぁ、野次馬根性も多少はあるのだが。
人垣の隙間から、茶色の髪と金ぴかの鎧が見えた――瞬間、パウラはさらにげんなりした。
(あの人は、また……)
Dランク冒険者、クリストハルト・ローヴェル。元貴族の四男坊であり、冒険者ギルドから、そして彼を知る一部の冒険者たちから、ちょっとした問題児として知られている人物だ。
貴族は後継問題があるので、たくさん子供をつくる家が多い。だが、最終的に家を継ぐのは一人だけ。予備である次男、そのさらに予備である三男あたりが特に問題なければ、それ以降に生まれた子供は、十五歳の成人を迎えると同時に家から出されることもしばしば。
そうして家を出たあと、冒険者になる者もけっこういる。しかし、十五年を貴族として過ごしたがゆえにその価値観が抜けず、平民を見下し傲慢な態度を取る者もいて、だから貴族出の冒険者によるトラブルは枚挙にいとまがない。
だが、クリストハルトに関しては、違う。
彼は決して悪い人間ではない。貴族出特有の傲慢さもない。けれど、別の傲慢さのようなものはあった。
容姿に恵まれやすい貴族の例にもれず、非常に見目の整った彼は相当なナルシストで、相当に思い込みの激しいきらいがあるのだ。
そんな彼が起こしたのは――女性トラブル。
過去に何度か、その思い込みで女性冒険者をパーティーメンバーとして勧誘、もとい口説き、それがまたしつこく、またすでにパーティーに所属している女性だったりとで、そこそこ大きな問題に発展しているのだった。
紳士だがナルシスト。貴族特有の詩的な言い回しに、過剰な思い込みで相手の話を聞かない――いくら品があってイケメンでも、特に冒険者の女性が彼の誘いに乗ることはなく。いまだ寂しいソロ。
だから今も、おそらくは彼のお眼鏡にかなった麗しき女性冒険者が、パーティー勧誘という名のナンパにあっているのだろう。
ため息を吐きながら、頭が痛いとばかりに額に手を当てるパウラ。
そのときだ――ゾクリ、と。言い知れぬ寒気に背筋を震わせる。
(な、なに、今の……殺気?)
パウラは戦えないが、日ごろから命をかけて戦っている冒険者の相手をしているから、そういった感覚は身についている。
やや距離のある受付カウンターまで伝わってくる殺気が放たれた――想像していたよりも、状況は悪いのかもしれない。
直後にバタバタと人が倒れる音を聞いて、余計にそう思ったパウラは、フロア内を見回し、仲裁できる男性職員の姿を探す――のだが。
「――これなら、気付になるかも!」
フロアが静まり返っているからこそ、その声がパウラの耳にまで届く。
鈴の鳴る音よりも美しい、例えるなら天使の歌声のようだった。
状況も忘れ、思わずと聞き惚れてしまうほどのそれ――けれど、すぐにそれが天使の歌声などではなく、地獄へと突き落とす悪魔の声だったと悟るのだ。
「っっ―――!?!?!?」
もわりと、とんでもない刺激臭がフロア全体に拡散する。
冒険者たちが鼻を押さえ、パウラもまた鼻をふさぐ。発生源の近くにいた者たちは、床を転がって悶絶しているようだった。――それほどの強烈さ。
(これは、ラフレシアンアクトの『臭袋』……!?)
なんてものを気付にするのだと、パウラは涙目で、諸悪の根源なのだろう女性へと恨み言をこぼす。
『ラフレシアンアクト』――頭にラフレシアを咲かせている、ナマケモノに似たDランクの魔物だ。
頭部のラフレシアから放たれる臭いは、刺激を伴う強烈な異臭。それは大抵の魔物や魔獣にとって忌避するものゆえ、敵が寄り付かない。
ラフレシアンアクトは動きが鈍重で攻撃力も低い。ラフレシアから刺激臭を放つのは、自分の身を守るための特性なのだった。
そのドロップアイテムである『臭袋』は、獣や魔獣、魔物除けにほぼ絶対の効果を発揮する。
が、当然ながら人のほうにも効果はあるため、特殊な袋に入っているおかげで獣が感じるより多少臭気が弱くとも、設置中は耐える必要があった。
ちなみに、言うまでもなくラフレシアンアクト自身には効かないが、彼らはとても怠惰な性質ゆえ、住処とする木からは動かず、人が近くに来ても敵対することはない。
その女性はたぶん『臭袋』から中身を取り出して使っている。
でなければ、さすがにここまで強力な臭気が、カウンターまで伝わってくることはないだろう。
「「「「「――ひぎゃあぁぁぁぁああっ!?」」」」」
いくつもの悲鳴がギルド内へ響き渡る。
気付は存分に効果を発揮し、クリストハルトも、周囲で気絶していた冒険者たちもみんな、一斉に目を覚ました。