1章6 万能聖女、辻ヒールする3
――ヴィンスがリシェルと出会ったのは九歳のとき。
リシェルの生誕お披露目パーティーでのことだった。
貴族の間では、五歳刻みで盛大な誕生パーティーを催す習慣があり、また五歳の誕生パーティーには子供のお披露目の意味もある。
ヴィンスの父が治めるアイクシュテット伯爵領と、リシェルの父が治めるルーデンドルフ辺境伯領は隣接していて、また領主同士の親交も深い。
ルーデンドルフ辺境伯の愛娘であるリシェルの誕生祝いにしてお披露目のパーティーに招待されるのは、しごく当然のことだった。
挨拶へと赴き、あらためて正面から相対したリシェルの第一印象は、ただただ可憐で――思わず見惚れてしまったものだ。
『……お初にお目にかかります。私は、ヴィンス・クローデン・アイクシュテットと申します。このたびは、五歳のお誕生日、おめでとうございます』
『ありがとうございます、ヴィンスさま。あらためまして、わたくしはリシェル・ロベルティネ・ルーデンドルフと申します。わたくしの生誕を祝う場にわざわざ足をお運びいただき、たいへんうれしく存じますわ』
完璧なカーテシーと挨拶の言葉は、やや舌ったらずではあるが、五歳とは思えないほどしっかりしていて、ひどく大人びていた。
にこりと微笑むさまも、もうすっかり淑女のそれで。その場を辞したあとも遠目に見ていたが、ずっと笑顔で貴族たちに対応していた。
(本当に五歳とは思えないな)
そんな彼女の姿を感心しながらヴィンスは見守っていたのだが――しかし。
その本性は、絵に描いたような、とんでもない〝おてんば娘〟なのだった。
『――ヴィンスさまは、そのお歳でそうとうな剣の使い手だと、お父さまから聞きました。いざ、じんじょうに勝負をおねがいいたしますわ!』
それは、父親が仕事の関係で、パーティー後もルーデンドルフ辺境伯領にしばらく滞在し、その間、リシェルの父から彼女の相手を任された直後のこと。
生誕お披露目パーティーで見た淑女はどこへやら――有無を言わせず、手を引かれるがままに連れてこられたのは、騎士たちの訓練場で。
彼らの訓練の邪魔にならない端のほうで足を止めたリシェルが、木剣を差し出しながら、言ったのだ。
『……え? いや、確かに、剣術はそれなりにできますが……え? 勝負? あなたと、ですか?』
『ほかにだれがいらっしゃいますの? さぁ――いきますわよっ!』
『ちょっ――っ!?』
ヴィンスの戸惑いなどお構いなしに、リシェルが地面を蹴る。いまだ事態は吞み込めずとも、打ち込まれれば、訓練を重ねた体は反射で動く。
そうして受け止めた打ち下ろしは――想像どおりにとても軽かった。五歳女児の体重なのだから当然だ。しかし、その踏み込みの速度や、堂に入った剣さばきにヴィンスは驚いた。
ヴァイゼルン王国は武を推奨するお国柄なので、貴族の令嬢が剣を扱うのは、珍しくはあってもないわけではない。だが、五歳にしてここまでとは……ヴィンスの脳裏に〝天才〟という単語が過った。
もちろん、幼少期から剣術の稽古に力を入れている、四つ年上の男児であるヴィンスが本気を出すほどではないが、彼女もすでに一端の剣士と言えた。
『……あなた、とっても強いですわね。聞いていたとおりですわ。いまのわたくしでは、あなたに勝てないどころか、足元にもおよびませんわ』
この国の貴族男児は教養の一環として何かしらの武術を習うが、ヴィンスにはたぐいまれなる剣の才能があった。それこそ、将来は騎士になる以外の道がもったいないほどの。
だが、のちに聞いた話で、リシェルがその歳で初級の魔法を使えると知り、もし魔法を使われていたら、負けることはないにせよ、もう少し苦戦していたのではないかと思う。
そうして――その手合わせ以降、どうやらリシェルに気に入られたらしいヴィンスは、ひたすらいろんなところへ連れ回された。振り回された、と言ったほうが正しいかもしれない。
第一印象など木端微塵に粉砕してくれたリシェルは、まさに行動力の塊みたいな少女だった。
彼女は常に動いている。まるで、動いていなければ死んでしまう病に侵されてでもいるかのように、とにかくバイタリティーに溢れていた。
いったい全体、その小さな体のどこにそんなエネルギーを秘めているのか、と疑問に思ったものだ。
騎士にまじっての鍛錬や、ヴィンスとの手合わせをしていたかと思えば、護衛や侍女の目を盗んで城を抜け出し、城下を散策したり、広場で遊ぶ子供たちに混ざったりする。
貴族が平民の子供と遊ぶなんてことは、よほど特殊な事情でもない限りありえない――というのが貴族の常識だ。
