1章4 万能聖女、辻ヒールする1
聖女としてこの世界アルス・ヴェルへと召喚された乃詠が、その際に獲得した固有スキル〈救済〉の力により、災魔を倒すではなく仲間へ引き入れることでダンジョンは攻略され、不要となったダンジョン機能は完全に消失――供給源がいなくなったことですっかり瘴気も消え去った、元『邪毒竜の森』から出るべく、乃詠たちは〈マップ〉に表示されたルートに沿って歩く。
この森はとてつもなく広大だ。ラスボス部屋たる『災魔の封殿』があった中心部から外へ出るには、けっこうな時間がかかる。
速度重視でいくなら、ナビィによって後付けされた〈マップ〉の生体表示機能をフル活用して魔物をうまく回避して進むか、自然破壊に目をつむるなら、ファルの『ダークブレス』で一直線に道を作って悠々と進めばいい。
まぁ、後者はさすがにないが。
サバイバル生活もすでに一か月。瘴気の消えた森は美しく神秘的で、陽光もそれなりに入ってくる。採れる食材の種類に限りがあるので食事のレパートリーは少ないが、食うには困らず、聖結界のおかげで夜も熟睡。
そんな環境なので、瘴気に満ちていたときほど、外へ出ることに躍起になってはいない。もちろん早く文明に触れたい気持ちはあるが、ことさら急いでいないのが現状だ。
なので、ナビィ本来の役割である〈ナビゲーション〉が設定した最短ルートに沿って進み、進路上に魔物がいたら倒しつつ、こまめに休憩も取って、のんびりと歩みを進めていた。
というのも、従魔たちが戦いたがったのが大きい。
向上心の高い彼らは、現状のレベルにまだまだ満足しておらず、せっかく魔物の巣窟にいるので、経験値を得られるときに得たいとのことだ。
リオン、ギウス、アークはもとより――ベガもだった。
先の一戦でトラウマをはねのけた彼女は、すっかり吹っ切れたらしい。今までが嘘のように、むしろ出遅れた分、三人以上に猛然とレベル上げに励んでいる。
それには、彼女の神創武器『円月輪』の訓練も兼ねていた。
もともと〈投擲〉スキルのレベルは高く、命中率も高かったベガのこと。扱いさえ覚えてしまえば――立派な首狩り姫だ。
首は生物の急所。確実に仕留めるなら、首を狙うのはセオリーである。弱い魔物なら首への一撃で倒せてしまうのだが……
回転する刃が、一投で二体の首をスパッスパッと斬り飛ばす。
勢い余って宙を舞う魔物の頭部と、噴水のごとくしぶく真っ赤な血を背景に――くるりとこちらを振り向いたベガが、花咲くような満面の笑みを浮かべた。
「お姉さま! 綺麗に切れました!」
意図してのことではないはずだが、某ハンターゲームのセリフのノリで言うベガに、若干の狂気を感じなくもないのだが……
「え、えぇ……! とても綺麗に切れたわね、さすがだわ……!」
「えへへ。お姉さまに褒められちゃいましたっ!」
その笑顔とはしゃぎぶりがとても可愛いので、いいのだ。いいったらいいのだ。可愛いは正義なのだ。
他方――コウガも相変わらずのバトルジャンキーぶりを発揮しているが、今はそれだけが理由ではない。
戦闘欲の解消よりも、調整の意味合いが強かった。
コウガはもともと人型だが、魔物時にニメートル半近くあった身長が、人化して百八十センチ後半へと縮んでいる。
腕や脚の長さが変われば、間合いも変わる。その誤差は、実戦でアジャストしていくのが効率的――らしい。
最初こそ間合いを見誤って攻撃を食らうこともあったが、何十戦としていれば、いつもどおりに戦えるようになったようだ。
それはファルも同様だ。彼はもともとが四足歩行の竜なので、最初は普通に行動するのもぎこちなかった。
当然ながら戦闘のほうも苦労していたようだが、元来のポテンシャルの高さゆえか、人の体に慣れるまではあっという間だった。
彼は主に脚を使って戦うのを好むらしく――今もまた、鋭く鮮やかな回し蹴りをきめ、魔物を絶命させる。
だが彼の顔に、勝利の喜びや満足感のようなものはない。
(まぁ、当然よね)
