1章7 万能聖女、辻ヒールする4
封印と試練のダンジョンは、数あるダンジョンの中でも相当特殊で、攻略させることを目的としている。
魔物ドロップは他と同じ扱いだが、それ以外の獲得したアイテム類は、ダンジョン内で使うことを大前提としているため、売買することができないのだ。
要するに、探索で得たもので生計を立てるなら、魔物ドロップだけが収入源になるということ。
『邪毒竜の森』は、もともと普通の森だった場所に、災魔が封じられ、ダンジョン機構が組み込まれた。だから、仮に攻略し、ダンジョン機構が失われても、元の森に戻るだけ。
ならば、何の問題もない。ダンジョンではなくなっても、魔物がいなくなるわけではないので、これまでどおり魔物ドロップは得られる。
むしろ、瘴気がなくなれば今より森に入りやすくなり、魔石を筆頭とした魔物ドロップが多く手に入るということで――今よりも領地が潤うかもしれない。
封印と試練のダンジョンの存在など、百害あって一利なし。攻略できるのならしたほうがいい。確実ではなくても、憂いは確かにあるのだから。
(本当に、彼女は五歳なのか……?)
あまりにも五歳児らしからぬ考えと意志の強さに、ヴィンスは圧倒された。
圧倒され、おののき――そして、どうしようもなく憧れた。年下なのにすごいと思った。
『ともに災魔討伐に臨む、相棒ということですか?』
『そのとおりですわ。それで、あなたには、わたくしの護衛騎士になってもらいたいのです。わたくしの一番近くにいて、わたくしとともに『邪毒竜の森』に挑んでいただきたいのですわ』
想像だにしていなかった勧誘だが――どのみち、ヴィンスは将来、騎士になるつもりだった。実家の領地を守る騎士か、王都に勤める騎士か――特に、勤務地にこだわりはない。
だから、それが他領の娘を守る騎士でも、なんら問題はなかった。
ルーデンドルフ辺境伯領とアイクシュテット伯爵領は、領主同士が同級生ということで仲が良かったり、共同事業の開始もあって関係は良好だ。
仮にそれがなくても、ヴィンスの答えは、彼女からの誘いを聞いた瞬間には決まっていた。
先の話を聞いて、彼女の力になりたいと思ったから。
危なっかしい彼女の傍にいて守ることも、この一週間ですっかり板についていたし。
『――リシェル・ロベルティネ・ルーデンドルフ嬢』
ヴィンスは彼女の前で跪き、その手を取る。彼女が目を見開くのをよそに、中指の付け根に触れるか触れないかの口づけを落とした。――騎士の誓いだ。
『私は、あなたを守る護衛騎士として、またダンジョン攻略を成す相棒として、己が剣と身命を捧げることを――ここに誓います』
その日から、ヴィンスはリシェルの護衛騎士となった。
そして、最も身近で過ごすうち、二人が互いを生涯の伴侶として意識するようになるのは、あまりにも必然のことだった。
◇◇◇
そんな愛しき婚約者が今――ヴィンスの剣で胸を貫かれ、赤い血に濡れていた。
見開かれた紫水晶の瞳から光が消える。その身から刃を引き抜けば、体は力なく崩れ落ち、苔むした大地に倒れ伏す。
剣を右手に提げたまま、それを無感動に見下ろすヴィンス。
少し経つと、彼の視線の先で、リシェルが――いや、リシェルの姿を取っていたモノが人の影を立体化したような姿へと戻り、やがて黒い靄と化して消えた。
「――俺が、そんなものに惑わされるものか」
ヴィンスが相対していたのは、ダンジョン内に出現するCランク魔物『ドッペルマン』――対象の記憶を読み取り、その者にとって最も大切な人物を写し取るという能力を持つ。
大切な相手の姿を前に、戦意を保つのも攻撃を仕掛けるのも難しい。そういった人の弱い部分を的確についた、悪趣味な性質を持つ魔物だ。
ちなみに、その大切な者が戦えようと戦えまいと、弱かろうと強かろうと、ステータスに関してはドッペルマン本体のそれに準じる。
ドッペルマンの生態や能力については、事前に把握していた。
ドッペルマンがリシェルの姿へと変化した瞬間から、ヴィンスの心はいっさい乱れることなく、動きのキレや剣の冴えが鈍ることもなかった。
なぜなら、ヴィンスはリシェルの護衛であり、婚約者である前に、ともに切磋琢磨し武を競い合う――ライバルだからだ。
二人は、それこそ毎日のように本気の剣を交えている。模擬戦ではさすがに刃を潰したものを用いるが、剣を向けることにいまさら躊躇はない。
何より――ドッペルマンの剣は、リシェルのそれとはまったく違う。リシェルなのは姿だけなのだ。それすらも、ヴィンスから見れば本物とは天と地。
そんな偽物に、ヴィンスが惑わされることなどありえない。