貴族だからと権力をかさにおごり高ぶる者もいないではないが、そうでないにしても、特に高位の貴族と平民では住んでいる世界が違うし、そもそも接点を得る機会がない。
ヴィンスには身分で相手を見下したり忌避したりする意識はないが、リシェルのように堂々と城下の者と遊ぶことなんてなかった。
ゆえに感心し、同時に感動し、同じ年ごろの子供たちと年相応に遊ぶ姿にほっこりし――ていられたのも、ほんのつかの間で。
ちょっとしたいざこざから、女の子を突き飛ばした男の子に食ってかかって取っ組み合いの喧嘩になり、ヴィンスがどうにか仲裁したが傷だらけの泥だらけで城に帰って辺境伯を泣かせ。
別の日には、猫を助けるために木に登って、お約束のように枝が折れて落ち、ギリギリでキャッチし事なきを得。
またあるときは、かつあげ現場に遭遇したかと思えばゴロツキ相手に立ち向かっていき、なんとか伸して衛兵に引渡したりと――とにかくリシェルは危なっかしいのだ。
いっときでも目を離そうものなら、どんな危険に突っ込んでいくかわからない。
(これは、彼女を溺愛してる辺境伯様も気を揉むだろうな……)
リシェルパパの苦労がしのばれる。
城へ戻ったと思えば、また訓練場へと引っ張られて手合わせをせがまれ。その日の疲れをひとり、風呂に浸かって癒していれば『わたくしもご一緒しますわ!』と突撃され――さぁ寝るかと布団に入れば『一緒に寝ましょう!』と突撃され……精神がとても鍛えられた一週間だった。
父からは『おまえ、この一週間でだいぶ老けたな』と言われたほどだ。まだ九歳なのに。
そうして一週間の滞在を終え、領地へ帰還する前日――ともに過ごす最後の夜のこと。
もはや一緒に寝るのが当たり前になったヴィンスとリシェルは、別れを惜しんだらしいリシェルの誘いに、同じく名残惜しさのあったヴィンスが乗って、ホットミルクを飲みながら、ギリギリまで他愛のない話をしていた。
しかし惜しんだとて、どうしようもなく時間は過ぎていく。
さすがに朝までとはいかず、そろそろ寝ようとヴィンスが言い出したとき、意を決したようにリシェルが引き留めてきた。
珍しく、いや初めて見るだろういやに神妙な顔をしたリシェルは、ヴィンスと正面から向き合うと、手を握りながら言ったのだ。
『ねぇ、ヴィンス。わたくしのパートナーになってくださらない?』
『パっ……!?』
告げられた内容に顔を赤くするヴィンス。だが……詳しく聞いてみれば、ヴィンスの思い浮かべた意味ではなかった。
『わたくしの夢は、『邪毒竜の森』を攻略することですの。これは、お母さまがなしとげられなかったこと――その意志を、わたくしが継ぐと決めたのですわ』
これはのちにルーデンドルフ辺境伯から聞いた話なのだが――彼女はもともと、すごく泣き虫で甘えん坊だったらしい。それが去年、四歳で母と死別し、途端に別人のように変わったそうだ。
彼女の母は、この国でも珍しい女騎士だった。めっぽう強かったという。それでいて、普段は非の打ち所のない貴婦人であり、領主の夫人としての務めを果たしながらも、その傍らでダンジョン攻略に臨んでいた。
彼女の母は、彼女に自身の夢――目標を話していた。それを、幼いながらも理解し、道半ばで果ててしまった母の想いを、彼女は受け継いだのだ。
そして、ダンジョン攻略を成し遂げるために力をつけるべく、動き出した。
幸いにも、彼女は母の想いだけでなく、その才能をも色濃く受け継いでいた。
『お母さまの遺志というのもありますが、これはわたくしの意志でもありますわ。わたくしは、領主の娘ですから。領民のだれもが危機に感じていなくても、脅威がすぐそばにあることには変わりありません。領地を、領民を守るために、憂いとなるものは排除しておくにこしたことはありませんので』
ダンジョンにもいろいろ種類があるが、基本的にダンジョンは富を生む。
魔物ドロップはもとより、そのダンジョンでしか採れない鉱物や植物なんかもあって、宝箱には希少なマジックアイテムや高性能の装備が入っていたり、『スキルオーブ』や『スキルの書』をドロップするダンジョンもあるという。
それによって、人々の生活が豊かになっている面もある。魔道具にそれらの素材が使われていたり、現代ではなくてはならないドロップアイテムも多数存在しているのだ。
ダンジョンを有する土地には冒険者や商人が集まり、繁栄が約束されていると言っても過言ではない。
例外はあるが、基本的にダンジョンは攻略すれば消失するので、普通は攻略させないようにしている。ダンジョンから魔物が出てくる危険はあっても、メリットのほうが大きいからだ。
しかし、封印と試練のダンジョンは、その例外だった。ここルーデンドルフ辺境伯領にある『邪毒竜の森』は特に。