1章10 万能聖女、辻ヒールする7
(……なんてことだ)
状況的に仕方がなかったとはいえ、ヴィンスは己の失態を悔やむ。
窮地を救ってくれた命の恩人に、礼の一つも言えていない。
声をかけずに立ち去ったということは、おそらく恩着せがましくなるのを厭ったのだろう。自分たちを救ってくれたその御仁は、相当、慎ましく奥ゆかしい人物のようだ。
(しかし……短時間で全身の『石化』を解除してのける『ディスペル』に、上位の結界術『マルチバリア』、上位の治癒術『ハイヒール』まで使いこなす〈白魔法〉だけでなく、ブラックバジリスクを一撃で倒してしまえるほどの〈水魔法〉スキルの使い手、か……)
相当な手練れだ。そも、基本的に〈白魔法〉に特化した神官職でありながらB+ランクの魔物を倒せるほどの攻撃力を持つ者など、少なくともヴィンスはお目にかかったことがない――とそこまで考えたとき、ヴィンスの脳天に電撃が走った。
(もしかして、攻略者か?)
十分にありえる話だった。タイミング的に見ても、実力的に見ても。
ブラックバジリスクをほぼ一撃で倒してしまうほどの実力者が、この瘴気の消えたタイミングで、このダンジョンに――しかも、現代での最前線とされる中層にいるなど、むしろそれ以外に考えられなかった。
(それなら、礼をする機会もあるか)
仮に恩人が攻略者でなくとも、いずれ何としてでも探し出してみせる。
(そのためにも――)
今はただ、生きて戻らなくてはならない。
◇◇◇
「――ふぅ。まさか、リアルで辻ヒールする日が来るなんて思わなかったわ。ちょっとは聖女らしい仕事ができたかしら」
ナビィの見つけた、大ピンチな騎士の一団を救った乃詠は、清々しい達成感のようなものを感じながら額の汗を拭う。
まぁ、実際に汗などかいていないので、ただの振りだが。
あと、ヒール以外にもいろいろしているのだが。
「……ノエ。言ってることと、やってること、違うんだけど」
「聖女だってこと隠してぇって言ってたわりに、全力で聖女やってんじゃねーか。バレても知らねーぞ」
ファルとコウガ、二人から呆れた眼差しを頂戴し、乃詠は一瞬、喉を詰まらせながらも、
「だって、見つけちゃったら見て見ぬふりなんてできないじゃない」
開き直って胸を張るのだった。
「……お人好し」
「でさぁ」
「まぁ姐さんらしいんじゃないっスか?」
「そんなお姉さまも素敵です!」
彼らと乃詠の価値観は違うらしい。
「……まぁ、大丈夫でしょう。スキルの色はちゃんと偽装してるし、彼らの姿が見えていたのはこちらだけ。距離もそうだし、木々で視線が通らないから、万が一にも向こうから視認することは不可能だもの」
眼前に浮かぶ半透明のスクリーンには、ひとり最後まで残り、ブラックバジリスクと対峙していた騎士が、しきりに周囲を見回している――術者の存在を探しているのだ。
だが、彼が乃詠たちを見つけることは叶わない。
乃詠たちが見ているのはスクリーンに映し出されたリアルタイム映像。
彼らと乃詠たちのいる場所は、よほど視力のいい者であっても肉眼では捉えられないほどの距離があるのだから。
「にしても、ナビィ。あなた、さすがにチートがすぎないかしら」
『やってできてしまったのですから、不正でもズルでもないですよ』
「サブカル的には、そういうのをチートって言うのよ」
そう――今回もまた、我らがナビィさんがやらかしたのだ。
『やらかしなどと、その表現は非常に心外ですね。ワタクシはただ、ノエ様に何の不自由もなく快適に過ごしていただくために、己のできる限りのことをしているだけなのです』
「あなたの気持ちはとても嬉しいし、すごくありがたいのは確かなのよ。でも〝何の不自由もなく快適に過ごしていただくため〟の拡大解釈がすぎるというか、スケールがずれているというか、次元がおかしいというか……」
ナビィがまたも〈マップ〉スキルに干渉し、魔改造した結果――遠距離からピンポイントでスキルや魔法が発動できるようになったのだ。
具体的に言うと、〈マップ〉にて取得した映像をスクリーンへと映し出すことで乃詠が視認。連動させた〈気配感知〉にて正確な生体座標を補足。その間にあるはずの距離はさっくり無視して、指定した対象へスキルや魔法を行使できる――といった感じだ。