Sランクのポテンシャルを持つファルにとって、ここにいる他の魔物は等しく雑魚でしかないのだ。物足りないと思ってしまうのは仕方がないし、どうしようもない。強者ゆえの、というやつだ。
「物足りないなら、あとで私が相手をしてあげるから」
不満げな顔をしたファルを宥めるようにして声をかけると、彼は乃詠を見て、思いもよらぬことを言われた、みたいに目を瞬いた。
「……そこは、別に。おれ、バカ鬼みたいに、戦闘バカじゃないし」
地獄耳らしいコウガが大刀を振るいながらファルを睨みつけているが――それはともかくとして、今度は乃詠が目を瞬く番だった。
「じゃあ、何が不満なの?」
するとファルは、いっそうすねたような目を、乃詠の持つ双剣へと向けるのだ。
「……おれだけ、神創武装、防具も武器も持ってない。……なんか、仲間はずれみたいで、いやだ」
「あぁ……」
そこか、と納得すると同時に、へにゃりと眉を下げる乃詠。
外見が同年代の青年であっても内面が幼いファルは、乃詠の中ではすっかり可愛い弟分になっている。
過剰なスキンシップに戸惑うことはあるし、若干ヤンデレな気質はあって引く場面も多々あるけれど、そんなところも放っておけない感じで、今度はすっかりブラコンだ。程度は実妹ほどではないが。
境遇のこともあるので、彼が望むものは可能な限り与えてあげたい。
けれどもいかんせん、神創武装はお金で手に入るものではないのだ。試練ボスの撃破報酬なので、ダンジョンが消失した以上、もう入手はできないのだ――
『できますよ、入手。他の封印と試練のダンジョンを攻略すればいいのです。まだ三か所も残ってますからね』
ナビィの助言にファルの目が輝き、対照的に乃詠の目は据わる。
「……ここから出たら、一番近い封印と試練のダンジョンに行こう」
「嫌よ」
即答だった。
まさか否定の言葉が返ってくると思っていなかったのか、ファルはいつも半分しか開いていない瞼を完全に開き、目を丸くしている。
「……なんで」
「なんでも何も、誰が好き好んで自ら危険に飛び込んでいくのよ。封印と試練のダンジョン攻略なんて、これっきりで十分だわ。町に行ったら何でも好きな武装を買ってあげるから、それで我慢しなさい」
「……いやだ。おれも、神創武装がいい」
だがファルも、断固として譲らない。
「わがまま言わないで」
「……なら、ひとりで行く」
「そうね。そうすればいいわ」
「……ノエ、おれを独りにしないって、約束した」
「したわね。だから、あなたはダンジョンになんていかないで、私の傍にいればいいわ」
取り付く島もない乃詠に、むぅっと幼子のようにむくれるファル。
それはまるで、駄々をこねる子供を窘める母親の図であった。子供のほうが圧倒的に年上だが。
「……『あなたが楽しいと、幸せだと、生きていてよかったと、そう思える未来を、一緒に作っていきたい。作らせてほしい』と、ノエはおれに言った」
「そ、それは……!」
「……その未来に、神創武装は、絶対に必要なもの」
「むむむむ……!」
「……だから、行くよな?」
乃詠は額に手を当てて項垂れた。
「……それをここで持ち出すのは、卑怯だと思うの」
「……でも、事実だ」
しかしそれでも、了とは言えない乃詠。往生際わるく、必死に逃げ道を探そうとする。と、そこへ――
「いいじゃねーか。クソ蜥蜴の味方するってわけじゃねーが、オレとしても他の災魔と戦ってみてーしな。おまえだって、本当は興味あんだろ?」
魔物を大刀で両断しつつ、コウガが口を挟んできた。
乃詠の肩が、ぴくりとかすかに揺れる。
「……ないわ」
そのわずかな間が、自分でも認めがたい本心を語っていた。
確かに乃詠は、組手や模擬戦などで武を競うのが好きだと、試練ボスとしてのコウガと戦ったときに自覚した。魔物と戦うのも、まぁ嫌いではない。コウガと同類であることも……認めよう。
けれど、先のダンジョン攻略は、リオンたちを解放するために必要だったからであって、必要のない危険に飛び込んでいくほどではないのだ。