序章1 万能聖女、デジャヴる1
2部『愛の騎士と星に巣食うモノ』スタートです。
ここから登場人物も増え、他者視点や主人公一行不在の回が出てきたりしますので、一応ご注意ください。
よろしくお願いします。
――無数の星々が浮かぶ黒き宙を、ソレは漂っていた。
(早く、早く見つけないと……)
そうしている間にも、徐々に意識が朦朧としてくる。
ゆっくりと、だが確実に――死へと向かっている。
(まだ、死にたくない、の……)
生への執着で、ソレは懸命に意識をつなぎ止める。
多次元に存在する無窮の宙――その一つに生じたソレは、本能のまま一番近くにあった星へと降り、そこでの熾烈な生存競争に負けた。
敗者は潔く星を去らねばならない。なぜなら、負けた者がその星で生きる道などないからだ。
そして次の星でも、またその次の星でも、ソレは敗北を続け――おそらくは次の星が最後となる。
その次までは、とても命が保ちそうにない。
(次こそは、絶対に……でも、競争の激しいところじゃ、厳しいの……)
住める星は多いが、ソレと同じ存在もまた数が多い。けれど、どの星にも同じだけの同種がいるわけではないのだ。
ソレらにも、生まれながらに能力の優劣が存在する。無情にも、弱いソレには星の外から同種の気配を探知するほどの力はない。
ゆえにすべては己の運次第となるのだが――ここで星選びに失敗してしまえば、もうあとはない。
(……あそこに、決めたの)
息も絶え絶えにソレが直感にて選んだのは、青と緑が美しい星――アルス・ヴェル。
同種は、少なくともソレが降り立った場所の付近にはいなかった。
だが、星に降りて終わりではない。己の生命線となる『宿主』を見つけるという難題が、まだ残っている。
(うぅ……もう、げんかい、なの……)
その時点で衰弱は甚だしく、ほとんど死に体だ。もはや、時間はさほども残されていない。
そうして、本格的に意識が閉ざされそうになったときだった。
(……見つけた、の)
これまでは自分へ見向きもしなかった運命の女神が、ようやくこちらを見て微笑んでくれた。
ソレはついに、見つけたのだ――自分を生かし生存競争にも勝てるだろう、破格と言える『宿主』を。
◇◇◇
――ここへ来るのは、もう何度目になるだろうか。
すっかり見慣れた扉の前に立ち、手の甲で軽く叩くと、中から応じる声がある。だがそれは、この部屋の主のものではない。
わかっていたことだ。しかし、期待がまったくなかったと言えば嘘になる。
わずかな胸の痛みを抱えながら、紺色の騎士服に身を包んだ青年、ヴィンス・クローデン・アイクシュテットは扉を押し開く。
白を基調とし、華美にすぎない家具や調度で品よくまとめられた一室だ。
けれども、ヴィンスは知っている。この気品とセンスのある内装が、部屋主のこだわりのなさからきたものだということを。
――部屋なんて、寝起きができさえすれば何でもいいですわ。
そう言っておきながらも、女性らしい華やかなのは落ち着かないからと、今の当たり障りのない内装におさまったそうな。
(君らしい、と心の底から思ったものだ)
そんな部屋の主――ヴィンスが守護すべき主人であり、婚約者でもある少女、リシェル・ロベルティネ・ルーデンドルフは、ベッドの上に横たわり、今も昏々と眠り続けている。
視線をリシェルの顔から上げ、ベッドの横に座っている神官へと向ける。
「リシェルの様子は」
端的に問えば、意を汲んだ神官の女性は力なく首を振った。
「いえ……変わらずです」
「そうか」
再びリシェルへと意識を戻したヴィンスは、手を伸ばし、眠り姫の頬をするりと撫でる。
お世辞にも綺麗とは言えない手だ。幼いころからずっと剣を握り続けてきた手のひらは皮膚が厚く、硬くなったたこがいくつもあってごつごつしている。
そんな手で触れられても、普通は不快でしかないだろう。
