1章8 万能聖女、辻ヒールする5
「――あの、ヴィンス副長」
「どうした」
騎士の一人に声をかけられる。彼は、どこか戸惑ったように言った。
「自分の見間違いかもしれないんですが……なんだか、瘴気が薄くなっているような気がして……」
言われて、ヴィンスも周囲に漂う瘴気へと意識を向ける――それで気づいた。
焦りと苛立ちで視野が狭くなっていたのだろう。冷静な目で観察してみれば、確かに、少し薄くなっている。中心部へと進んでいるのだから、むしろ濃くなっていくはずなのに。
よくよく思い返してみれば、『転移陣』のある場所よりも視界は明瞭だ。
そしてそれから一時間も経たず、森から一切の瘴気が消え失せた。
「隊長、これは、もしかして……」
「……あぁ。そのようだ」
このダンジョン内に満ちる瘴気は、封印されている災魔、邪毒竜ファフニールによって生成されたもの。それが消えたということは、すなわちその発生源がいなくなったということで――ダンジョンが攻略されたことを意味する。
(まさか、千年近く存在し続けたこのダンジョンが、このタイミングで他者に攻略されるとは……)
災魔が倒されたことは、喜ぶべきことだ。リシェルのことがなければ、素直に攻略者を賞賛し、感謝しただろう。
しかし、今のヴィンスたちの目的は攻略報酬の『神珠』を得ること。それを使ってリシェルを救うこと――その『神珠』が、他者の手に渡ってしまった。
その事実にヴィンスは絶望しそうになるも、寸前で踏みとどまる。
(まだ、希望は完全に潰えたわけではない)
その攻略者と交渉し、どうにか『神珠』を譲ってもらえさえすれば。仮に譲渡が不可だったとしても、リシェルを救うために使ってもらえれば――。
さりとて、可能性は限りなく低いだろう。金銭で売買できるような代物ではないのだ。そして攻略者が『神珠』を目当てにしていた場合、可能性はゼロになる。
それに、その攻略者を見つけること自体が不可能に近かった。
この森は広大で、入口は全周。自国が接しているのはごく一部であり、他は十数もの国と接している。攻略者たちがどちらへ進路を取るかも知れない。
(だが、不可能だろうと何だろうと――やるんだ)
すべては、愛するリシェルのために。
攻略者を見つけ出せず、発見できたとしても交渉が失敗したなら、次は別の封印と試練のダンジョンの攻略だ。
時間は待ってくれない。リシェルがいつまで保つのかわからない。考えてる暇も足を止めてる暇もない。一秒足りとも――無駄にはできない。
ヴィンスは腰のポーチから紙を三枚取り出し、素早く文章を書き込んでいく。
これはただの紙ではなく、連絡用のドロップアイテム『レターバード』――内容は要点だけをまとめた報告書、宛先はルーデンドルフ辺境伯だ。
遠方同士の緊急連絡にはとても重宝するアイテムなのだが、確実に届く保証があるわけでもないため、重要な内容のときは特に、最低でも三通は同じ内容のものを出すのが基本となっている。
そうして三枚とも、最後に己のサインを書き込めば――紙が淡く光り輝き、鳥の姿へと変わる。
軽く上に放ってやると、紙の鳥は翼を羽ばたかせ、枝葉の間を抜けていった。
「――ダンジョンは攻略された! これより、急ぎ帰還する!」
『はっ!!』
ヴィンスの号令とともに踵を返し、帰途につくダンジョン攻略部隊。
だがその道中――運のないことに、一行はクレイジーエイプと遭遇してしまう。
固体としてはCランク。単体であれば大した敵ではないが、奴らは特定のテリトリーを持ち、遭遇したのが一体であっても、獲物を見つけたとして、その個体が固有スキルでテリトリー内にいる仲間を――同族を呼ぶ。
それを防ぐためには、エンカウント即討伐がセオリーなのだが、押し殺しきれない焦燥が感覚を鈍らせたのだろう。対応がわずかに遅れ、その数瞬の遅れが敵に固有スキルを使わせる隙となってしまった。
「ちぃっ……!」
会敵したクレイジーエイプは切り捨てたが、その奇声じみた強烈な鳴き声は響き渡り――わずかもせず、複数の足音が大地を揺らす。
どうやら、知れず奴らのテリトリーの真ん中に踏み込んでいたらしい。
四方八方から押し寄せるクレイジーエイプの集団に、ヴィンスらはあえなく包囲されてしまった。
数は厄介だが、所詮はCランク。同族であっても仲間意識はないらしく、連携はしない。どころか、獲物を取り合って足を引っ張りあう始末。それがクレイジーエイプという魔物だ。
個々で思い思いに、かつ互いに妨害し合いながら攻撃してくる相手など、ヴィンスたち精強な騎士にとってはさしたる脅威ではなかった。
一体、また一体と、よどみのない連携でもって的確に倒していく。