乃詠がチートがすぎると言いたくなるのも無理はない。
まぁ【万能聖女】がそれ以上のチート称号なので、乃詠が言うと〝おまいう〟になってしまうのだが。
とはいえ、遠距離発動といっても無制限ではなく。今回、騎士の一団とは一キロほど離れていたが、それくらいが限界だという話だ。それでも破格である。
「なんにせよ、助けられてよかったですね。見つけたときには、けっこうギリギリでしたし」
とギウスの言うとおり、タイミング的にギリギリだった。
ナビィがスクリーンに映し出してくれたときにはすでに、騎士たちの一部は石化し、他の者たちも意識不明の重体――そんな彼らは、『聖守石』による聖結界に守られていたらしく、ブラックバジリスクの攻撃も阻んでいたが、直後に結界が消えたのだ。
唯一意識を保っていた一人が、立っているのもやっとといった状態で、真正面から敵を受け止めようとしていた。
だからまず、乃詠は偽装を施した〈聖結界〉にて、ブラックバジリスクの噛みつきを止めた。そうして安全を確保したのち、先に敵の排除を行う。
ブラックバジリスクは爬虫類型の魔物で、魔物ではあるが蛇と似た性質を持つ。その一つが、極端な寒さに弱いこと。
魔法による低温にも弱いのだが――しかし、ブラックバジリスクは魔法に高い耐性を持っている。その中でも特に氷系の魔法が効くというだけとはいえ、それでも苦手属性であることに変わりはない。
思いきり低温の凍結をイメージしつつ、〈水魔法〉の『アイスエイジ』を発動。内部まで完全に氷漬けになったのを確認したあとで、同じく〈水魔法〉の『アイスゴーレム』にて腕だけを作り出し、殴り砕いた。
そうして敵を排除したあとは、一部の者たちの石化を〈浄化〉にて解き、全員に〈聖治癒〉をかけた。
ついでにと、普段は本職というべきベガがいるので使いどころのない〈白魔法〉の『クリーン』と『リペア』のサービス付き。
偽装も万全――完璧である。
「でも、ちともったいねぇ気もしやすがねぃ」
「何がもったいないの?」
「いえ――あの騎士連中はそろいの恰好をしてやしたし、おそらくはどこぞの領地持ち貴族に仕えてる騎士でさぁ。姐さんが名乗り出てりゃあ、それなりの礼がもらえたんじゃねぇかと思いやして」
そう言ったリオンを、がめついとは思わない。相応のことをしたのなら、礼を受け取る権利はあるのだから。けれど、
「偶然見つけて、偶然救える力を持っていたから助けただけだもの。それ以上でも以下でもないし、こっちに何か苦労とか、危険とかがあったわけでもない。わざわざリスクを冒してまで、名乗り出ようとは思わないわ」
「やっぱり、姐さんは根っからの聖女でさぁ」
細められたリオンのまなざしにあるのは、尊敬――いや、尊崇の色が見え隠れしていて、それだけは本気でやめてほしいと、乃詠は内心で唸る。
「あなたが思うようなものじゃないわよ。私だって人間だもの。仲間の命が懸かっていたり、相当な労力を注いだことなら、ちゃんと相応の対価を要求するわ」
「そこにご自分が勘定に入ってねぇっつぅ、そういうとこでさぁ」
「…………」
裏を返せば、自分だけなら命が懸かってようが大変な苦労をしようが、対価を要求するつもりはないということである。そして乃詠には、確かな前科もあるのだった。
リオンの眼差しにはどこか窘めるような色合いもにじんでいて、乃詠はつい目を逸らしてしまいながら、こほんとわざとらしく咳払い。
「と、ともかく。あの人たちはもう大丈夫だと思うから、私たちもそろそろ行きましょう。――ナビィ、ルートを少し修正してもらえる?」
『かしこまりました』
騎士の一団がいたのは〈マップ〉に表示された、町の近くに出るルートから少し離れたところだったのだ。
万が一にも姿を見られるのは避けたいので、多少遠回りになっても、大きく迂回するかたちで新たにルートを設定してもらった。
そうして再び一行は、魔物を倒しつつ森の外へ向かってひた歩く。
お読みいただきありがとうございます。
これで2部1章は終了、次回より2章『万能聖女、城塞都市に入る』です。
そしてすみません。そろそろ執筆のほうが追い付かなくなってきたので、明日以降は隔日更新になります。
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