(でも君は、こんな無骨な手を、好きだと言ってくれた)
頑張る男の手だから――と。そう我がことのように誇らしげに、ほんのりと頬を染めながらはにかんで。
頬をから離した手で、今度はリシェルの手を取り、指を絡めてつなぐ。
そうやって触れればわかる。彼女の手も、自分と似たようなものだと。
一見、白くて華奢な指も手のひらも、女性らしい柔らかさはほとんどない。
硬い皮膚にはたくさんの剣だこがあって、細くて小さいのにひどく頼もしさを覚える。
とても貴族令嬢の手とは思えないが、ヴィンスもまた彼女の手が好きだった。
(民のために頑張る、領主の娘の手だからな)
常日頃から、ドレスよりも特注で作らせた騎士服を着ていることのほうが多いリシェルは、ダンスや刺繍よりも剣を振り回していることを好む。
確かに、純粋に好きなのだろう。けれど、その根底にあるのは、領主の娘として生まれた責任感――領民たちを守らんとする強い意志だ。
一口に領民を守るといっても、武力がすべてではない。
武力であれば騎士がいるし、領主だって基本は戦わない。そして女性には、女性なりの守り方がある。
しかし、なんといってもここは――封印と試練のダンジョンと隣接する地。
彼女は自分自身の手で、領地にとって最大の憂いを取り除こうとしていた。
(そんな君が、こうして静かに眠り続けているなんて……とても信じられないよ)
――リシェルが昏睡状態に陥ったのは、十五歳になった貴族の子息令嬢が通う学院の、二学年に上がって半ばが過ぎたころのことだった。
持病があったとか、病にかかったとか、何か怪我をしたとかではなく、本当になんの前触れもなく、突然倒れたのだ。
王国で一番の名医とされる宮廷医師の診断によれば、体にはなんの異常もないという。外傷も病の症状もいっさい見られない、健康そのものだと。
にもかかわらず、鑑定したところ、HPが大きく減っていた。どころか、その間にも刻一刻と減り続けている。
即座に『ハイヒール』がかけられ数値は全快したものの、リシェルが意識を取り戻すことはなく――再び、HPの減少が始まった。何度かけ直しても、回復する端から減っていく。
外傷はなく、病でもない――とすれば、考えられるのは『呪い』か。
しかし、状態異常を治す〈白魔法〉の『ディスペル』でも効果はなく、最後の頼みの綱である聖女の力を借りることに。
【治癒の聖女】の〈聖治癒〉は、呪いなどの状態異常を伴う、通常の『ヒール』では治せない傷や病も癒し、【清浄の聖女】の〈浄化〉は、瘴気を筆頭とした邪悪を――『呪い』を含む状態異常全般を祓い清める。
だが……聖女の力をもってしてもリシェルが昏睡から覚めることはなく、HPの減少が止まることもなかった。
原因がわからず、聖女のスキルでも効果なし。とはいえ、だ。その聖女スキルも上限レベルまで達しているわけではない。ただ、レベル不足ゆえにダメだった可能性もある。
リシェルの父はルーデンドルフ辺境伯――王家とも縁のある上位貴族だ。相応の権力があり、ツテもたくさんある。さまざまな分野に長けた者にも声をかけて診てもらうなど、可能な限り手を尽くした。
……が、ダメだった。回復はおろか、原因の解明すら叶わなかった。
もはや、お手上げだ。
HPがゼロにならない限り死ぬことはないため、取れる手段は『ハイヒール』をかけ続けることによる、延命だけ……
否。たった一つだけ、彼女を救えるかもしれない可能性は存在した。
封印と試練のダンジョンの攻略報酬――願いを一つ叶えるとされる『神珠』。
いわく死者さえも蘇らせられるという、まさに奇跡のアイテムだ。
『神珠』であれば、きっとリシェルを救うことができるだろう。
封印と試練のダンジョンの概要や報酬の話は、神殿の所有する、神の言葉を記した『神言書』に記されている。