自分の戦闘が終わり周囲を見回せば、同じく個々の大切な人の姿を模すドッペルマンと戦っていた騎士たちも――中には苦戦している者もいたが、なんなく討ち倒していた。
「怪我をした者はすぐに回復を。MP量にも注意しろ。――先へ進む」
「「「「「「はっ!」」」」」」
――ルーデンドルフ辺境伯の力も借り、万全の準備を整えたヴィンス副長率いるダンジョン攻略部隊は、外の『転移陣』から、以前到達した場所から最も近い中層の『転移陣』へと飛んだ。
いつもは長くても二、三日の探索を想定して準備をし、余裕を持って切り上げるというサイクルを繰り返していたが、今回は最大限の準備をしている。
よほどのことがない限り、攻略するまで――最低でも深層の『転移陣』を見つけるまで帰還するつもりはない。
愛娘の命がかかっているルーデンドルフ辺境伯も、今回ばかりはなりふり構わなかった。
上位貴族としての権力と伝手をフルに使い、大容量のマジックバッグや、方向を見失わないための希少アイテム『アドリネの羅針盤』を借りられたし、ポーションなどの必須アイテムも大量に、可能な限りそろえることができた。
同行する騎士たちも、これまでともに攻略に臨んできた選りすぐりの精鋭だ。純粋な騎士に魔導騎士、神官騎士と、人数的にもバランスよく編成されている。
封印と試練のダンジョン『邪毒竜の森』には、魔物には平気でも人体には悪影響を及ぼす瘴気が充満していて、だからこそダンジョン探索をメインで活動する冒険者にも嫌煙されがちだ。
しかし、瘴気を防ぐすべはいくつかある。
確実なところで、聖女の固有スキル――瘴気そのものを浄化する〈浄化〉、瘴気や状態異常の類いを一定時間無効化する〈祝福〉、瘴気も攻撃も防ぐ〈聖結界〉だが、まさか聖女にダンジョンへ同行してもらうわけにもいかない。
ゆえに、聖女がそれらの固有スキルを込めた〝聖具〟に頼ることになる。
聖具は〝星石〟という特別な鉱石をもとに作られるものだ。
〈聖結界〉を込めた『聖守石』、〈聖治癒〉込めた『聖癒薬』、〈豊穣〉込めた『豊穣水』、〈浄化〉を込めた『聖水』、〈祝福〉を込めた『聖護符』があり、これらはすべて、神殿に行けば手に入る。
星石に込めたそれは本家ほどの効果は得られないが、いずれも症状が軽度であるなら十分なので、聖女の負担を減らすために作られ、一定額の〝寄付〟と引き換えに提供されている。
また、聖女スキルには及ばないが同じような効果を持つ〈白魔法〉――『ピュリフィケーション』は〈浄化〉、『ベネディクション』は〈祝福〉、『バリア』および『マルチバリア』が〈聖結界〉の下位互換にあたる。
とはいえ、聖具は使い切りなうえに無料というわけではないし、〈白魔法〉の行使にはMPを消費する。ポーションで回復できるとはいえ、それとて有料。また、無限に持ち歩けるわけでもない。
だから――これらはあくまで補助。この瘴気に満ちた『邪毒竜の森』を攻略するためには、大前提として瘴気への高い耐性が必要なのだ。
攻略部隊の騎士たちは、全員が〈瘴気耐性〉スキルを持ち、かつレベルは最低でも5。ヴィンスとリシェルに至ってはレベル8である。それだけ二人は苦痛に身をさらしてきたということだ。
耐性スキルは総じてそうだが、〈瘴気耐性〉で言えば、なんの対策もせずに瘴気の中へと飛び込み、命の危険にさらされながら耐え忍ぶことで獲得、またはレベルを上げることができる。
〈白魔法〉の使える神官を同行させ、瘴気による症状が出たら『ピュリフィケーション』をかけるか『聖水』を飲んで、体内の瘴気を浄化する――というのを繰り返すのだ。
それだけ聞けば容易にも思えるが、初期症状だけでも想像を絶する苦痛だし、それを何十回と繰り返さなければいけないのだ。心身への負担も相当なもの。精神に異常をきたす者だっている――苦行の中の苦行。
ヴィンスとリシェルが、攻略部隊の面々がそれに耐え、レベル5以上までもってこれたのも、ひとえに災魔討伐への執念からであった。
とはいえ、無効でない以上、瘴気の影響を完全になくすことはできない。それを〈白魔法〉と聖具で補いながら、一行は進んでいく。
しかし――進捗はあまり芳しくない。やはり、戦力の中核たるリシェルが抜けているのは大きかった。
ここ『邪毒竜の森』は、瘴気の影響もあってか魔物の種類がやや特殊で、軒並み強い。最低ランクがDなのだ。そして、やたらと好戦的。少し歩けば会敵し、交戦で短くない時間、足を止められ、思うように先へ進むことができない。
それでも、焦りを押し殺し、ヴィンスを先頭に部隊は歩みを進める――その最中のことだった。