2章14 万能聖女、城塞都市に入る4
(城塞都市というから、無骨なイメージがあったけれど――)
いざ中へと入ってみれば、その印象は見事に覆される。
明るい色合いの建物が並ぶ、とても華やかな街並みだ。都市の名称からしてドイツ風だが、どことなく元の世界のローテンブルクを思わせる。
そして何より、行き交う人々が実にファンタジーだった。
イザークと同じエルフらしき者。ソアラと同じ獣人種は、兎人だけでなく犬人や猫人などさまざま。
それ以外にも、人間とは明らかに異なる特徴を持った者たちが行き交う。
色彩も鮮やかで、全体的に活気もあり、とても賑やかないい町だ。
「……これが、人の町……」
きょろきょろと周囲を見回して、どこか感慨深そうにファルが呟く。
「そっか、ファルは生粋の魔物だものね」
とはいえ、彼は〈人化〉のスキルを生まれ持っていた。
竜はこの世界で最上位の魔物――人の中でも生きられることを前提とした種族なのかもしれない。
だが、彼は生まれて間もなく母を失い、すぐに人に捕まって、ずっと研究施設に閉じ込められていた。
外の世界へ出たのは、暴走したあとのこと。そのときに人の町へ足を踏み入れはしただろうが、それは厄災の因子に侵された状態での蹂躙で……
しかし、ちらと盗み見たファルの横顔に、過去のことに起因するマイナス感情は見受けられない。純粋に、興味津々といった様子で街並みを見ていた。
心なし、眠たげな瞳もきらきらしているように見える。
そのことに安堵し、同時にほっこりしつつ、そういえば――と。
「コウガは確か、人の町で過ごした記憶が――って、あれ? コウガ?」
さっきまで左を歩いていたはずのコウガの姿がない。辺りを見回すも、どこにも見当たらなかった。
あの目立つ容姿と高身長は、そうそう人混みに埋没したりはしないだろう。
「え、まさかちょっと目を離した隙に迷子になったの? 噓でしょう? ちっちゃい子供じゃあるまいに……リオン、彼がどこに行ったか見てない?」
「……すいやせん。町の様子に夢中になってて、そっちにはまったく気を払っていやせんでした」
リオンは申し訳なさそうにしているが、当然だろう。
前世も含めれば、乃詠よりよっぽど長く生きているコウガが、まさか子供みたいにひとりでどこかに行ってしまうなんて思わない。
『ナビィ?』
『申し訳ありません。ワタクシもひさ――』
『ひさ?』
『いえ。初めての人の町にすっかり浮かれてしまって』
『疑似人格が浮かれるの? あなたってやっぱり――』
『マップを表示しますね』
遮られてしまった。けれども、今はそれを追及している場合ではない。
〈マップ〉に表示されたコウガの位置情報を見れば、そこまで遠くに行ったわけではないようだ。
大通りから入った通りの少し先で止まっている。
乃詠たちは急ぎ来た道を戻り、横道に入る――そこは、大通り以上の活気と喧騒に満ちあふれていた。
市場、もしくは飲食街のような場所だ。食材を取り扱う店から、料理の店や屋台がずらりと並び、宣伝や客引きの声、値引き交渉の声などが盛んに響いている。
いたるところからいい匂いが漂ってきて、途端に空腹を覚え始めた。
この町の台所といったところだろうか。
「――遅かったじゃねぇか、ノエ。何やってたんだよ。早く金払ってくれ」
とある屋台の前で、コウガはもぐもぐと口を動かしながら、のんきに手を上げて言った。
その反対の手には、蛙の足っぽいものが刺さった串が握られている。
「嘘でしょ……」
サッと乃詠の顔が青ざめる。
払ってくれも何も、払える金がまだないのだ。
「何やってたんだはこっちのセリフよ、このバカコウガ!! なに勝手なことしてくれてるの!? 私、言ったわよね!? お金ないって!! 門でのやり取りも見てたはずよね!?」
胸倉を掴んでガクガクと揺さぶるが、コウガはまったく意に介した様子もなく、あっけらかんと言うのだ。
「こんないい匂いさせてたら食うしかねーだろ」
「食うしかなくないわよ……」
事の重大さをまったく認識していない、あるいは意識していないらしいコウガに呆れ果て、へなへなと力が抜ける。そして、あらためて頭を抱えるのだ。
魔物だから知らなかった、では通らない。だって、彼には人だったころの記憶が多少なりともあって、先の発言から、対価にお金が必要だということをちゃんと理解しているのだから。
「……やっぱりおまえ、バカ鬼」
ファルが冷めた目でコウガを見る。
そんな乃詠たちの不穏な会話を聞き取って、店主が眉を上げた。
