2章16 万能聖女、城塞都市に入る6
「これは、サンドイッチという料理です。こうしてパンに挟むことで、主食とおかずが一緒に食べられるというのもそうですが、何かをしながら片手間にさっと食べられるのも、サンドイッチのいいところですね」
「食器はいらず、パンなら手もあまり汚れないしねぇ。それでも気になるなら、紙か何かに包めばいいだけさね」
「確かに、片手間で食べれるってのはいいな。本当に忙しいときとかは、どうしても食事がおろそかになりがちだ。これなら、歩きながらでも食える」
「――あ。せっかく肉屋とパン屋で並んでいるんですから、いっそ共同でサンドイッチの屋台でもやったらどうでしょう?」
「「採用」」
声をそろえて即断即決。ノリノリな店主二人によって、肉屋とパン屋共同でのサンドイッチ屋台の出店が決定したのだった。
(美味しいものが広まるのはいいことよね)
乃詠は自分で料理を作るのも好きだが、その土地の料理を食べ歩くのも好きだ。
経営に関する口出しはできないが、提案ついでに元の世界で代表的なものや、今しがたかけたソースについても聞かれたので作り方を教える。
そのソースの材料は元『邪毒竜の森』で採集したものなので、調達も問題ないだろう。
「組み合わせによっては相性もありますけど、いろいろと試してみるのも面白いと思いますよ」
元の世界にあるサンドイッチのレパートリーをあらかた伝え、乃詠は最後にそう締めくくる。
メモを取りながら熱心に聞いていた双方の店主――肉屋のほうはデレック・ゲゼル、パン屋のほうはトリシャ・ヴレーデ――が口々に感謝の言葉を告げる。
その際、アイデア料として売り上げの一部を、と言われたが、乃詠はそれを丁重に断った。
なにせ、考えたのは乃詠ではないのだ。それなのにアイデア料なんてもらってしまったら、実際にサンドイッチを考案した人に悪いどころの話ではない。
「それじゃあ、あたしらの気がおさまらなさね」
「そうだ。この屋台は絶対に成功する。その利益を俺たちだけが得るわけにはいかねぇよ」
「ううん……あ。でしたら、またお二人の店で買い物するときに、少しサービスしてもらうというのはどうでしょう?」
「……まぁ、そうさね。ノエちゃんがそれがいいって言うなら」
「だな。こういうのは無理に押し付けるもんでもねぇし。従魔たちの分もいっぱいサービスするから、また来てくれよな!」
「もちろんです」
――その後、サンドイッチは手軽に食べられる軽食として爆発的にヒットする。
挟む具材の組み合わせに際限はなく、シンプルなようで奥が深い料理として、研究に熱意を燃やす者が続々と現れ、いろいろなサンドイッチが生まれることになるのだが、その最先端をいくのが元祖、デレックとトリシャの屋台である。
二人の屋台は連日多くの客が押し寄せ、二号店、三号店と都内のいたるところに新規で屋台を出店。
さらには決まったメニューから選ぶのではなく、某有名ファストチェーンのごとくその場で客が自由に具材を選べる形式での販売も始め、彼らのサンドイッチ屋台は根強い人気を博することになる。
乃詠は元『邪毒竜の森』から出て早々、最初に立ち寄った町で一つの大きな流行を生み出してしまったのだった。
「姐さん、極力目立たず騒がずひっそりと、では?」
「…………こ、これから頑張るわ!」
「そうですかぃ」
リオンの目は、とても生温かかった。
◇◇◇
「……おい、ノエ」
「何かしら、コウガくん?」
絞り出すような呼びかけに、軽やかな調子で応じる。
「……オレはクソ蜥蜴と違ってガキじゃねーんだ、放せ」
「なに言ってるの? 放さないわよ?」
デレックとトリシャのもとを辞した乃詠は今、右手でファルの手を、左手でコウガの手を掴んで、大通りへと向かって歩いていた。
顔をしかめて身じろぐコウガだが、乃詠はそれをにこりと黙殺。笑顔なのに、目はまったく笑ってはいなかった。
指先にさらに込められた力が、絶対に逃がさないと物理で語る。
「だいたい、どの口がそれを言うのかしらね? ちっちゃい子供みたいに勝手に離れて、お金がないにもかかわらず後払いでお肉を食べたのに?」
「…………」
「しかもそれに懲りず、屋台の匂いにつられては、あっちへふらふらこっちへふらふらしておきながら?」
「…………」
ぐぅの音も出ないコウガである。
ここは飲食街。食材を売る店もあれば、料理を出す店や屋台もたくさん並んでいる。
あちこちから漂ってくる匂いに誘われ、コウガは、そしてファルも、乃詠から離れて思い思いの屋台へ行こうとするのだ。
彼らの外見は人のものだが、魔物であり乃詠の従魔。単独で街中をうろうろさせるわけにはいかない。
