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side:ロレンス・ヨハネ・ファライエ

 


 聖女カレンのもとを辞したロレンスは、皇城へと向かうべく馬車へ乗り込む。

 扉を閉めた従者が御者席へと向かい、馬の小さないななきのあとに馬車が動き出した。


 途端、張り詰めていたものが切れたか――ロレンスの体から力が抜け、誰の目にもつかないのをいいことに姿勢を崩し、深々と背もたれに体重を預ける。


(……ひとまず、カレン様のほうは問題なさそうだな)


 吐き出された息には深い安堵がこもっていた。


 異世界から召喚した聖女を迎えるにあたり、大きな懸念があった。それは、強い反発を受けること。

 災乱期の間隔はそれほど短いものではないが、過去にも何人か聖女が召喚されている。詳細とまではいかずとも、ある程度の記録は残っていて、中には泣いて暴れたあげく部屋に閉じこもってしまった者もいたらしい。


(普通に考えれば、当然の話だ)


 なにせ、相手の承諾を得ることなく、こちらの世界の都合で、身勝手に故郷から引き離したのだ。

 家族や友人、恋人だっていたかもしれないのに、別れすらも告げられず、もう一生会うことができない……反感どころか、敵意を持たれてもおかしくはない。


 自分が逆の立場だったら、とても素直に受け入れることはできないだろう。

 まぁそれでも、もう故郷には帰れず、生活を保障される代わりに役目を求められるなら、最終的には仕方なしと受け入れるだろうが。


 だから、しばらくは召喚された聖女様の説得と……言い方は悪いが、ご機嫌取りに奔走することになるだろうと覚悟していた。

 けれど――いざ聖女様が召喚されてみれば、まったくの杞憂。

 カレンは、召喚された直後こそ怒りをあらわにしていたが、先の様子を見るに、もうこちらへの悪感情は持っていないようだった。どころかひたすら好意的で、逆に拍子抜けしてしまったくらいだ。


(この顔に生まれたことを、こんなにも感謝する日が来るとは)


 ロレンスは己の容姿がすこぶる優れていることを理解している。大抵の女性を虜にするほどだということも。


 実際、ロレンスが社交の場に出れば、あっという間に令嬢やご婦人方に囲まれ、対応に苦慮するくらいだ。

 その容姿や身分もさることながら、雰囲気も柔らかで紳士的。そんな完璧な皇子の姿が、世代を問わずウケるのである。


 まぁ、それゆえの苦労や苦悩というのもあるのだが……今このときだけは、ひたすら感謝しかなかった。


 国にとっても世界にとっても重要となる召喚聖女の対応を、最も身分の高い聖皇ではなくロレンスが任せられたのも、そこが一番大きい。


 儀式の立ち合いもその後の対応も、本来であれば聖皇が務めるのが道理だし、間違いがない。

 けれど、召喚される聖女の国には身分制度はなく、また年齢も十代半ばほどの少女が選ばれている。ならば、次期聖皇でもあり、歳も近く、女性受けする美貌を持ったロレンス皇子が適任では――という話になったのだ。


(ゼギオンの名は誰も出さなかったものな。まぁ、無理もないが)


 ゼギオン・イアン・ファライエ――この国の第二皇子であり、ロレンスの二つ下の弟だ。

 年齢だけで言えば、彼のほうがつり合いが取れるだろう。ロレンスに引けをとらない美貌の持ち主でもある。

 けれども、いかんせん愛想がないのだ。


 社交に向かない完全な武人気質で、心優しく気配りもできるいい奴なのだが、それを表現する能力が欠落してしまっている。

 無愛想で、口数は少なく、何を考えているかわからない――と、周囲からは怖がられることの多い弟なのだ。

 まぁ、本人は周囲からどう思われていようと、何を言われようと、まったく気にした様子はないのだが。


 とにもかくにも、大切な聖女の対応をそんな弟に任せるわけにはいかず、満場一致で対応役はロレンスに決まったのだった。


 ちなみに――その代わりというわけでもないが、ゼギオンは聖騎士として聖女カレンの専属メンバーに入っている。


 彼は社交向きでも政治向きでもないが、武術の才に恵まれた。まだ十八という若さにして、その実力は国内で五指に入るほど。生まれ持った才能も大いにあるが、愚直に鍛錬して身に着けた力でもあった。