そして残るはあと数体、というところで――突然、紫紺の閃光が迸り、それを浴びたクレイジーエイプが石像と化した。
異常事態に、さしものクレイジーエイプらも動揺をあらわにする。
そうしている間にも次々と石化していき、生き残っていたクレイジーエイプのすべてが動かぬ石像となってしまったのだった。
「ヴィ、ヴィンス副長……あれは、ブラックバジリスクです……!」
「次から次へと、立て続けに厄介な魔物を引き当てるとはっ……!」
Bランク魔物『ブラックバジリスク』――バジリスク系は目から石化光線を出すことで知られているが、ブラックバジリスクは、それに加えて〈黒魔法〉スキルを使ってくる。
強化回復支援に特化した〈白魔法〉と対極をなす〈黒魔法〉は、状態異常などの弱体化に特化した魔法スキルだ。
抵抗値が低かったり、各種耐性スキルを持っていなければ、非常に厄介な手合いとなる。
光沢のない黒の鱗と、頭部に冠のような突起を持つ蛇の見た目をしているが、胴は丸太ほどもあり、全長は軽く十メートルはあるだろう。鋭い牙の並ぶ口は、人を丸のみにできるだけの大きさを備えている。
そんなブラックバジリスクが――二体。
目から放たれる石化光線を避け、または神官の結界で弾きながら攻撃を加えていくが、こいつは鱗もそこそこ硬い。なかなか有効な一撃を与えることができず、巨体のわりには挙動も速いため翻弄される。
一体は体が少しばかり大きく、全体的な能力が高かった。レベル自体が高いのだろう。どころか、イレギュラーの可能性さえあった。
――そもそもが、ヴィンスたちには無理だったのだ。
端から、自分たちだけで攻略できるなんて、心の底では思っていなかった。
仮に戦力の要たるリシェルがいたとしても、今の自分たちではまだ、深層にすら行けるほどの実力はなかったのだろう。
それでも、リシェルを救いたい一心で、ここまで来た。傷つきながらも、神官の魔法や回復アイテムで傷を癒しながら、やや強引に。全員が、リシェルを慕う者たちだから。実力不足に見ないふりをして。
――後衛の魔導騎士が、防ぎきれずに石化光線を浴びて石になった。
――前衛の騎士の数名が牙や尾の攻撃に倒れ、また石化してしまう。
――前衛が減ったことで後ろに攻撃が通るようになり、ただでさえ数の少ない神官騎士が全滅した。
――後衛からの支援がなくなり、かけられた強化も切れた残りの前衛が、抗しきれずに一人、また一人と地に伏していく。
――騎士の二人が所持していたマジックバッグが破壊され、ヴィンスの所持していた大容量のマジックバッグもまた、激しい交戦の最中、ブラックバジリスクの尾撃によって破壊されてしまった。
マジックバッグは致命的な損傷を受けると機能しなくなり、中身をすべて排出する。散らばったアイテム類を拾い集める余裕などあるわけもなく――ブラックバジリスクの挙動や攻撃によって、ほとんどが駄目になってしまった。
そしてついに――ヴィンスも倒れる。
立ち上がろうと手を突くも、上手く力が入らずに、再び地面へと沈んだ。
それでも必死にもがき、地面に爪を立てる――こつりと、何か硬いものが指先に触れた。
とっさに手の中へとおさめれば、形状からそれが何かがわかる。
【守護の聖女】の固有スキル〈聖結界〉が込められた聖具――『聖守石』だ。
他のどのアイテムでもない、それが破壊されずに残り、倒れた手元に落ちていたというのは、あまり信心深くないヴィンスであっても、天の差配めいたものを感じずにはいられない。
『聖守石』を作動させると、キンッと澄んだ音が響き、ドーム型をした光の壁がヴィンスたちを覆った。範囲内には、他の騎士たちもちゃんと入っている。
聖女が直接、魔力を込めて作るため、本家には及ばずとも効力は折り紙つき。それも、本当に運がいいことに、用意したいくつかの『聖守石』の中でも最高ランクのものだった。
最高ランクの、すべての効果を込めた『聖守石』の聖結界は、光系の攻撃も通さないし、状態異常の攻撃も弾く。
ブラックバジリスクが苛立たしげに縦長の瞳孔を収縮させ、真正面から頭突きを慣行する――が、結界に阻まれた。
今度は鞭のごとき尻尾による攻撃を繰り出してくるも、虹色の壁は、その色彩を揺らがせつつもびくともしない。
何度か攻撃を繰り返し、まったく効かないとわかれば、いくらダンジョンへの侵入者たる人を優先的に襲う魔物とて、普通は諦めて立ち去る。
しかし――ブラックバジリスクにその気配はなかった。
まるで自棄でも起こしたように、頭や尻尾で何度も結界を殴りつけている。
高ランクの魔物は大抵、高い知能を有している。このブラックバジリスクも、ヴィンスたちを守る虹色の結界が、スキル攻撃も物理攻撃も通さないことは理解しているはずなのだが――攻撃の手を緩める気はないようだった。