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side:一色歌恋(下)

 


 一気にロレンスとの距離が縮まった歌恋は、まさしく有頂天だった。足元がふわふわするような心地。

 こんな絶世のイケメンが、自分に親しくしてくれ、呼び捨てで名前を呼んで、甘く微笑んでくれる――本当に現実なのかと疑いたくなってしまう。


(本当に夢みたい……このまま仲良くなって、もっともっと距離を縮めて、いずれはロレンス様にプロポーズされて、彼のお嫁さんに……)


 純白のドレスを着て、誓いのキスを交わす自分たちの未来を妄想し――歌恋は身悶えしたくなるほどの照れと幸福を噛みしめる。

 これは、この先に訪れるはずの二人の未来。いや、確実に訪れる未来なのだ。

 すっかり浮かれきった歌恋は、そう信じて疑わない――が、ふと。そんな幸せいっぱいの妄想の中に、一つの光景が甦った。


 召喚された直後、ロレンスが自分たちの前に立ったとき。彼は姉の姿を間近に見て――確かに見惚れていた。我を忘れるほどに。無防備な素顔をさらし、その白い肌を赤く染めて……あれは、間違いなく……


「カレン? どうしたんだ、怖い顔をして」

「……っ、ご、ごめんなさい! 何でもないですっ」


 湧き上がってきたのは――嫉妬。

 その醜い感情が顔に出てしまったことに気づき、慌てて取り繕う。

 よく友人たちに言われていたが、つくづく自分は感情が表に出やすいのだと思い知り、歌恋は意識して顔に力を込めた。


(気をつけなきゃ……)


 幼い時分に離れ、めったに顔を合わせることもなくなった歌恋には思いもよらないだろうが――やはり、彼女と乃詠は間違いなく姉妹なのだった。


「それならいいんだ。では、私はいったん失礼するよ。またあとで」

「はいっ、またあとで! 楽しみにしてます!」


 最後に優しい微笑みを残し、部屋を出ていくロレンスの背を見送る。

 扉が閉じられ、足音が遠ざかっていき――完全に聞こえなくなってから、騒がしい鼓動を押さえつけるようにして胸元をぎゅっと握る。


(あぁ……好き)


 歌恋はすっかりロレンスに首ったけだった。あふれ出た〝好き〟が全身を火照らせて辛い。その熱をなんとか冷ました――ちょうど、そのタイミングを見計らったかのように。


「――失礼いたします、イッシキ様」


 声をかけられ、ちょっぴり驚きつつも振り返れば――そこには青色の修道服を着た巫女がいて。


(そういえば、彼女たちもいたのだったわね)


 部屋の中には、お付きの彼女たちも一緒に入ってきていたのだ。

 今まで存在をまったく感じなかったのは、空気を読んで気配を消し、背景に溶け込んでいたから。とても配慮が行き届いている。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はイッシキ様の専属巫女筆頭を務めさせていただきます、シャナ・ハーメラと申します」


 一歩前に出てそう名乗った巫女は、艶やかな黒髪を流した美人だった。

 瞳はとても鮮やかな緑色だが、黒髪の多い日本人として親近感が湧く。もしかしたら、それゆえの選抜なのかもしれない。

 氷の彫刻のように怜悧な面立ちをしているが、目元には確かな愛嬌があって、冷たい印象は受けなかった。


「ご用命の際にはシャナとお呼びください。イッシキ様の生活にご不便がないよう精いっぱい努めますので、どうぞよろしくお願いいたします」


 シャナが頭を下げると、後ろの巫女たちもそれに倣う。

 本当にお姫様になったみたいで心は浮き立つが――元が庶民。こんな扱いを受けるのは初めてなので、さすがにこそばゆさがあった。


「そこまで気負わなくてもいいわよ。元の世界じゃただの庶民だし。わたしのことは歌恋と呼んで。苗字で呼ばれるのは、好きじゃないの」

「承知いたしました、カレン様」


 シャナの、クールだが穏やかな表情はいっさい動かない。

 そのことに安心しながら、歌恋は彼女の背後へと視線をやる。


「ほかの人たちの紹介もしてくれるかしら?」

「もちろんです。ですがその前に――湯浴みをされてはいかがでしょうか? 薬師の調合したハーブを浮かべてありますので、心が安らぐと思いますよ」


 そう言われた途端、どっと疲れを感じた。

 自分が感じている以上に精神的疲労が大きかったようだ。


「……ありがとう、シャナ。そうするわ」


 そうして浴場へと移動した歌恋は、至福のひと時を味わう。


 歌恋自身はただ湯に浸かっているだけで、髪も体も巫女たちが洗ってくれる。

 風呂から出たあとも、濡れた体を拭くのさえ彼女たちの手によって行われ、そのあとはとてもいい香りのする香油をつけての全身マッサージ。

 まさにセレブ。テレビなんかでしか見たことがない待遇だ。


(本当に身の回りのことは全部やってくれるのね……至れり尽くせりだわ)