 成人した時点ですでに騎士団の部隊長に就いていたゼギオンだが、聖女が召喚されるにあたり、聖騎士として専属の近衛を任せたい――というロレンスの願いに一も二もなく応じ、国防を担う騎士から神殿付きの聖騎士へと転向したのだ。


 聖騎士に求められるのは、一定以上の実力と礼節。常に聖女の傍に侍る選ばれし近衛ともなれば、相当な実力が求められるが――どちらにせよ、聖女との接触は最低限。ただただ聖女の盾となり剣となり、魔物や賊などの害悪から守護する――それだけの存在なのだ。


 愛想も話術も社交性もいらない。ひたすら愚直に、己のすべてでもって聖女を守り抜く――ゼギオンにはこれ以上ないほど適した役職であった。


(反応を見れば、妃のほうもこのまま彼女で決まり……だろうか)


 実のところ、ロレンスが対応役に任じられたのは、召喚された聖女が彼の妃候補だからでもあった。


 ファライエ聖皇国の聖皇は代々、聖女を娶るのが習わしとなっている。

 現時点で大半の聖女が候補に入っていたのだが、やはり最有力は召喚聖女。成人した聖女に立場の上下はないが、召喚された聖女は特別なのだ。


 とはいえ、あくまで聖女のほうが望めばの話。神の手前というのもあるし、神殿との関係に軋轢を生むわけにはいかないので、たとえこちらが一方的に娶りたいと思っていても、決して無理強いはできない。


 しかし――自意識過剰でもなんでもなく、ロレンスの目から見ても、カレンが好意を持ってくれているのは自明。

 このままいけば、おそらくカレンを娶ることになるだろう。むしろ、せっかく向こうから好意を寄せてくれているのだから、こちらからも積極的に落としにかかるべきなのだ。……たとえ、ロレンスの側に愛情や恋情がなくとも。


 惚れさせ、夢中にさせてしまえば、これまた言い方は悪いが扱いやすくなる。

 これから突入する災乱期――世界を守るために、聖女カレンの力が必要不可欠なのだ。

 その力を使ってもらえるのなら、ロレンスは何だって利用する。それがたとえ相手の恋心でも、己が身でも。


 もとより、王侯貴族の婚姻には基本、恋情や愛情など不要だ。国にもよるだろうが、ほとんどが国や家同士の利益を考えた政略結婚。恋愛結婚できるほうが稀だろう。

 それはロレンスとて同じ。もとより、恋愛などできるとは思っていない。聖女に求められれば、それに応えるのみ。候補が多くて選べる分、ロレンスは幸せなほうだろう。

 まぁ――自分の代では聖女が召喚され、その召喚聖女が自分に好意を寄せてくれているにもかかわらず、他の聖女を選ぶことなどできはしないのだが。


 それがこの国に、ひいては世界に必要ならば、愛していない相手にだって愛をささやける。第一皇子として生まれた時点で、そう教育されてきた。

 しかし、


「はぁ……」


 ロレンスの口からこぼれるのは、重いため息だ。

 愛していない相手に愛をささやくことはできる。女性が喜ぶだろう台詞も、口説き文句も、いくらでも口にできる。だが……もともと向いていないのだ。


(こういうとき、カルヴィンの奴が羨ましくなるな)


 ロレンスから見ても見目麗しい魔導師カルヴィン・ロイズは、真面目そうな顔をしてけっこうな女性好きだ。

 女性の前ではわりと軽薄なタチで、それを本人だけでなく相手も楽しんでいる。そう割りきって、相手にもそう思わせる振舞いのできる彼が心底羨ましい。


 色恋に限らず、女性関係に関して、ロレンスはひどく純粋だった。それこそ皇族としては致命的なまでに。

 教育の成果で、言い寄られた女性への対応は完璧だし、ときには甘い言葉を吐いたりもするが、そのたびに罪悪感がつきまとう。


 先の、聖女カレンとのやり取りに関してもそうだ。彼女の好意を利用し、自分も好意を持っているように振舞ってはいたが、ずっと彼女への罪悪感がじくじくと胸を苛んでいた。

 本当は、敬語を取り払い呼び捨てにすることも、ロレンスにとっては苦渋で。だから、彼女の前以外では、とても〝様〟を取る気にはなれない。


 だって、自分の心は彼女には向いていないから。

 ロレンスの心は――別のところに向いているから。


(俺の、女神……)