「おい嬢ちゃん、金がないってどういうことだ? あんたが払ってくれ――」
店主の言葉がとても不自然に止まる。彼は振り向いた乃詠を見て、ぽーっと惚けていた。顔がほんのり赤い。
まぁ、例のごとく見惚れたのだ。それに気づく余裕もなく――余裕があっても気づかないだろうが――乃詠は店主に向かってがばりと頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした!」
そこで店主ははっと我に返り、眉を寄せる。
「……いや、いくら謝られたところでな。こっちも商売なんだ。払うもん払ってもらえなきゃ、最悪は衛兵を呼ぶことになる」
さっきの今で衛兵さんのお世話になるのは勘弁願いたい。
「現金の持ち合わせはないですが、魔物のドロップアイテムがあります。魔石などでの支払いはできないでしょうか……?」
本人の意図したことではないが、あたかも縋るような上目づかいで見られ、店主は息を呑む。
ややあって――ようやく呼吸を思い出したとばかり、はぁと息を吐き出すと、視線を明後日のほうへとやりながら頭をかいた。
「……普段は、物々交換なんて受け付けてねぇんだけどな。ま、そこの兄ちゃんがもう食っちまったあとだし、あんたたちは見ねぇ顔だ。換金してくるのを待ってられるほどの信用もない。だから、今回は特別だ」
「ありがとうございます!!」
ぱっと輝く笑顔でお礼を言う乃詠に、店主はだらしなく頬を緩めるが――ふと視線を感じて肩を揺らす。
ファルが、被ったフードの下からじっと店主を見ていた。
半分隠れた瞳は眠たげで、特に睨んでいるといったわけでもないのに、何やら妙な圧を感じる。
その瞳の奥には、得体のしれない闇がわだかまっていて――そこでさらに、背後から似たような視線を感じた店主は、ぶるりと身を震わせた。
ちらりと斜め後ろを見やれば、一人の女性――店主の嫁が、にこにこ笑顔で立っている。
だがそれは、決して純粋な笑顔ではなく。彼女の背後に、ずもももも……とうごめく黒々とした闇を幻視して、さっと視線を外した。
ごほんえほん、とわざとらしいにもほどがある咳払いをした店主は、完全に魅了から解放された顔であらためて乃詠と向き合い、ふむと顎に手を当てる。
「魔物のドロップってことは、嬢ちゃんたちは冒険者なんだよな?」
「今はまだ違いますけど、そうなる予定です」
「肉はないか?」
「ありますよ」
ダンジョンボスのもとへ行く道中でも外に出る道中でも、数えるのがバカバカしくなるほどの魔物を倒していて、肉のドロップも大量に〈アイテムボックス〉の中にある。
「なら、その肉を売ってくれ。兄ちゃんの食った分は、売却金から差し引くかたちでよ」
彼は屋台の店主でもあるが、本来は肉屋の店主だという。
あらためて見てみれば、確かに屋台のすぐそばに店舗があって、店先にいろんな肉が並べられている。
串焼きの屋台は、客引きと宣伝を兼ねているそうだ。
店舗のほうは主に彼の嫁と息子が回しているらしい。
乃詠は〈アイテムボックス〉からドロップ肉を取り出し、葉っぱの包みを開いて店主へと差し出した。
もちろん、すでに浄化済みのものだ。
「これでどうでしょうか」
「こいつぁジェノサイドベアの肉じゃねぇか! C+ランクの中でもジェノサイドベアはかなり狂暴だって話で、めったに手に入らねぇのに」
(まぁ、汚染されてたやつだけど)
とはいえ、なんかやっちゃった感。
等級も高く、美味であることは知っていても一般的な価値など知らないし、何より一番たくさんあるのがジェノサイドベアの肉なのだ。なぜか。
「はぁー。嬢ちゃん、見かけによらず強ぇんだな……いや、強いのは兄ちゃんたちか? 確かに、赤髪の兄ちゃんは見るからに強そうだ」
「あぁ? ざけんな。こん中で一番強ぇのはノふぇっ」
余計なことを言うコウガの口を、乃詠が神速で塞ぐ。
こういうところ、彼はストイックなのだ。感心はするが、世の中には言わなくていいこともたくさんある。
「ジェノサイドベアの肉塊一つ、25万オルカだ。兄ちゃんが食べた分――200オルカを差し引いた金額になってる。確認してくれ」
店主に肉を渡し、代わりに金貨二枚と大銀貨五枚を受け取った。
通貨単位と貨幣は、一部の地域や国を除いて全世界共通らしい。
1オルカが鉄貨、10オルカが銅貨、100オルカが大銅貨、1000オルカが銀貨、1万オルカが大銀貨、10万オルカが金貨、100万オルカが大金貨、1000万オルカが白金貨となっている。