 元が庶民なので少し落ち着かないが、実は密かに憧れてもいたのだ。


 部屋着なのだろう、シンプルだが上質な生地の服を着せられ、肌や髪の手入れも念入りにしてくれた。


「いろいろとありがとう。時間になるまでひとりにしてもらえる?」


 いろいろと世話を焼いてくれるのはとてもありがたいのだが、プライベートまで誰かがいるのはさすがに嫌だ。ひとりの時間も欲しい。


「かしこまりました。控えの間におりますので、何かございましたらお呼びください」

「えぇ」


 一礼してから、そろぞろと巫女たちが部屋を出ていく。

 扉が閉まった途端、歌恋は大きなベッドへダイブした。

 ふわりとマットが衝撃を包み込んで、体が沈み込む。


(ベッドもふかふかだわ)


 とんでもなく高価なベッドだ。元の世界でも、義両親が気を使ってくれていたからそれなりにいい家具を使用していたが、これはそれ以上――と。元の世界のことをふと思い出して、けれどさして帰りたいと思っていないことに、歌恋は小さく苦笑した。


 元の世界に未練がないわけではない。六歳のころからお世話になっている叔母と叔父にはとてもよくしてもらっていて、それこそ歌恋にとっては二人こそが両親と呼ぶべき存在だった。

 学校には友達もたくさんいる。けれど……現状があまりにも魅力的すぎて、その未練がひどくかすんでしまうのだ。


 だって――今の自分は、大好きだった乙女ゲームやそれ系の小説の、まるで主人公、もといヒロインそのものなのだから。

 素敵なヒーローにもすでに出会え、恋をしてしまったら、むしろ元の世界になんて帰りたくない。

 いずれ自分は彼のお嫁さんになって、これ以上ない幸せな人生を送るのだ。


「ふふっ、楽しみだわ」


 そのとき――またしても、姉のことが脳裏をかすめた。


 鑑定によって表示された、文字化けしたステータス。それを神官の一人が悪魔の言語だと断じ、彼女を排除すべく聖騎士が動こうとしたが、魔導師カルヴィンの助言と彼の投じたアイテムによって光に包まれ、光が収まったあとには、彼女の姿はどこにもなかった。


「……悪魔、なんかじゃないわ。あの人は、間違いなく本物だった」


 腐っても血のつながった姉妹だ。あのとき一緒にいた乃詠が本物であることは、したくなくても保証できてしまう。間違えようがない。血縁というのはそういうものだ。


「カルヴィン様が使ったのは、対象を転移させる魔法のアイテムだったわよね」


 姉が消えたあとの、ロレンスとカルヴィンの会話が甦る。


 転移先は、魔物のいる危険なダンジョンとのことだ。防衛体制を整えるためにいったん遠ざけた。ここから遠い場所にあって、魔物がはびこるダンジョンなら、戻ってきたとしても、ある程度は時間が稼げるとして。


「魔物……」


 歌恋はバトル系の異世界ファンタジーにあまり興味はなかったが、ファンタジー系の乙女ゲームやそれを題材にした小説にも、魔物やモンスターが出てくる作品はある。

 だから存在自体は知っている。ダンジョンの概念も。


 想像でしかないが――平和な世界で生きてきた、武装もしていない普通の人間がそんな環境に放り込まれたら、間違いなくただでは済まないだろう。死ぬ確率のほうが高いと思われる。


 だがしかし、姉は普通ではない。それを実妹たる歌恋は知っている。

 彼女の友人であるハイスペ令嬢には劣るものの、紛うことなき超人だ。魔物の巣窟であろうと、彼女が殺される未来なんて想像もつかなかった。

 想像はつかないけれど……わたしは、あのとき……


 そこまで考えて、歌恋ははっとし、首を振る。


「……わたしは、何も悪くない……それに、別にあの人がどうなろうと、わたしには関係ないもの……」


 ふかふかの枕に顔を押しつけ、無理やり思考を止める。


「関係、ないんだから……」


 じくじくとした胸の痛みには気づかないふりをして。

 ぎゅっと目をつむれば――すぐに意識は闇へと沈んでいった。



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