 脳裏に浮かぶのは、銀の髪と灰色の瞳を持つ絶世の美女の姿。

 この国の貴族にも聖女にも美しい女性は数多いが、それを軽く凌駕してのける少女だった。

 かつて、あれほどまでに美しい女性などロレンスは見たことがない。

 聖女を召喚したつもりが、女神が降臨したのかと本気で思ったくらいだ。


 間近で見た瞬間、決して抗うことのできない引力が発生しているかのように目が離せなくなり、じわじわと体温が上昇し、うるさいほどに胸が高鳴った。

 それは紛うことなき一目惚れで――ロレンスにとっては初恋だった。


 十九歳という遅さでの、初めての恋。これまでは無縁のもので、この先一生無縁で終わると思っていた初恋を――〝悪魔〟相手にした。してしまった。


「悪魔、か……」


 口に出せば、ぎゅっと胸が締めつけられるように痛む。


 悪魔は狡猾で残忍――見たことはなくとも知ってはいた。だが、まさかハニートラップを仕掛けてくるとは。

 絶世の美女の姿で、ロレンスを含む男性陣を……いや、下手をすれば女性をも虜にし、内からこの国を崩壊させるつもりだったのか。もしくは、乗っ取る算段だったのか。


 ロレンスはまんまと敵に踊らされ、弄ばれたのだ。だというのに、往生際わるくも、初めて抱いた恋心が今もくすぶり続けている。

 この初恋が叶うのなら、相手が悪魔でも何でも構わない――などと一瞬でも考えてしまったのだから、わりと重症なのかもしれない。


(……しかし)


 直後は、騙されたと怒りを抱いた。裏切られた、初恋を踏みにじられたと、逆恨みにも等しい理由で激情してしまった。

 だから、悪魔に耳を貸さなかった。というか頭に入ってこなかった。

 けれど冷静になって考えれば、真っ先に浮かぶのは――疑問で。


(そもそも、鑑定でバレることを想定していなかったのか?)


 悪魔の生態を詳しくは知らない。しかし、〈鑑定〉スキルの存在自体を知らなかったとは考えにくい。そのうえで、その場で鑑定されることも。


 それに、目論見が潰えた時点で即座に正体を現し、実力行使に出なかったのも引っかかる。

 悪魔は得体が知れない――が、基本的に人間よりは強大な力を持っているとされる。その気になれば、建物ごと吹き飛ばすことも可能だっただろう。


(あれは、本当に悪魔だったのだろうか)


 ふと、根底を覆す疑惑が浮かび――そこで、わずかな振動と馬のいななき。

 すぐに扉をノックする音が馬車内に響き、我に返ったロレンスは、その思考を払うように小さくかぶりを振った。


(……いや、よそう。アレは、間違いなく悪魔だ。人の心を弄んで楽しむ類いの、人非ざる存在だ。俺の心を鷲づかみにしたほどの美貌が、その証拠。あんな神がかった容姿をした人間など――存在しない)


 声をかけてきた従者へ応答すれば、馬車の扉が開かれる。


(今は、余計な思考にとらわれている場合ではない)


 悪魔が戻って来るかどうかは不明だが、備えは必須。早急に防衛の準備を済ませなければならないのだ。それ以外にもやることはたくさんある。


 軽く頬を叩いて気持ちを切り替え、馬車を下りたロレンスは、足早に城内へと入っていくのだった。



お読みいただきありがとうございます。

これにて幕間は終了、明日より2部の開始です!


少しでも面白い、続きが読みたいと思ってもらえましたら、★★★★★やブクマ、いいねで応援いただけると、とても励みになります。

すでにいただいている方は、ありがとうございます!


引き続き、拙作をよろしくお願いします。

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