かつて大陸中で猛威をふるった災害レベルの魔物――災魔を、神々が封じ、そこへダンジョンを創った。魔物などの試練を課して人々の強化を促し、最終的に災魔を討伐してもらうために。
攻略、もとい災魔討伐を成し遂げた者には、神からの報酬として『神珠』が与えられる――ということだ。
かつて封印と試練のダンジョンは全部で六つあったが、すでに二つが攻略され、いま残っているのは四つ。
幸いと言うべきか、その内の一つ『邪毒竜の森』が、ここルーデンドルフ辺境伯領に隣接している。
(俺がダンジョンを攻略したと知ったら、君はどんな反応をするのだろうな)
もともと『邪毒竜の森』の攻略はリシェルとヴィンスの目標だった。
といっても、目的は『神珠』の入手ではない。純粋な、災魔討伐だ。
『神言書』には、封印が完全なものではないとも記されている。神の力とて絶対のものではなく、封じた災魔の力によっては解ける可能性もある――と。
実際、森の中に立ち込める瘴気もダンジョンの仕様というわけではなく、邪毒竜ファフニールの力が漏れ出たものだという話だ。
ただ、ダンジョンが創られてから、もう千年近く経っている。『神言書』の内容を正確に知る者も少ない。よほど信仰が厚いものか、関係する土地を治める領主および、その一族の者が知っているくらいだろう。
領民たちにしてみれば、大昔から存在するダンジョンだ。ずっと大丈夫だったのだから、むしろ不安視するほうが難しいというものである。
リシェルは領主の娘だ。領民たちを守るために、彼らを危険にさらす可能性のあるものは、あらかじめ取り除いておかなければならない。それゆえのダンジョン攻略――災魔の討伐。
攻略専門の部隊を作り、本格的に攻略へと乗り出して数年。幾度も森へと足を踏み入れ、現在では中層まで進んでいた。
それでもまだ中層の、おそらくは中間あたり。その先は、当然ながら未知の領域で。情報もないから、災魔のもとまでどれほどかかるかも知れない。さらには、リシェルという中核を担う戦力が欠けている……
その事実からは意図的に目を逸らし、不安も弱音も胸の奥に押し込めて。
(君のことだから、やっぱり悔しがるだろうか)
昔から、とても負けず嫌いな子だったから。攻略は自分の手で、というのもあるけれど、戦闘に関してリシェルは、ヴィンスをライバル視してもいた。
主従なのにおかしな話ではあるが。
だからきっと、最初は唇を尖らせながら、ぐちぐちと文句を言ってくるだろう。しかし最後にはきっと、心の底から喜んで、賞賛し、満面の笑みを見せてくれるのだろう。
彼女がそういう人間だと、ヴィンスはよく知っている。
彼女の、その笑顔を見るためにも――
「必ず『神珠』を持って帰ってくるから。待っててくれ、リシェル」
リシェルの風貌は、不思議とまったく変わらない。食事もとっていないのにやせ細ることはなく、肌つやも以前のまま。
呼吸も穏やかで、HPの減少で日々命の危険にさらされていることを除けば、ただ眠っているだけだ。
そんなリシェルの手を取り、男としての、婚約者としての、そして騎士としての誓いを指の付け根に落とす。
そのとき、控えめな叩扉の音が響いた。
応じる間もなく扉は開かれ、その向こうに立っていたのは、この館の家令だ。
真っ白な髪を丁寧に後ろへとなでつけ、黒の執事服をぴしりと着こなす彼は、すっかり髪が白くなったことと顔のしわが増えたこと以外、初めて出会ったころから変わらず、立ち姿と所作からはまったく老いを感じさせない。
ヴィンスとリシェルを見て一瞬、穏やかな顔をした彼は、すぐに表情を引き締めると、よく通る声を響かせた。
「ヴィンス殿。もろもろ、準備が整ったとのことです」
「わかった。――行ってくる」
ベッドに横たわる眠り姫へと最後にそう告げ、
「俺がいない間、彼女のことを頼む」
「はい。お任せください」
そんな彼女のことを神官へと託し、ヴィンスは家令とともに部屋をあとにするのだった。