それで問題でも起こされたら、一応目標としている〝極力目立たず騒がずひっそりと送る自由気ままな異世界ライフ〟が遠ざかってしまう。
なので、こうして手を握って歩いているのだった。
いつもは、戦闘のとき以外は乃詠の腕に引っ付いているファルまで離れていこうとしたのは少し意外だったけれど……まぁ、乃詠とて気持ちはわかるのだ。
二人はよく食べる。けれども、サバイバル中は食材も限られ、コウガはおそらく云十年ぶり、ファルに至っては人の料理は初めてなのだから。
乃詠としても思う存分、屋台めぐりをさせてやりたいところだが、最優先事項は冒険者ギルドへ行くこと。すぐに従魔登録をすることを条件に一時許可証を発行してもらったのだ。
それに時間も時間。ギルドでの登録のあとは宿を確保しなければならない。そうしたもろもろが済んで初めて、ゆっくりと散策を楽しめるというものだろう。
ちなみに、コウガがしきりと抵抗し続けているのに対し、ファルは手を握った途端に大人しくなり、借りてきた猫のごとく手を引かれるまま歩いている。
(相手からやられるのと自分からやるのとじゃ、ちげぇってことかねぃ)
と、彼女たちの後ろをついて歩きながら、冷静に分析する他人事のリオン。
要するに、乃詠のほうから、しかも直に手を握られたファルは、それに照れているということだ。
(とりあえず、あっしはどっちもダメそうでぃ)
心臓がいくつあっても足りない気がする。
「だから、悪かったって言ったろ。もう勝手に離れたりしねーから」
「本当に? 約束できる?」
「あぁ」
「本当に、本当?」
「しつけぇ!! 約束するって言ってんだろ!!」
「逆ギレしないでよ。――まぁ、いいわ。信じてあげる。子ども扱いされて恥ずかしがっているなんて可愛らしい姿も見られたことだし、最初にやらかしたことも水に流してあげるわ」
ちょっぴり意地悪な表情で笑う乃詠に、コウガは思いっきり顔をしかめた。
「おまえ、いろんな意味で悪趣味すぎだろ。なんでおまえみたいな奴が聖女なんだよ。女神の奴、人選間違ってんじゃねーの」
「後半は私も同意するわ」
などと言いながら、乃詠はコウガの手を放す――が、指先が離れた直後、なぜか今度はコウガのほうから乃詠の手を握るのだ。
「コウガ?」
目を瞬かせながら、コウガを見上げる。だが彼の視線はまっすぐ前を見て、かたくなに乃詠のほうを見ない。
「……ま、考えてみりゃ、ここは人が多いしな。おまえが迷子になっても面倒だ」
(コウガの兄貴、いざ姐さんの手が離れたら、惜しくなっちまんたんだなぁ。……というか『従魔空間』のほうが大変なことになってそうでぃ。あとでギウスを労ってやんねぇと)
言わずもがな、乃詠に暴言を吐いたコウガへの怒りと、乃詠の手を握って町を歩けるコウガへの嫉妬で荒れているだろうベガのことだ。
そういうとき、たいてい宥めるのはギウスの役目なのだった。
武装時のヒャッハーは、もしかしたら苦労人気質の反動なのかもしれない。
「はぁ? なに言ってるのよ。迷子になったのもその可能性があるのも、コウガのほうでしょう?」
乃詠は眉を寄せるが、コウガは無言でずんずん歩いていく。
さっきとは逆に引っ張られるかたちで、そのたくましい背中を、しばし睨むように見やった。
けれど、
(……ま、いっか)
納得はいかないし、彼が何を考えているかわからないけれど、あらためて感じる人肌の温もりは、ひどく心地よい。左も、そして右も。
心もほこりと温かくなり、乃詠の口元は自然とほころんでいた。
そんな三人の姿を、リオンもまた温かな眼差しで見守っている。
「リオン。あなたは大丈夫だと思うけど、はぐれないように気を付けてね」
「へぃ」
リオンとて乃詠を慕っているし、二人をうらやむ気持ちがないでもない。
けれども、リオンが乃詠に抱いているのは――崇拝にも近い憧れ。例えるなら女王と臣下のそれだ。
もとより今の自分は魔物。彼女とどうこうなれるわけもなく、またなりたいとも思っていない。
自分はただ従魔として死ぬまで主人の傍にいて、必要はないかもしれないが、何かあったときは己の身を盾にしてでも守る――ただ、それだけだから。
とはいえ、とリオンは苦笑をこぼす。
(外から客観的に見ても、兄貴らの心情的にも、美女が美男を侍らせてるようにしか見えねぇはずなんだが……内情を知ってっと、弟の手を引く姉、もしくは母と子にしか見えねぇんだから、面白れぇというか、切ねぇというか)
けれども、思うのだ。乃詠がそういった人物で、そういった距離感だからこそ、ここはこんなにも居心地がいいのだろう――と。